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短編小説w「イガラシ先生」

「だから、いいとか悪いとかね、そんなものはないんだよ」

イガラシ先生は教壇に手をつきながら言った。

イガラシ先生は国語の先生だけど、時々こうして授業を脱線して僕らを楽しませてくれる。

「中学2年生は、中学時代でも一番楽しい時だから楽しめよ」

以前、イガラシ先生は言った。

「中二病にはなっておいた方がいい」

そうも言っていた。中二病?と教室がザワついたが、特殊な病気ではないらしい。

先生も中二病になったことあるの、と誰かが聞いた。

「そりゃあるだろ、というか今でもまだ治ってないかも」

とイガラシ先生が言ったら、「ええー」と後ろの方で何人かの女子が小さな声をあげた。

そういうこともあるよ、とイガラシ先生は面白そうに笑っていた。

僕はイガラシ先生が割と好きだった。面白いし、まだ他の先生みたいに年を取っていなかったから。

「いいとか悪いとかね、そういうものはないんだよ」

イガラシ先生は言った。何を言い出すんだろうと、教室が微妙な空気になった。

「いいとか悪いってね、あくまでも人間が決めたものなんだよ。色んな物事にね、勝手に人間の尺度でいいとか悪いって決めてるだけなんだよ。例えばね、チョークをこうやって下に落とすだろ。、、このチョークが下に落ちるっていいこと?悪いこと?、、、どう思う?、、、、え、悪いこと?、、どうして? じゃあ、ボールだったら?、、、いいこと? なんでだよ! そういうことじゃない。モノが下に落ちるってことは良くも悪くもないだろ。モノはただ物理の法則に従って落ちてるだけだ。そこにいいも悪いもないだろ。究極的には、宇宙で起きていることにはいいも悪いもないんだよ。わかるか?、、太陽系にある地球という星の日本という国のこの学校で起きていることも全て同じなんだよ。すべては一定の法則で起きているに過ぎない。そこにいい悪いは存在しない。地球だって寿命が来ればいずれ粉々に宇宙のチリとなるわけ。そこにいいとか悪い、正しいとか正しくないとかないんだよ。つまり、、、」

キーンコーンカーンコーン!

チャイムが鳴った。

イガラシ先生は教室のスピーカーの方を振り返って、

「あ、チャイムか、、んーじゃあコレ宿題な、、、」と言った。

「ええー」と後ろの方で何人かの女子が小さな声をあげた。

「ジョークだよジョーク」

イガラシ先生が教科書をまとめながら笑って言うと、ふわっと教室が笑顔になった。

休憩時間になり、教室はザワザワとし始めた。もちろんそれは別にイガラシ先生が変な話をしたからというわけではない。

「最後のはなし、わけわかんなかったなー」

イチローが声をかけてきた。

「うん、じゃあ誰かがイガラシ先生をいきなり殴ってもそれは悪くないってことなのかな」と僕は疑問に思ったことを口に出した。

「そういうことだよな」

「自転車を盗んでもいいってこと?」

「そうだよな!」

「イガラシ先生の車に傷を付けてもいいって?」

「そういうこと!」

「いや、ダメだよ」

アハハ、とイチローは笑った。

自信はないけど僕は「人間は宇宙に比べて小さい」とイガラシ先生の話を解釈した。違うかな?

どう考えても、例えば人を殺すこととかは悪いことなんじゃないかな。僕はそう思うけど。でも法律は確かに人間が作ったものだから、人間のルールだと思う。ライオンがシカを殺しても殺シカ罪にはならないから。ということはライオンはシカを殺しても悪くない? 確かに、焼肉定食、じゃなくて弱肉強食って言葉もあるくらいだし。きっと悪くないと思う。でもシカにとってはかなり悪いことだよ。え、どういうこと? やっぱりよくわからない。

「おーい」

イチローが目の前で手のひらを上下に動かしてる。

僕は我に返って、イチローを見返した。

キーンコーン!

チャイムが鳴って、僕とイチローは席に戻った。

次の日、全校生徒は朝礼で体育館に集められた。

なんだか重苦しい緊張感を感じたけど、僕らはまだふざけて笑いながら列を作って並んだ。

校長先生がステージに登壇して話し始めた。

「2年1組の担任の五十嵐宇宙先生が、昨日交通事故で亡くなりました。五十嵐先生は、昨日夜7時ごろ車で帰る途中に、対向車線から無理やり右折してきた車を避けようとした車とぶつかって事故になりました。病院に救急搬送されましたが、残念なことに11時ごろに亡くなったということです。、、」

そのあとも校長先生は色々と話していたが、僕の耳には全く入ってこなかった。

女子の泣く声が何となく聞こえていたけど、聞こえてないようなよくわからない感じだった。

最初は驚きとショックを笑ったような顔で受け止めていた生徒もいたが、徐々に嗚咽と泣き声が広がっていった。

僕はといえば、授業中のイガラシ先生の姿を何度も思い出して、ウソみたいな時間をただ流れるままに過ごしていた。

その夜、僕はイガラシ先生の夢をみた。

イガラシ先生は、いつもと同じように教壇で授業をしていた。

「だから、いいも悪いもないんだよ。死んだってそれは同じだよ。宇宙の中では誰かが死んだってそれは全く悪いことではないし、もちろんだからと言っていいことでもない。どっちでもないんだよ。それはただ、一つの現象に過ぎない。君たちは死んだら何もなくなると思うかな。そうじゃないよ、死んだら別のカタチになるだけ。カタチを変えるだけなんだよ。だから本当は悲しむことはないんだけど、人間がそれを悲しいことだと決めてしまったんだね。それはいいことでも悪いことでもない。実際のところ別れですらないんだけど」

僕は、自分の席に座ったまま号泣していた。涙が後から後から流れて仕方がなかった。

イガラシ先生が僕をみつけて言った。

「ありがとな。泣くのはいいことなんだよ。なぜかって? それができるように人間には泣く機能が備わってるんだからな。泣くことだって生きてるうちにできる大事な経験なんだよ」

「イガラシ先生、、!」

イガラシ先生は、いつものとぼけた笑顔で「じゃあな」と言って、教科書をまとめて小脇に抱えた。

キーンコーン!

チャイムがお寺の鐘のように鈍く響く。

僕は、顔をクシャクシャにして泣いていた。

目が覚めたら、僕の枕は涙でビチョビチョだった。

起きてしばらく僕は泣き続けた。この感情がなんのかはわからなかったけど、涙がとにかく溢れた。

ひとしきり泣いて僕は身体を起こした。

イガラシ先生の夢を見たのはなんとなく覚えていたが、内容はあまり覚えていなかった。

でも僕は、もしかしてそうなのかもと思った。

だってイガラシ先生はいつものとぼけた笑顔で笑っていたんだから。


おわり

※)こういうの、どうなんでしょうねえ。私としてはおもしろいと思うんですけど。読んでくれた方、ありがとうございます。スキ/フォローありがとうございます。励みになります。


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