これまでのあらすじ

仕事をしていた時の私は、家庭のことを全く考えず、外の世界に逃げ場を作り、遊びと仕事の境界線がありませんでした。
夫も帰りが遅いので、娘を保育園に預けたあとは実家の母に迎えや夕食をお願いし、自分は飲み会に参加したり友達とカラオケに行ったりと好き放題やっていました。

娘は成長の発達が遅く小柄だったので、3歳児検診ですぐに引っかかりました。身体はふにゃふにゃと柔らかく、歩くことが精一杯の運動神経でした。染色体検査をすすめられましたが、現実を受け止められないと判断した夫と私は染色体検査をすることなく、成長ホルモン治療を行いながら騙し騙し適当な育児をしてきました。

娘が小学校に上がるタイミングで、発達障害についての疑いが出てきます。お友達と遊ばない。言葉の発達が遅い。保健師の先生から養護学級をすすめられました。小学校へ行っても学童でも、お友達と遊べない。意思の疎通が出来ないと言われ、このままではいじめに発展すると周囲から危惧され、私はこのままの育児ではもうどうにもならないところまで来たと感じました。

仕事仲間からはもっと大きな仕事を期待される一方で、家庭では適当な育児で実家の両親から文句を言われ続け、精神的にいっぱいいっぱいの状態が続き、自分に取り巻くストレスを断捨離することを決意します。

まずは仕事を変えました。今までの職種では家事育児の両立が難しいので、家の近くの図書館で月に数回働き始めました。給料がグンと減ったので、節約のために外食を控えるようになりました。飲み会に誘われたくないので、どんどん人間関係も削りました。実家の両親も、自分たちの育児を棚に上げて孫の育児介入がうるさいので、なるべく会わないようにしました。そして家族だけが私に残りました。

仕事を辞めた私は、話しかける相手が娘しかいなくなり、娘に対する執着心が強くなりました。発達障害が疑われる娘にイラつき、どうしてこんなことも出来ないのかと娘をどんどん追い詰めていきました。夫は娘の発達障害が疑われても、自己防衛と思われる無関心を貫きました。
娘のせいで自分の前職のスキルや自由が奪われ、家庭で苦手な家事育児を押し付けられていると感じるようになります。勉強も運動もコミュニケーションも、自分の子供の頃や他の同学年の子と比べて何一つうまく出来ない娘にますます腹が立ってきます。もう一人子供がいれば娘一人に執着しないで済むのではと、二人目の妊娠も願いましたが、流産したり、もう一人子供がいれば生活が苦しくなると主張する夫との夫婦仲も良くなかったりで、結局断念することになりました。そうやってどんどん私の思い通りにいかない時期を過ごしているうちに、離婚して一人になりたいと常に考えるようになりました。

娘が中学生になる頃、ようやく染色体検査をして娘のターナー症候群が発覚し、「ああ…そういうことか…」と思いました。娘の成長が遅いのも、全部これが原因かと。現実を受け止めず、逃げてばかりいた私達夫婦に、ようやく現実が突きつけられました。夫は自分に自信をなくし、仕事を辞めたいと考えるようになりました。私は夫が無職になるなら、早く別れて人生をやり直したいと離婚を何度も切り出しました。

そして、コロナ渦に突入します。

相変わらず、離婚もせずダラダラと家族関係の危ない橋を渡っています。


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