【同人女の叫び】二次創作はパッションだ
こんにちは、うちはまです。
二次創作ってさ!パッションやねん!!!
とあるツイートを起点にさまざまな"オタクのご意見"がバズっていますが、本当にこればっかりは声を大にして言いたいのです。
二次創作はパッションやねん!!!
公式の関係性が最高だと二次創作がしづらいと思う方もいるでしょう。
しかし、二次創作はいつからCP作品だけをさすようになったのか?というツイートまで延びるのはちょっとよくわかりませんねな気持ちです。
二次創作とは、原作者のある他者の著作物をもとに第三者が行う創作活動のことを指すわけで、その中にCP表現が含まれるわけです。
なので、発端となったツイート自体も別になんの問題もないわけです。二次創作はCP作品だけを指し示すと言っているわけではなく、「推しCPが原作で最高だと二次創作(行動)しづらい」と言う動詞として使っているだけなのにね。
そこから「二次創作では日常やほのぼのやギャグは高度な技術が必要だからエロやCPに走る」だの、「銃の描写や歴史描写などは厄介厨から指摘が飛んでくるからできない」だの
うるせーーーーーーーーーーーー!!!知らねーーーーーーーーーーーーーー!!!!!
あとこういうミーム使いをオタク女構文とか言ってるやつも知らねーーーーーーーーーーー!!
という話なんですよね。
確かに、画力が必要な重火器や楽器演奏、歴史や生物学・化学など現実に正解のある描写で何かしらズレや間違いがあると、「いやそれ〇〇ですから」みたいな指摘が飛んできたりしてとてもうざったいことこの上ないのですが、だからといってそうした作品が廃れているかといえばまったくもってそうではありませんよね。
そもそも素人の趣味に対して「その銃の機構おかしくないですか?」と言ってくる方がおかしいのですから。
それがもし「徳川家康ははかいこうせんで織田信長を倒しました!この歴史は史実に基づいています」と書かれていたら、「ば、馬鹿たれ!!」と言われるかもしれません。
「すべてのワクチンにはナノマシンが入っていて、打った人は30年以内に死んでしまう」と書かれていたらコミュニティノートがつくでしょう。
しかし、基本的に二次創作は(表に出すなら)公式が定めたガイドラインの範囲内において自由なのです。
ブルアカのガイドラインに「重火器は実在のものを忠実に描くこと」と書かれていないのであれば、たとえ作画がまちがっていようがどこまで忠実にかくかはかき手に権利があるのです。
あとですよ、〇〇警察に凸されるより逆CPや他CP界隈からの凸とかCP名出してのヘイトの方が圧倒的に多いですからね…。
ヘイトや凸が多いから上記のようなカテゴリの作品はかけない…というのが二次創作界隈の感覚であれば、真っ先にCPものやR18作品から消えて行っているはずです。
でもそうではない。なぜか。
ほとんどの人はパッションで作品を生み出すからです。
かきたいからかいてんの!!
好きな作品を読んだときに湧き上がるもの、推しの活躍を目にした時の感動、好きなCPやキャラクター同士の関係性を浴びたときの得も言われぬ感覚、自分の頭の中に浮かんだ物語や光景を、かきたい!つくりたい!というパッションが人を動かすのです。
あふれ出るパッションを形にするために、自分のできる方法を選択するのです。
ギャグや日常は高度な技術が必要だからエロやCPをかくのではなく、かきたいものがギャグや日常やエロやCP作品だからかくのではないですか。
少なくとも私はそうです。
勿論、実際に技術が必要だな…と感じる作品構成はあります。
私の中でホラーやミステリーは自分の中でかなり技術が必要だと感じるし、エロは人体構造や構図がものすごく大変だと感じています。
勿論自分がよく描くギャグや日常ほのぼのも、表現やストーリー構成に舌を巻く方がたくさんいて、大変な部分や技術や観察・知識の大切さを感じることがたくさんあります。
しかしそこに優劣なんてありません。みんな好きだと思うものを描いているから楽しいのではないですか。
二次創作はさまざまなかたちがあります。
そもそもギャグや日常、ほのぼのやミステリー、ホラー、レポ、めし、歴史などは作品のジャンルであって、CP作品だろうがオールキャラだろうがCPなし作品だろうがそれらは作れるのです。
CP作品とそれらを別個に語るのはなんだかな?どういうこと?と思ってしまうのですよね。
深い作品作りができない人はエロやCP作品しかできない、という論調は、料理ができない人はオムライスや炒飯しか作れないみたいな感じに聞こえるわけです。
いや作れてるじゃん、それでよくない?と。
もし一連のツイートでもやもやを抱えている方がいたら、気にせずいきましょう。
二次創作はパッションです。
一方的だけど確かに愛なのです。
自分のかきたいものを、つくりたいものを、楽しく作れるのが一番です。
そこに優劣はありません。
小説も、絵も、漫画も、短歌も、ハンドメイド雑貨も、ぬいも、評論も、コスプレも、写真集も愛があるから生み出せるのです。
作品や推しから生まれたパッションを形にできる皆さんは本当にすごい。
誰が何と言おうと、それが一番最高なのです。
【今日のひとこと】
バズってるからといって正しい意見だとは限らない。
これ大事です。