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「じゃあな地球」のアホらしさの理由の巻

SF短編のつもりで「じゃあな地球」を書いてみましたが、いまいちでしたね。

書いている途中で、だんだんアホらしくなってきて最後まで集中を保つのに苦労しました。

2000字程度の短い作品でもこんな感じなのに長編小説を書いている人の集中力は並大抵のものではないと思うわけです。

さて、シンギュラリティは、関心のある人も多く小説のテーマでもよく扱われていると思うんですが、実際のところこのあたりの考察は研究者が遥か先を言っているので、根拠のないマンガみたいな感じがちょうどいいかもしれません。

実際に根拠を示すことができても、それを理解できて納得できる人がどれくらいいるか、ということにもなりそうです。

このあたりを掘り下げるには長編小説にしないと無理かもしれませんが、それを引っ張るだけの魅力を持った物語はかなり難易度が高そうです。

実際のところ、このあたりの話は研究者の考察の方が面白いと思うんですね。

実際の科学の方が面白いという意味でSFは現実の研究と対抗するのは難しくなっているような気もしますね。

量子力学なんて、そこら辺のSFより不思議で面白いですもんね。

タイムマシンて過去や未来にいく、なんてお話にロマンを感じていた時代が懐かしいです。

最近では”世界線”という言葉を使う人も増えましたが、これってパラレルワールドを前提とした用語ですよね。

ちょっと昔なら「ンなアホな」と言われてしまうような定義ですが、わりと普通に受け入れている人が増えているということなんでしょうか。

考え方自体は大昔からありますが、冗談のように会話のなかで出てくるのはとても面白いと思うんですね。

実に進歩的で革新的ないい時代になったものです。実はとてもクラシカルなんですけどね。

ファンタジィという小説のジャンルが、なんでもありで面白いんじゃないかって以前書きましたが、魔法くらいの”制約”がないと物語が物語として成立しない感じもするんですね。

何か物語のフックとなるようなことが起こっても魔法で解決できてしまうとちっとも面白くないんですね。

「お母さん、死なないで!」

「ご臨終です」

「いやああ」

「チチンプイ!」

「あら、皆さんお集まりでどうしたの?」

「お母さん!よかったあ、生き返って」

こんな話、面白いと思いますか。

願いを叶えるためにドラゴンボールを集めるくらいのことがないと面白くないですよね。

現実の人生でもきっとそうだと思いますが、ある程度の苦労やトラブルはあった方が物語として面白いというものです。

さて、冒頭で触れた「じゃあな地球」は宇宙旅行から20年ぶりに帰ってきたジェームスが”消滅”してしまうまでのお話ですが、砕けたいい加減さとちょっと真面目っぽい話の配合がおかしいので、なんだかアホらしい感じになってしまったんですね。

しかしジェームスって、テキトー過ぎましたね。

いろんなジャンルに寄せて短編を書いていこうと思ってるんですが、もうすっかりブログの宣伝は二の次三の次になってしまっていますね。ま、いいか。


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