稲妻

嵯峨野綺譚~空電の彼方~

 嵯峨野に降る夕立は二方向からやってくる。丹波山地を越えて愛宕山の方からやってくる夕立と、嵐山を越えて西方、北摂の山伝いにやってくる夕立と。
 土地の古老に聞くと「そらアンタ。嵐山のむこ(向こう)からくるヤツのほうがキツイがな」

 さっきまで、その嵐山の向こうからきた猛烈な夕立が降っていた。いつもなら夕暮れ時の残光が嵯峨の野を照らす時刻に、数時間早く夜が訪れたように空が掻き曇り、生暖かい風が数陣吹いてきたかと思うとバケツをひっくり返したような土砂降りとなった。稲妻が光り雷鳴がとどろいた。
 雨は一度は小降りになったのだが再びひどくなり、夜半前になって漸く傘なしで歩けるほどに回復した。

 二階に上がり、かつて勉強部屋に使っていた部屋に入る。床はフローリングに張り替えられ、勉強机はなくなっている。代わりに置かれた小さな文机の前に座る。
 傍らの本棚にあったラジオを手に取って、文机の上に置いてみる。中学生時代に愛用していたソニーの多バンドラジオ、スカイセンサー。短波、中波、FMが聴ける。インターネットはおろか、衛星放送すらなかった時代。FM東京で「ジェットストリーム」を聴くようになるのは数年後、大学生になって京都を離れてからのことだ。

 僕はこのラジオで海外短波放送やAMの深夜放送に耳を澄ませていた。
 海外短波放送は、ラジオオーストラリアやHCJBエクアドルの「アンデスの声」がお気に入りだったが、夏のこの季節は空電が激しく、ましてや夕立の後はなおさら短波放送は聴きづらかった。
 中波のAM放送は、当時近畿放送と呼ばれていた地元局をよく聞いていたが、夜中になると電波状態が良くなってニッポン放送や文化放送など首都圏の大出力ラジオ局の声が聞こえてきた。
 のちにAM局のネットワーク化が進み、どこの地方局でも中央のキー局が作る番組を流すようになってしまったが、当時はまだ地元の放送局が自主制作のコンテンツを放送していた。

 スイッチを入れ、バンドセレクターをAMに合わせ、ダイアルを回していく。朝日放送、毎日放送、ラジオ大阪、ラジオ関西・・・。京都盆地の西北の端で山の迫った嵯峨はテレビやラジオの視聴に恵まれた地域ではなく、大阪や神戸の局の放送を快適に聴くことは難しい。クリアに聴けるのはNHKの京都放送局やKBS京都(かつての近畿放送)くらいだ。

 けれど今晩は夕立のあとの空電で、そうした近隣の局の声すらまともに聴き取れない。まだ遠くで雷が鳴っているのだろう、ザーザーいうノイズの上から殴りつけるような爆裂音がスピーカーを震わせている。
 1,143KHz、KBS京都の周波数あたりにダイアルを合わせる。その瞬間、東の窓の外で稲光が閃いた。スピーカーを破らんばかりの凄まじいノイズが部屋の空気をかき乱した。数瞬遅れて巨大な雷鳴が轟く。「どこかに落ちたな、こりゃ」

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