女の子にも男の子にもなれなかった私にかけられた呪い
※最初に断っておくのだけど、大人になった私は母のことが好きです。今でも憧れてるし、尊敬できるところもたくさんある。昭和のお母さんって、こういう人が多かったと思う。ただ、それだけ。
「女の子だったら男の子だったら何をしたいの?」
3月8日は「国際女性デー」だったそうで(毎年、過ぎてからそうだったと思い出す)、友だちのTwitterにこんな記事が貼られていて、そのタイトル『妊娠中から「男の子?女の子?」もうやめませんか エリイさんの疑問』が目に入っただけで、ああまだ無邪気な「呪い」は紡がれ続けているのかと、池の底の泥のように暗い感情が舞い上がった。
朝日新聞デジタル(有料記事なので、さわり部分しか読んでないのだけど)https://digital.asahi.com/articles/ASQ3372LGQ31DIFI00Q.html
乳幼児期の親を対象とした子育て支援の現場にいた私は、胎児の性別に関する会話を耳にすることがとても多かった。そのたびに私は心の中で、「性別が分かったからって何をしたいんだろう」と思っていた。既に生まれた子に関してはさほどでもないのに、胎児の性別をどうこう言うのを聞くのはイヤだった。より無力な存在の胎児に対し、性別が分かった後に抱く感情や行為はより純度が高いゆえに、それが何であれ「呪い」にしか思えなかったのかもしれない。
私は三人の子どもがいるが、第一子の時から性別は分かっても伏せるよう産院に頼んでいた。最初は「生まれてからのお楽しみ」という軽い気持ちだったと思う。それが多くの親御さんの声に接するうち、まるでそれがアレルゲンであるかのごとく、年々嫌悪感は増していったように思う。
「性別が分かったからって何をしたいの?」、そう問いたいのは、子どもの頃の私。多分、何もして欲しくなかったんだと思う。子どもの頃の私は。
自分が女の子であることについて、周りの大人が何かをしたり言ったりすることは、ほとんどが呪いみたいなものだった。そういう記憶しか残ってない。
「あなたは可愛くないんだから」
女・男・男の三人年子の私は長女に生まれた。核家族で専業主婦の母にとって、子育ては結構大変だったんじゃないかと思う。それでも、女の子である私を大事に育てた。理想の女の子に仕立てるのに熱心だった。色とりどりのお花や蝶々を刺繍であしらった服を何着も仕立ててくれた。お人形は与えてみたけど私は興味を示さず、ついには首をもいでしまったらしい。弟たちや近所の男の子たちとよく遊んでいたから、言葉遣いも振る舞いもあまりお行儀が良くなかった。幼稚園からピアノを習い始めたけど、練習はあまり好きではなく小学校中学年の頃には個人レッスンをさぼるようになっていた。小学校では周囲から逆に浮いてしまうほどストイックな服装をさせられ、テレビもあまり見せてもらえなかったから、流行りの歌やアイドルの名前も知らず女の子の友だちはいなかった。休み時間は男の子とロボットアニメの話をするか、図書室で本をむさぼり読むかしていた。女の子だから楽しい、うれしいと思うようなことはほぼなく、女の子らしさで褒め称えられることはなかった。母には「あなたは可愛くないんだから、せめて性格は可愛くなりなさい」と言われた。親戚の叔母たちはよく「可愛いね」と言ってくれたけど、母が着せてくれる服をほめているんだと思っていた。女の子として、私は母の期待に何ひとつ応えられなかった。
「男の子だったら良かったのに」
本を読むのが好きだったからか、小中学校の成績は弟たちより良かった。それは私には誇らしい事だった。母や親戚の叔父叔母たちは事あるごとに「○○ちゃんは、男の子だったら良かったのに」と言った。時にはため息交じりに。私も心底そう思っていた。だけど、今思えばそれこそが一番の呪いの言葉だったかもしれない。
母も母の親戚たちも九州出身だったから、男女の序列ははっきりしていた、皆が集まる新年会でも男衆たちは和室の客間、女衆は台所に近いリビングと別室に分かれて飲み食いしていた。子どもも含めて立ち働くのは女衆だけで、親戚の女子たちで一番年長だった私は一番に働かなければならなかった。普段の家事も弟たちは免除されていた。大学進学の時には、お前は短大で良いと言われ、現役合格を条件に四大の受験を許された。浪人した弟たちは当然のように四大を受験し続けた。絵に描いたような昭和のジェンダーバイアスにさらされて、私は育った。
男の子に生まれたかった。だけど、小学校高学年の頃には胸は膨らみ、それを男子たちにからかわれるようにもなった。それまで遊んでくれていた男子たちも徐々に寄り付かなくなった。おまけに、思春期に突入した私は普通に男子に恋心を抱くようになっていた。だけど、可愛くない私の恋はきっと実らないとはなから諦めていた。中学では女子グループのいじめに遭い、勉強はできるけど変な女子の私はオタク道を邁進するしかなかった(当時、またオタクという言葉は一般的ではなかったけど)。
私は型にはまりたかった。型にはまって褒められたかった。可愛い女子かカッコイイ男子になれたらどんなにいいだろう。
「私」でいるのは苦痛だった。いつだって私じゃない誰か、女子か男子になりたかった。少なくとも、見た目に関してはずっとそう思ってる。
「女に生まれて良かった」
そんな私にも、女に生まれて良かったと初めて心から思える瞬間が唐突にやってきた。恋が実ったとか、誰かに思いを寄せられたとかそういう話ではない。それは高校生の生物の時間。生物の進化に興味を持っていた私は、自分の体に妊娠出産をする機能が備わっていて、妊娠したなら胎内で生命の歴史を辿る壮大なドラマを実体験できる(受精卵が胎芽、胎児となる過程で進化の過程を辿るという説)と悟った。こんな生命のドラマを経験できるかもしれない女性に私は生まれた。良かった、と思えた。
「どうして誰も教えてくれなかったの?」
何て、もっと早くこのことを教えてくれなかったの?と思った。女に生まれて、こんなスゴイことができるって、生理の時だって誰も教えてくれなかった。生理なんてただただ面倒でしんどいだけだった。生命って体って知れば結構面白いじゃない。結婚は面白くなさそうだけど、妊娠と出産は絶対に経験してみたい、せっかく女に生まれたんだから。
たとえ可愛いって褒めてくれなくても、あなたの体はすごいよって教えてほしかった。私の性教育活動の原点はここにある。
「子どもは何もして欲しくはない」
50歳になった私は、いまだにまともにメイクができない。したくない。マナーと言う名の強要への反抗心からでもあるし、「なりたい私」のイメージが全く湧いてこないからでもある。
母の期待に応えられず、可愛い女の子になれなかった私は、そんな自分に今も絶望しているのかもしれない。手をかけたところで私はそこに至れない。なりたい私もないのだから、素のままでどこまで生きていけるか世間を試してやれ、と。
(ちなみに、私の夫は素顔でいいよと言ってくれた。30年前の話だが期限はないものと思っている笑)
とまあ、こう書いてはみたけれど、自分でもなぜこうなっちゃったのか、本当のところは解きほぐせてはいない。そこに「呪い」の残り香を感じるだけだ。
私も三人の娘の親になり、子どもたちにこの手の呪いを全くかけなかったかと言うとそうではないと思う。刷り込まれたジェンダーの型にはめ、時にはそれを楽しんだりもしていた。本人がイヤだと言えるようになるまでは。
フリルのついた花柄のワンピースは親である私の欲望でしかない。それを着た可愛い娘を連れて歩きたいという。親になって、母の気持ちはとても分かった。だからこそ、ワンピースを着せようとする私に首を横に振ることを許さなければならない。黒いズボンを選ぶ手からズボンを取り上げてはいけない。そう思ってきた。
大人になった彼女たちが、自ら花柄のワンピースを選び、メイクを楽しみ、カメラに向かって微笑みかける姿に、彼女の中のそれぞれに異なる「核」が表れているような気がして私はホッとする。彼女たちには「なりたい私」がちゃんといるんだと。
「考え過ぎかもしれないけれど」
胎内で育つ子の性別を知りたいと思う時、「私はそれを知って何をしたいの?」と自らに問いかけてほしい。そこに無邪気な呪いが潜んではいないか、と。
私が第三子を妊娠していた時、うっかりしていた助産師さんから性別を告げられてしまった。三人目の女の子だった。別にがっかりはしなかったが、男の子を授かったら面白いよねと意図して(操作はしていないけれど)授かった子であることは事実だった。私は出産まで、家族にも友人にも性別を明かさなかった。
妊娠中、私の父は末期ガンを患っており、父の命が尽きるのが先か出産が先かというギリギリの状況だった。父の死の二日前に、三女は生まれた。というより、父が彼女の誕生まで何とかこの世に踏みとどまってくれたという方が多分正しい。三女誕生の報せを受けるまで、父の意識は奇跡的に明晰だったという。性別を聞いて父は「女の子で良かった」と言い、そのあと口の中で何かを呟いていたが、普段は使わない訛りでよく聞き取れなかったらしい。母によれば「えこひいきされないから」という意味だったのではないかと。それが父の最後の言葉となった。
私は父の訃報とともに、その最後の言葉を聞き、涙が止まらなかった。「女の子で良かった」は三女だけでなく、私にも向けられた言葉のように感じられた。私はあまり父が好きではなかったが、大事な大事な一言を最後に遺してくれたと感謝している。
呪い(のろい)は災いを招くが、呪い(まじない)は希望をかなえる術た。いずれに転ぶかは、かけた方かけられた方の世界の見え方ひとつなのかもしれない。それでも、ふと目にした記事のタイトルが、このような文章を書き散らすトリガーになったことを思うと、心に穿たれた呪いの根深さに改めて震える。
考え過ぎ、余計なお世話なのかもしれないけれど。あなたが我が子にしてあげようと思っているソレの正体は、かつてあなたにかけられた呪いそのものなのかもしれないのだから。
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