「おもしろさ」の爆弾。あまりに多義的な――
なんかさ、本当なんでもいいんだけれど「おもしろい」って紹介されてて読みに行った記事が、もうね、めちゃくちゃおもしろくなくて、ただの他人への煽りで、煽り方がおもしろいとかなんとか書いてあったけど、本当にただの煽りでさあ――軽妙? 洒脱? ほんと舐めんなってさあ、舐めんなってマジで。
でも一方で、なるほど、確かに「おもしろい」って人それぞれだよなあ――って思うことはあって。文句は言うけれど、だからと言ってその人の価値観を完全否定するつもりはない。まあ――部分的には否定するけれどね。下品。ユーモアの欠片もない。だけれど――確かに、下品がおもしろく感じる人間だっている。
そもそも「おもしろい」って言葉があまりに広すぎて。
漢字で書けば「面白い」か。この漢字苦手なんだよね。面が白いって何? そうか、家で引きこもっていて肌が真っ白な人間は滑稽だってことか? 腹立つ。確かによ――俺は家でパチパチキーボードを叩いているだけの人間だよ。滑稽なのも分かる。だけれど――大抵のおもしろいは「滑稽」という意味以上にポジティヴな――例えば「見ると楽しくなる」みたいな――意味がある場合が多い。
――と、ここで無根拠な言葉遊びしていたら日本語大好きマンに殺されそうなので、語源をちょっと調べてみました。
「語源由来辞典」というものがネット上にあるらしい。今の時代は凄いなあ――だからこそちゃんと調べなくっちゃね。ってことで、調べたら真反対のことが書いてあった。辞典は「語源は未詳であるが」と断ったうえで次のように説明している。
「面」は目の前を意味し、「白い」は明るくてはっきりしていることを意味した。 そこから、目の前が明るくなった状態をさすようになり、目の前にある景色の美しさを表すようになった。 さらに転じて、「楽しい」や「心地よい」などの意味を持つようになり、明るい感情を表す言葉として広義に使われるようになった。
これはおもしろい(笑)
なんじゃこりゃ、すごいな「面」は「目の前」だったか。俺は「面」を「つら」と読んで「顔」と解釈した。まさに真反対。そして、「面」の解釈が真逆になることで、意味合いも逆になるという。恐ろしい、これだからパースペクティブ(人称視点)は大事だと言うんだ。俺は三人称で読んだが、実際語源は一人称だったのだ――
へえ――これは勉強になったわ。やっぱ調べることって大事よね。多分「滑稽」という意味での「おもしろい」は二次的なのかもしれない。語源研究はよく知らないから、適当なことを言うことは控えるけれど……(もう言っている)。
さて、誤解が解けたところで「おもしろい」という言葉の解釈に入ろう。「目の前が明るくなった状態」というわけだが――じゃあ小説や文字媒体の「おもしろさ」ってなんだろう。
しかし、この「目の前が明るくなった状態」というのも多義的だよな。「明るくなる」――この言葉を見てすぐ思いつくのは「啓蒙」、英語で書けば「enlightenment」を思いつくが――何に光を当てると言うのか。その人の思想? もっと俗的に「悩み」? もやもやしていた気持ちが晴れ晴れとするような――
しかし「啓蒙」という言葉の印象からも分かる通り、「明るくなる」には一方で悪い面もあることを強調しておきたい。昔っからね、この「啓蒙」という言葉には、マア――偉そうなニュアンスがあるんだよね。
だって、「知らんかった人に教える」ってことでしょ? やばくないか。
なるほど、例えば社会全体がモヤモヤ――例えば景気低迷、治安悪化――しているときに、原因は何なんだってなって、知識人が「それは、我々には「自由」がないからだ!」といって、古くから学者の間でしか用いられることのなかった言葉を非-学者――つまり民衆に伝えるって意味合いなら間違いなく「啓蒙」は大事だ。
「自由」は元々西洋のキリスト教で使われていた言葉で、今みたいに「好き放題する」という意味はなかったし、そもそもそこまで主題化することのなかった言葉だ。だが――近代になって、だんだん主題化されるようになって、フランス革命ではほとんど標語のように扱われるようになって定着した言葉である。日本では、明治時代に「自由民権運動」という形で、様々な思想家が「啓蒙活動」を行った。
そもそも、輸入されてきた言葉だしね――っていうか西周の命名は天才だよね。「自らに由る」で「自由」か。脱帽するね。そういえば、この「由る」を漢字で書くことって少なくなってきたよね、この前受験生に「由」の訓読みは? って聞いたら知らなかったみたいだ。多分初めて習うのは、漢文で助字を習うときだろう。
じゃあ「由」って一体どういう時に使うんだ。「由来」とか? 「経由」とか? 「理由」とか? すげえな――訓読みは漢字にならないのに、めっちゃ出番あるじゃん。にしても、助詞を感じにしないって誰が決めたんだろ――調べることありすぎ、疲れた。しかも脱線じゃん、これ。
こういう、思想の発見を促す「啓蒙」ならいい――って話だったっけ。でも一方で「見えなかったものを見えるようにする」って意味合いも「啓蒙」にはある。
さっきの例でいえば「身動きできない現状をどうにかしたい。でも言葉にできない」っていったとき、知識人が「自由の権利を人間は主張することができる!」と言ったとしよう。「なるほど、これは自由が欠如しているのか!」と言ってきっと同調すると思う。つまり――表すことのできなかった正体を暴くという意味があるのだ。まさに「光を当てる」あるいは「明るくする」というわけだ。
こう聞けばなんかよく聞こえるけれど、「見えなかったものを見えるようにする」ってなんかさあ、いや、めっちゃ偏った見方よ? だけど――なんかエロくね? って話で。
基本的にエロスと好奇心は表裏一体だ。というかプラトンによればほとんど同じ意味に数えられる。真理の探究――と言えば聞こえはいいけれど、それは「もやがかかったものを取り払う」ってことじゃんか。現象の奥のイデアを発見する――洋服を脱がして裸を見ることとどう違うのか。下世話な話だが、性行為に及ぶとき、男性は電気をつけたがり、女性は電気を消したがるのだ。うける。「明るくする」にはそういう暴力的な側面がある。そういうわけで「明るくする」にはポジティブな面とネガティブな面が存在するというわけだ。
「目の前が明るくなった状態」を表す「おもしろい」という言葉に、「楽しい」という意味と「滑稽」という意味があるのは示唆的だ。まさに、もやもやした部分がパッと開けるような――分からないことが分かるみたいな、だから例えば、普段真面目な上司が階段で転ぶとおもしろい。一方で、お菓子の作り方なんかを知るとおもしろい。
「おもしろい」はそういう意味で多義的だ。ポジティブでもありネガティブでもあり。だから人の「おもしろい」に、容易に近づいてはいけない――というのが、僕の意見だ。地雷を踏む。
「感想」ってなんだろうね……。今、目下問題なのはこの言葉です。もうね、とりあえず曖昧にしか褒めてない奴らの「感想」はもうごめんだ。絶対聞かないようにする。爆弾をもらいたくない。