「積み」は「罪」なのか?
今回は製作とは関係ないお話。
少し前、仕事関係で知り合ったとある知り合いの家にお招きを受けて行った所、驚くべき光景を目にしました。
通されたリビングに行く途中、扉の開いている部屋にふと目をやると大量のプラモデルの箱がズラリと積んである。
「この人も作るんだ…。」元々が趣味から交流を持った人ではありませんし、その人も自分がプラモデルを作ってる事は知らない。
リビングに通され、コーヒーを頂いて談笑する間も「この人、どんなプラモを作ってんだろう?」というのが気になって話が入ってきません。
話が一段落した所で我慢し切れずに思い切って「プラモデルお好きなんですか?」と聞いてしまいました。
その方は笑いながらプラモデルが積んである部屋に自分を招き入れてくれました。
部屋の中にはスケール・アニメを問わず大量のプラモがジャンル別に分けて積まれています。
「仕事を引退したら作りたいと思って買い集めてたのが、もうこんな事になってしまって…」
と言ってふと近くにある箱を手にしました。
手にしたのはロボダッチの「南洋島」!!。
自分も子供時分に作った事のあるキットでしたが、製造メーカーのイマイはとうの昔に廃業、更に金型が残っていたとしてもモチーフがモチーフなんで諸事情(ちび○ろサンボ的な理由)で今後も絶対に再販されないであろう完全な絶版品‼︎。
他にもイタレリのクルセイダーから何処に置くんだっていう馬鹿デカいバンダイのデンドロビウムまで、最近のモノから絶版品と思われるモノまでが、8畳ほどの洋室に押し込まれていました。
よく「X」なんかでこういった「積み」は是か否かといった論争を目にしますが、他人事なので「オレのプラモじゃあ無いしどうでも良いんじゃない」と興味がありませんでした。
まあ、自分の場合は家人に隠れて作っているので一つキットを買ったら完成するまで次を買う事は無いので「積む」という事自体が出来ないのですが…。
でも、この部屋を見て考えが変わりました。
「積み」は間違いなく「是」です。
それどころか、積んでいる人は「もっと積むべき」です。
本来ならばメーカーの倒産や販売終了となったキットは、当時の金型を使用しての再販などがある場合を除き、新たに生産・販売される事はありません。
だから未来のモデラー達は、そのキットを組みたくても組む事は出来ない訳です。
そうした未来のモデラー達がその「未組み立て」のキットを入手する為には問屋や店舗に運良く残っている「在庫」を探すか、「未組み立て」の状態で保管している個人から譲ってもらうしかないのです。
因みにその知り合いは定年退職まで残り僅かですが、あの部屋に積んである量を見る限り、パチ組みでもしないと20年で全てを作り切る事は出来ないでしょう。
では残ったモノはどうなるか?
親しかった人に譲るのか、または中古として市場に流れるか、いずれにせよ未来のモデラーに引き継がれる訳です。
最近のプラモデルはスナップフィット・多色成形は当たり前、接着剤や塗装が前提だった時代から確実に進化しています。
これは一つの文化といえるのではないでしょうか。
即ち、あなたの部屋に無造作に積んであるキット達は未来のモデラーにとっての「文化遺産」なのです。
だから積んでいる人はもっともっと積んで、最後に残ったモノを未来の誰かに引き継いであげて欲しい。
ショップや転売業者に高く売ってでも構いません。
そのキットを未来の誰かが作りたいと思ってくれる限りプラモデルの文化が廃れる事はないでしょう。
…まぁ、積んで無い自分がどうこう言う事では無いですが。