短編小説w「初夢」
「あけましておめでとうございます!」
あ、おめでとうございます、と私は軽く頭を下げた。
たまたま玄関から出てきたお隣の春日井さんがニコニコと笑いかけてきたのだ。春日井さんは70代の親切で気の良いおばあちゃんだ。
隣にいた妻も「あ、春日井さん、あけましておめでとうございます」と声をかけた。
ひんやりした空気の中、私達は初詣に行こうとしていた。歩いて10分ほどいったところに地元の神社があるのだ。
私達が、都会からこの地に移住してきてもう3年になる。冬の澄んだ空気はやはり都会とは違うなあ、と毎年思う。
「なんだかんだ言って、年が開けるとやっぱり雰囲気が変わるよね」
妻が周囲を見渡しながらしみじみと言った。去年も同じことを言っていたような気がする。
「そうだね」
私もなんとなく周囲を見渡しながら言った。
山間の小さな集落の外れに私達は暮らしていた。めちゃくちゃ山奥ということもなく、もちろん都会と呼べるほど開けてもいない。程よい田舎という感じが気に入って3年前に移住してきたのだ。
田舎暮らしに憧れて、というわけでは必ずしもなかったが、都会よりも暮らしやすく身近にある自然ときれいな空気を私たちはとても気に入っていた。
近所の人もとても親切で感じがよかった。
これがもっと山奥の方に行くと、色々としがらみが多くなると春日井さんも言っていたから、私たちは丁度よい辺りに移り住んできたということなんだろう。
私達は、ひんやりと張りつめた空気の中どこか厳粛な気分のまま何を話すともなく歩いて神社へ続く階段の前まで来た。
神社は小高い山の上にあり、私達は鳥居をくぐって石階段を登っていった。
「いや運動不足だと足にくるわー」
上の方まで来ると、妻が少しおどけて言った。
階段を登り切ったところで私は感慨にふける。
「ちょうど一年ぶりだよね」
妻の言葉に私も言う。
「同じこと考えてたよ。なんだかんだ元旦しか来ないよね、近いのに」
しかしここまで来るのに誰ともすれ違わなかったな。この地域も過疎化が進んでおり、住んでいる人は高齢者がほとんどだが、しかし、元旦だというのにこの神社の閑散はどうだろう。まあ、元旦の午前中ということもあるが、年明けそうそう出かけるという人も少ないのだろう。しかし初詣の参拝の人が一人くらいいてもおかしくないのに。地域の小さな神社は、まあこんなものか、少しさみしい気もするけど。
とはいえ都会から来た私達にとっては、実は人が少ないということの気楽さはここでの大きな魅力になっていた。
私達は、手を洗おうと参道の脇にある手水舎に向かったが、水は出ていなかった。蛇口をひねっても水は出ない。
「これじゃ手が洗えないね」
私達は、顔を見合わせて肩をすくめた。
参拝する人が少ないからだろうか、神社自体もまるで動きを止めているようだった。
ま、気持ちだから、と私は言い訳するように言って拝殿に向かった。
お賽銭を賽銭箱に入れ、二礼二拍手一礼。
振り返ると、手水舎に小さな人影があった。
一瞬、子供かなとも思ったが、よく見ると小柄なおばあちゃんだった。近所に住んでいる方だろうが、見覚えはなさそうだった。
「何をお願いしたの?」
参道を戻りながら、妻が私に聞いた。
「え、うーん、今年も良い年でありますように、って感じかな。りっちゃんは?」
「願い事が叶いますようにって」
「なにそれ、それじゃ神様わからないんじゃない?」
「えー大丈夫でしょ、神様なんだから」
「うーん、そうかなあ、、」
初詣は基本的に、旧年の感謝を神様に伝え今年の祈願をするものだと思うのだが、妻は願い事がメインだ。
「願い事だけじゃなくて去年のことも感謝しないとダメだよ」
「あ、それはもちろんしてるよ。でも願い事もしておかないと、初詣だし」
まあ、私も田舎に移住するまでは、あまりこういったことに関心がなかったから人のことは言えない。
しかし、都会の喧騒や様々な誘惑から離れてみると、なんだか伝統行事や文化といったものが妙に魅力的に感じられてくるものだ。つけ刃ではあるんだけどね。
で、その願い事はなんなの、と妻に聞こうとしたとき、私は目の前に小さな気配を感じた。
「アケマシテオメデトウゴザイマス、、」
手水舎にいた小さなおばあちゃんが小さく言いながら頭を下げていた。
「あ、どうも、おめでとうございます」
私達は、少し慌てて頭を下げた。
「アソコ、水が出ないんですよね」
私は、なんとなく取り繕うように言った。
おばあちゃんは、なにかモゴモゴ言っているようだったが、聞き取れない。そのまますれ違って拝殿の方に歩いていってしまった。
妻は振り返っておばあちゃんの後ろ姿を見ていたが、ふと思い出したように私を見て言った。
「そういえば、私、初夢見たんだよね」
「そうなんだ、初夢かあ、言われてみれば、今年は夢を見なかったなあ、、でどんな夢みたの」
「それがね、おばあちゃんがニコニコ笑ってる夢」
「おばあちゃん?」
「そう、あたしの」
「りっちゃんの?」
「そう、なんだか不思議な感じの夢だった」
そう言って妻はまた振り返って、すれ違ったおばあちゃんを目で追う素振りをした。
りっちゃんのおばあちゃんかあ、確かもう亡くなってるんだよな、などと私が思っていると、
「ケイちゃん!」
妻が私の腕を引っ張った。
「いない!」また妻が言った。
私も拝殿の方を振り返ってみると、さっきすれ違ったはずのおばあちゃんの姿が見えない。
「あれ? さっきおばあちゃんとすれ違ったよね」
私は妻に確認した。もちろん間違いなくすれ違ったのだ。挨拶もしたし。
「おばけ?」
妻が少し驚いたように言ったが、特に怖がってる感じではない。むしろ楽しそうに口元が笑っている。
「まさか」
私は言った。私も少し驚いたが、叫んで走り出す感じでもない。え、というくらいでよくできた手品を見たような感じだった。
私達は顔を見合わせた。妻は目を輝かせている。
私は、妻があまりにも楽しそう、というかなんだかワクワクしているような感じなので、その空気を壊したくなくて何も話さずに歩きだした。
「いや、なんとなく私のおばあちゃんに似てるなあ、と思ったら、そういえば夢を見たなあと思って、、思い出して、、」
神社からの帰り道、妻は少し興奮しているようだった。
神社の参道でおばあちゃんが消えたのは、確かに不思議だが、考えてみると拝殿の周りには私達からは死角になるようなところが何箇所かあったような気もする。
まあ、だからといってあのおばあちゃんが拝殿の周りの灯籠?や杉の木の影に隠れる理由もよくわからないし、だからといってわざわざおばあちゃんを探しに行くのもなんかね。
いずれにしても妻の中では、今年最初の自身に起こった不思議な出来事ということになったらしい。
家に帰ってから、妻は何やらスマートフォンで調べているようだった。
「ケイちゃん」
調べがついたのか、妻が私に言った。
「ケイちゃん、おばあちゃんの夢って縁起がいいらしいよ」
「へえ、そうなんだ」
「しかも笑ってるのは、なにか良いことが起こる暗示なんだって」
「へえ、よかったね」
元旦から妻は機嫌がいい。何にしても機嫌がいいことはいいことだ。
私は、妻のおばあちゃんには会ったことがない。初夢を見なかった私に妻のおばあちゃんがわざわざ挨拶に来たのかな。んなわけないか。
いずれにしても、なにかいいことが起こりそうな気分にさせてくれた妻の初夢と消えたおばあちゃんに、私は感謝の気持ちが沸き起こっていた。
「ケイちゃん」
感慨に浸っていた私に妻が言った。
「今度宝くじ買いに行こうよ」
りっちゃん、マジだな。
おわり
※)あけおめことよろでございます。色々やっていたら少し期間が空いてしまいました。今年もマイペースで投稿していこうと思っているのでよろしくお願いいたします。