東京、そして東京

何か「#仕事での気づき」というタグでのお題企画とやらの投稿記事募集を見掛けた。こういった企画の類に特に興味はないが、最近は特に書くネタもないんで、どさくさに紛れてこの企画に乗じてみる事にしよう。

仕事での気づきといえばやはり「理由はどうあれ、仕事をするなら東京に尽きる」だろう。この国では何を言われようと東京、東京、そして東京である。「日本の全ては東京にあり、東京こそが日本の総て」であるからだ。現代日本に於いて東京以外での仕事は何の意味もなく、只、空しいだけだ。とはいってもそう上手く行くはずもなく、ある程度の妥協が必要な時もあろうが、それでも首都圏内迄である。

仕事をする上で、地方の仕事程空しく、意味のない物はない。地方で仕事をする事は、只、人生の時間を無駄に浪費するだけで何1つ意味はない。それは名古屋であっても仙台であっても同じだ。東京以外で意味があるとすれば、せいぜい横浜ぐらいなもんだろうと思う。

その根拠は幾つかあるが、分かり易いのは「都道府県別最低賃金」である。この差により、地方で幾ら仕事を頑張ろうと、絶対に東京以上に金持ちになれる事はないのだ。分かってしまえば簡単な話である。

例えば、筆者の頃はよく地方では東京を揶揄して「三多摩は田舎」と言われた。これを言ったら申し訳ないが、「東京の田舎の大将」が桧原である今と違って、昔はそれは八王子だった。「東京の恥、八王子」とはよく言ったもんである。しかしよく考えて欲しい。最低賃金は「都道府県別」なのである。ここで大事なのは「如何に田舎の八王子であろうと、八王子みたいな訳の分からんクソみたいな田舎であろうと、八王子もまた東京である」という事実である。何だかんだ言うて八王子は東京であり、何だかんだ言おうと名古屋は東京じゃない。もっと簡単に言えば「名古屋で時給1000円の仕事は八王子でさえ時給1500円」なのである。その上、八王子は田舎なので誰も寄り付かないから家賃も安め。これが分かってしまった時点で、名古屋で仕事なんかやってられなくなる。名古屋で仕事をしても何の意味もないのだ。そして何故か一部の信者から「地方の筆頭格」と言われる名古屋でさえこの惨状なんだから、他の地方ではもっと色々と酷いだろう。

それからもう1つ、それは最近よく言われる「ライフスタイル」とかいうやつ。最近よくある「就活の時期になったがやりたい仕事が無くて困っている」とか、昔よくあったSNSでの「就職しない宣言」とか。やりたい仕事が無いのなら無理して何かをしなくてもどうにかなってしまうのが東京であり、宣言などしなくてもそれが許されてしまう寛容さこそが東京なのだ。

東京以外は全て「無」に等しく、「無」以外の何物でもない。それが日本の現実だ。東京は人生の総てであり、東京だけが唯一の生き甲斐である。


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