ルームメートとの生活 パークスロープ
私はニューヨークに引っ越してから、1−2年のスパンで引っ越しをしていた。一人でアパートを借りられるほどの余裕もなかったし、誰かがいた方が慣れない土地で心強いと思った。英語を上達させたかったし、アメリカの生活を満喫しようと最初からルームメートはクレッグスリスト(アメリカの一般的な掲示板)などでルームメート募集の情報を収集。気になる部屋があればメールをして下見兼面接のアポをとった。
最初のルームメートはずいぶん年上で、ブルックリンのパークスロープに長く住むポッタリーアーティストだった。アパートの最上階(階段のみ)の彼女の部屋には釜もあり、リビングにはたくさんの彼女の作品が並んでいた。最初に彼女の部屋を訪れると、手作りのレモンバーを用意して迎えてくれた。日本からニューヨーク入りして2日目。まだ時差ぼけもあり、英語も出てこない状態だったが、すっかり意気投合。15分くらいの滞在かと思っていたが、気がつけば3時間も過ぎていた。あたりは暗くなり、少し不安に思いながらも、暗くなってからの最寄りの駅などをチェックできたのは良かったように思う。古い映画館からポップコーンの香りが部屋まで届いてくる。プロスペクトパークを横目に、ここに住めるかもしれない、胸を踊らせて宿泊先へと急いだ。その後、改めて彼女とメールで詳細を確認した。出会って2日後、宿泊先をチェックアウトし、ブルックリンの最初の部屋へ荷物を運んだ。
その後彼女とは8ヶ月ほど一緒に生活をした。その中で、パークスロープが過去40年でどのように変わったかと言う話も幾度か聞いた。彼女がパークスロープエリアに住み出した頃は、まだそのエリアには黒人は珍しかったと言う。それから一度も引っ越しをしていない彼女は、昔、大家がアパートの改装をして家賃を上げようとした時に立ち退きを迫られたと言う。しかし彼女は断固として拒否したところ、他の住人は全て出払い、ホームレスの人が階下で生活を始めたと言う。大家も彼女が出て行ってくれることを願いそれを黙認していたらしい。それでもめげなかった彼女は今でもそのアパートに住んでいる。今でこそ、ファンシーなイメージのパークスロープ。私が住んでいる間にも家賃の高騰はどんどん進んだ。新しい住人がマンハッタンからどんどん入ってくる一方で、彼女のように、そのエリアで生まれ育った人々もいろんな思いで生活をしている。
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