【大事なこと】災害時にいつも通り楽しんでもいいの?

※この記事は、災害に関連する記事となります。写真や直接的な表現は避けますが、フラッシュバックを起こす可能性のある方や、読む際に不安感が出る方はブラウザバックをお願い致します。

普段の記事よりとてもきつい言葉を使用している部分もあります。




こんにちは、うちはまです。

この度の台風11号におきまして、被害に遭われた地域の皆様に心からお見舞いを申し上げると共に、亡くなられた方々のご冥福をお祈り申し上げます。
より迅速な復旧・復興が行われ、1日でも早く被災地域の皆様がいつも通りの日常を取り戻せることを願っています。


さて、今回はとても真面目なお話をさせていただきたいと思います。

「災害が起こった時、非被災地域在住者は楽しいことの発信や楽しむことを自粛すべきなのか」

今回は、こちらについて書かせていただきたいと思います。

このお話をする前に、今回の記事を書くに至った経緯をフェイクを交えてお話しさせてください。

うちはまの友人Aさんと、Aさんの相互のBさんに対し、こんなことを言ってきた方がいました。

「イベントが楽しかったと言うな、そもそも災害が起こっているときにイベント参加をするとは何事なのか。あなたたちが"楽しかった"と呟いて、傷つく被災者が1人でもいないと言えるのか?辛い想いをしている人がいる時は、イベント参加を自粛した上で、被災者に対してお見舞いの言葉を発信すべきだ。」
「被災している人たちが苦しんでいるのに、関係ない地域の人間が楽しかったと発信することが気持ち悪い。それは許されることではない」

このメッセージを送ってきた方は、今回の台風の被害地域ではなく、台風の影響も通常の雨風レベルの地域に住んでいる方でした。
つまり、「自分たちは大変な思いをしているのに、誰かが楽しんでいる発信を見るのが辛い」という当事者からの訴えですらなかったのです。
さらに、その方は能登半島地震発災時、震災には一切触れず「あけおめ!」「イベント参加します!」「楽しかったー」と投稿をしていたこともわかりました。

この方への対処はAさんBさんそれぞれがブロックをする形で終了しましたが、言われたお二人はかなり疲弊してしまう出来事でした。


東日本大震災時にも、その後のたくさんの災害時にも巻き起こった「自粛ムード」や、「自粛強要」。
災害が起こった時、本当に楽しいことやいつも通りの日常を自粛すべきなのか。

否。

いつも通りの日常を過ごすことと、楽しいことを楽しむことと、被災地を支援することは両立します。


そもそもこの「災害で誰かが苦しんでいる時、楽しいと思うことを楽しんではいけない。発信してはいけない」という論調は、被災者の方自身も攻撃しかねません。

災害による被害には、地域ごとにグラデーションが発生します。
隣から先は停電しているけど自分の家は電気ガス水道が出る、という地域もあることもあります。
近所には倒壊したお家もあるけど、被害がなかったから自宅避難が出来るご家庭もあります。
ご家族やご親戚、ご友人が亡くなられた方もいれば、誰1人欠けることなく無事に避難できた方も居ます。
そうし被害の違いは、被災地にもあるのです。ネットを開ける環境にある被災者の方もいれば、そんな状況ではない被災者の方もいる。
そんな時、外野が「辛い思いをしている人が居る時に楽しむな」と押し付ける行為は、非被災地だけでなく、楽しむことで心のケアが出来るはずの被災者の方の首にも手をかけているのです。

被災地から「自分たちが辛い時に楽しむな」という言葉が出てしまったとして、それを誰が責められるでしょうか。極限状態における精神の摩耗は他人には押し計れません。
そうした言葉が正しいかどうかは置いておくとして、当事者からそうした意見が出ることはある程度仕方がないことだと思います。

しかし、当事者が発信したことを受けたでもないのに、全く無関係の人間が他人に対して強要すべき思想ではないのです。

仮に当事者からの声だったとしても、そうでなくとも、被害に遭っていない地域の人たちのいつも通りの日常を自粛させるという権利は誰にもありません。

むしろ、楽しむことを自粛する行為は、被災者の心の支えや拠り所を無くし、被災地への支援を阻んでしまうことに繋がりかねません。

被災経験者の方々の声には、「推しの配信があったから気を紛らわすことができた」「好きな作家さんの作品が読めることが嬉しかった」というような、エンタメが心の拠り所になったケースは多く存在します。
命の危険を経験し、非日常が続くなかで、当たり前の"楽しいこと"が供給されることは、必要な部分も大きいのです。

もちろん、「私たちは被災してないから毎日楽しいですw」というような、災害や被災地を揶揄した上で楽しいアピールをする行為は決して許されません。
しかし、日常においていつも通り楽しむこと、楽しんでいることを発信する行為全てにそのようなマウンティングががあるわけではありません。

そして、誰かの支えになるからやるべきだ、ということでもないのです。
いつも通りの日常を送ること、それらを発信すること、それはいつも行っている当たり前のことです。
そこに「誰かが不快に思ったり、心の支えにしたりする」という他者からの感情が発生するのは後から付随するものなのです。

ひとりでも不快に思ったならやめるべきというなら、ひとりでも心の支えになったと思うならするべきだということになります。
しかし、人の発言や行動は本来、法律やモラルに大きく反していないのであれば、発信した後の他者の感情にジャッジされるべきものではありません。

また、「辛い思いをしている人が居る時に楽しい思いをすべきではない、自粛すべきである」というのであれば、国内では毎日どこかで誰かが辛い思いをしているし、国外では多くの人が苦しんでいる事象は国家レベルで起きています。

キリがないですよね。

もちろん、配慮や思いやりはとても大切です。
しかし、配慮や思いやりは100%正しいとも限りません。
行き過ぎた配慮は、私の友人たちが受けたように、他人を傷つける攻撃となることもあります。

思いやりも配慮も、自分自身が他者に対して持つものです。

決して、自分の中の"価値観"を、他人にも同じように振る舞えと強要することではありません。


被災地をダシにして他人を攻撃することは断じて許されません。それは、被災地を守る行動ではなく、激しく身勝手で自己中心的な行動であり、まったくもって被災地や被災者に寄り添う行動ではありません。
非被災地の人たちがすべきことは、今まで通りの生活を自粛することではありません。こうあるべき、こうすべき、これをするなと指図することでもないのです。

また、災害は全国各地で起こっています。今は日常を送っている地域でも、過去に大きな災害に見舞われた場所もたくさんあります。
大きな災害を経験し、災害の情報を見ることでPTSDを発症する方や、不安を抱えてしまう方も少なくありません。
そうした方々にとって、「あえて災害について触れない」という行為は自身やご家族など近しい方を守るための大切な行動です。

楽しいことを自粛しろ、災害が起こったら被災地を心配しろ、という強要は、過去に被災者であった方々にも突き刺さるのです。

災害が起こった時、自分の住んでいる地域が被害にあっていないのにいつも通りの日常を過ごしていいのか、いつも通りの日常を発信してもいいのか。

いつも通り過ごしてください。
日常を楽しむことと被災地への支援は両立します。


その具体例を今から書かせていただきたいと思います。
ここから先は、少しばかり政治的な側面も含みますので、こうした話題をうちはまのnoteで見たくないな、という方はここで引き返すことをお勧めいたします。
ここまで読んでくださり、本当にありがとうございます。
被災地の皆様におかれましては、一日も早い復旧・復興をお祈りしております。










私の故郷は石川県です。
能登は私の祖父母の家もあり、親戚も多く、珠洲市出身の友人もいます。ありがたいことに祖父母宅をはじめ、親戚友人には大きな被害はなかったものの、物理的な被害を受けたお家もあります。
私は地元を離れており、地元の被害に何ができるのか、自分は何をすべきなのか、いつも通りの日常を私が過ごしていてもいいのかととても悩みました。

そんな折、発災から約二週間後、阪急うめだ本店にて第39回旨し、美し。金沢・加賀・能登展が開催されました。
発災からまだ間もないということで、能登のお店や作家さんなど参加ができなかった店舗もありつつも、多くの店舗が出店し、売り上げの一部が能登半島地震支援金として寄付されるということもあり、ものすごい数の来場者がひしめきあっていました。

会場にいる人たちは皆笑顔で、美味しい和菓子やお寿司や伝統工芸を手に取り両手いっぱいに抱えて、めいっぱい楽しんでいました。
そして、募金箱はどれもぱんぱんで、小銭だけでなくお札も山盛りでした。募金箱にお金を入れていた時、隣では中学生の男の子が1000円札を入れて、お母さんに「お年玉よかったん?」「うん!ええねん!」とにこにこしながら去っていきました。
本当に泣きました。嬉しくて嬉しくて。
あの場にいた人たちは皆いつも通りの日常のなかで、最高に楽しんでいました。芝寿司に並んでいた時、前に並んでいた男性に「行列すごいですねぇ!楽しみですねぇ!何買うか迷ってるんですよ」と嬉しそうに話しかけて頂けたこと。
金沢と加賀温泉に旅行に行った時のことをわいわいと、春になったらまた行きたいよね、次はあそこに泊まりたいよね、それも支援よね、と話していた後列のご婦人たちの会話。
見知った、自分の大好きな地元の商品たちがたくさんの人たちに買われて、棚が空になっていく光景。
九谷焼の職人さんの実演を真剣に見つめながら、興味津々で質問をする方々の姿。
関西の人々にとって、いつも通りの楽しいお買い物。しかしそこには、楽しいイベントを楽しむことだけでなく、被災地に寄り添う心が確かにありました。
私はあの光景を一生忘れません。
あの期間、あの場所には「楽しむことで支援する」という人々の思いが溢れていました。

過去の災害や能登半島地震発災以降、このような被災関連地域への旅行支援や復興支援イベントなどが、国主体だけでなく各企業、団体などさまざまなところで行われています。
そうした経済支援に対して、えてして批判が起こりますが、被災地には被害のグラデーションがあります。
物理的な被害が少ない地域にとって、「災害が起こったから行くのをやめよう」「今被災地に行ったら迷惑になる」という善意からの自粛や、被災地に対する風評被害などは、大きな経済打撃を生む二次災害となっています。
災害に関連する被害というのは「家屋の倒壊や土砂、地割れやインフラの壊滅」だけではないのです。
こうした経済的な被害は、今後起こりうる災害にも必ずついてまわります。

特に、観光業によって経済活動がまわっている地域にとって、観光客の流入や利用がなくなってしまうことは生活の基盤が無くなってしまうことそのものです。
被災地、および被災関連地域に住む人々にとって、賃金を得る会社や店に利益が生まれなければ、生活は崩壊してしまいます。
国からの援助を、という声がよくあがりますが、国からの援助は災害で倒れないように支える松葉杖のようなものです。
そこから地域がまた自分たちの足で歩けるようになるには、いつも通りの日常を取り戻すことが一番大切なのです。

いつも通りとは、当たり前の日常が戻ってくること。
被害のなかった地域からの継続的な経済活動支援は、物理的な被害のない地域も、ある地域も救う大切なことなのです。

そして、経済活動は募金や義援金だけではありません。

被害のない地域や少ない地域に赴いて観光をして、美味しいご飯を食べて地元の名産品を買い、観光施設を巡って交通サービスを利用し、宿泊施設に泊まって伝統工芸をお迎えしたり、お土産を抱えて帰ることもまた経済支援です。

(もちろん、被害のある地域に不用意に立ち入ったり、倒壊した家屋や店舗を住居者や持ち主に無断で撮影するなどの行為は言語道断です)

また、現地に行かずとも、被災関連地域の伝統工芸や名産品を取り寄せしたり、地元のスーパーで関連地域産の青果やお肉、お魚を購入するのも経済支援です。
美味しく楽しく、被災地に寄り添った支援を行うことはいくらでもできるのです。

もちろん、お金を出すだけではありません。
被災関連地域の観光名所や、美味しいお店などを検索してみたり、自分が行った時に楽しかった思い出をSNSでシェアすることもまた支援につながります。

こちらは実際に「熊本地震で風評被害に遭い、経済打撃を受けた黒川温泉にライター100人を集めてひたすら楽しんで楽しい情報を発信しよう!」という取り組みです。

また、コミケの売り上げを能登半島地震に募金した方のツイートも拝見しました。

このように、イベント事やいつも通りの楽しいことを楽しむこと、それらを発信することと、被災地への支援は両立することができます。
楽しんでいるから自粛すべきという論調は、このような取り組みや支援の芽を摘んでしまいかねないのです。

私は関西に引っ越し、仕事の関係や体力・技術面に自信もないため被災地へのボランティア活動は難しいと判断しました。
それゆえに、自分にできることはなんだろうかとたくさん悩みました。
ジモコロの記事を読んで、今まで通りの生活の中で、地元食材やおすすめのお店を発信したり、地元のお米や好きなお菓子を買ったり、SNSでおすすめスポットを共有したりすることもまた支援につながるのだと知り、そこから今まで募金、義援金の振り込みは今も継続しています。
能登半島地震の復旧活動はいまもなお継続的に続いています。
発災以降途切れることなく続けられている復旧活動や支援をうけ、元気と活気を取り戻しつつある地元の発信をいつまでも追い続けながら、私はいつも通り楽しいことを楽しんで生きています。

大切なことは、自分のできる範囲で被災地の支援をすることです。決して、それを他人に強要することではありません。
自分の中で「楽しいと思うことは自粛しよう」思ったならそれで構わないのです。
それを他人に強要し、自分の考えに当てはまらない人を攻撃することを、してはいけないのです。

何度も書きますが、被災地への寄り添いや支援はさまざまなかたちがあります。
被災者から「当たり前の日常や楽しんでいる姿が目に入ると辛い」という声が上がることはある程度仕方ない部分もあります。しかし、ことSNSにおいて、他人が配慮する必要はほとんどの場合ありません。
まして、関係のない第三者が「被災者はそう思っている」ということを振り翳して強要する権利はどこにも存在しません。

もちろん、配慮は大切なことです。
しかし過剰な自粛はなにも生みません。本来生まれる支援を潰してしまいかねないこともあります。
そして、楽しむことと被災地への寄り添いや支援は両立するということを忘れないでほしいなと思うのです。

ここまで読んでくださりありがとうございました。
今回は、親しい友人が受けた被害だったこと、自分自身の経験からこれだけは発信したいと思ったこともあり、本来のうちはまのnoteの趣旨とは異なる内容となってしまいました。

もしこの記事をよんで何か言葉にしたいと思った方は、ぜひコメントに北陸や九州、岐阜、東北などの美味しいものやおすすめスポットを書き込んでいただけたら嬉しいです。

全ての被災地の復旧・復興が一日も早く進み、全ての人がまた楽しいいつも通りの日常を送れることを願っています。


ちなみに、うちはまのおすすめはこちら


九州は行ったことがないので、いつか行く時の参考にさせていただきたいです!
また、美味しいお取り寄せ情報などもお待ちしています。切実に!

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