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「恋愛しない」は何を失っているの
僕は22年間パートナーができたことがない。誰かと一夜を明かしたことがない。誰かを熱烈に好きになったことは1,2回ほどしかない。僕にとってRelationshipについて経験は「ない」のである。
日記
大学生で所属するコミュニティで、酒の席であれば大体「最近何かないの」だ。そんなものは僕にはない。
少し逸脱するが、僕は誰かを好きだったんだと気づいたのは、高校から大学に上がるタイミングである。いつも横にいた「関係」である異性のことが実好きだったんだ!と彼女のインスタグラムのストーリーに映るTHE男子大学生を見て「嫉妬」した。ある種のposessive的感情が自分の中に出たのでびっくりした。
あと、もう1回は、留学でとある国に滞在していたとき、同じ寮の横の部屋に住んでいた日本人に恋をしたこともある。奥手といえば聞こえがいいただの臆病者は、なかなか話しかけれずに挨拶程度の「関係」であったが、帰国のタイミングぐらいでやっと心を開くことができた。日本人コミュニティで群れたくないと捻くれもプラスされていた自分にも優しく、最終日には一緒に国内を旅行した。ちょっと昔のアーティストの曲をイヤホンを半分こにしながら、バスに乗った。
こんな自分なので、会った人とすぐ「打ち解ける」みたいなことはないし、「リレーションシップ」的な関係を築こうとする前段階の、上述の「好きだ」「この人いいな」と思うハードルが高すぎる。知り合いの異性に真逆の価値観を持った人がいるが、「とりあえず付き合ってから考えればいいじゃん」だそうだ。私は「自分のために時間を使いたい」と言ったら、「だから……(省略)」と返された
これを踏まえると、「酒の席」について喋ったが、私がここでいう「関係」「リレーションシップ」というのはすごく狭い深いものという認識である。マッチングアプリ、高身長、マッチョ、男らしさみたいな記号を超越して、愛そうと思える関係を持ちたい。
同時に、私がこのようなカジュアルデーティングを否定できないのは、私が「寂しい」からである。誰とも一緒に添い遂げたことがないが、そういう「誰々と寝た」がコミュニティ内外で面白おかしく「クダリ」になることに嫌悪+劣等感を抱き始めている
前者の感情は、シリアスな関係しかいらないという「偉い」自分
後者は、22年間生き続けてなおパートナーがいたことがない「惨め」な自分
記述
よく「彼女はいるの」とか「彼女は作った方がいいよ」と、親や研究室の同期、バイト先の上司、先生から聞かれることが増えたから最近よく人との「関係」を考えるんだと思う。でもここでいう関係って色々な糸が絡まってるから何を聞かれてるのか時々わからなくなる。
Relationship:
the way in which two or more people or things are connected, or the state of being connected(2つ以上の人や物事がどのようにつながっているか、またはつながっている状態)
これを上の「恋愛」のコンテクストに落とし込んだとすると、なるほど彼らが言っているのは「Do you have a boy/girl freind?」と、単純にパートナーの有無を聞いているだけだとも思える。
でもやっぱり、それだけじゃないよね。
そこにあるイデオロギーは、「この社会でサバイヴするための伴侶を見つけられてるの」とか「あなたは男らしく魅力的なの」とかそんなことを同時に問われている気がする。他責して言い返すならば、「僕は擦れることなく誰かを愛したい」しそれ以上ではない。
ただ、このなんでも記号化する社会に22年浸っているので、「relationship」が持つ特権的な意味をわかっているし、少し渇いている自分もいるので「惨め」だと思ったに違いない。
でも「関係」を持ったところで、この寂しさって埋まらないんだろうな〜
Bye:)