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就職活動の移り変わり①~1910年代から終戦まで~

記事の内容

 今日、大学生が当たり前のように行う就活。
 就職情報サイトで見つけた興味のある企業にエントリーする。企業の説明会に足を運び、インターンにも参加する。面接を行い内定を得たらみんなと同じく4月に入社する。多くの大学生が実際に行っている就活は大体こんなもんだろう。
 では、こうした就職活動はどのようにして今日まで至ったのか。この記事を読むとそのことがわかる。

 早速、就職活動の移り変わりを見ていきたいが、今回は大学生の視点をメインに見ていく。なぜなら、就職活動は大学生が欲しい大企業を中心に変化してきたからだ。
 そのため、自営業者はもちろんのこと、中卒、高卒、女性の視点からの記述は少なくなってしまう。大学生(特に男子)の視点を中心に据えるが、できるだけ多角的に見られるように、様々な視点からのトピックを盛り込んだのでご了承を。

以下、読みやすさ重視のためご了承ください。
※大学設置前は、今でいう大学生に当たるような人のことを大学生としています。
※職業の呼び名に関しても、今一般に呼ばれている呼称のうち妥当だろうと思われるものに置き換えています。他の言葉も現在よく使われているような言葉に置き換えているところがあります。

 説明は以上にして、新卒一括採用のベースができたと考えられる1910年前後から現在までの就職活動の移り変わりを見ていく。

1910年代から20年代

 1910年代半ば、明治維新後の資本主義の発展と第一次世界大戦による好景気で大卒者は国家公務員から会社員・銀行員を目指すようになる。ちなみに、このころの大卒者は全学生の1%程度であり、みな幹部候補生。多くの企業が、その一部の大学生を求め、大学卒業前から積極的にアプローチするようになる。
 しかし、終戦後の不景気とその間の大学生の倍増により、売り手市場から買い手市場へと変化する。買い手市場になることで企業は求職者を見極めるため、採用試験を行うようになる。こうして、この頃に大学卒業前に採用試験を行い、卒業後すぐに入社する今日にまで続く新卒一括採用のベースができた。

 このころ、今日のように自分の気になる企業にボタン1つでエントリーできるわけもなく、約7割が推薦で決まっていた。推薦とは、企業が大学に採用人数を伝え、その人数に応じて各大学が学生を推薦するという方式だ。現在の、高校から大学への指定校推薦に近い。もちろん、人気の企業は人気の大学に多くの枠を設ける。つまり、入学した大学次第で就職できる企業は大体決まる。
 この推薦と親戚・知人のコネの2つが、リクルートなど就職情報産業が登場するころまでの主流な就職経路であった。

 大学生の就活に関しては、23年の関東大震災、29年の世界恐慌などによる不況かつ先行き不透明な状況で、20年代は概ね厳しかった。
 そのため、日雇い労働者となったり、大正末に登場した「円タク」で働く者もいたりした。どちらも当時、エリート意識の強い大学生が働きたいと思う仕事ではなかっただろう。
 また、こうした就職難で就職マニュアル本も多数出版される。内容自体は、履歴書の書き方や面接の挑み方、企業ごとの攻略法など今日出版されているそれとなんら変わりがない。

 これは1900年代後半まで続くが、採用選考の過程で思想のチェックが行われていた。どういうことか。一言で言えば、共産主義者お断りということだ。真偽のほどは不明だが、戦前の様子がよくわかるようなエピソードを紹介する。

面接官「君は資本論を読んだことがあるか?」
学生「読んだことがありますが、どうも難しくて。多分、他の人もそう思うだろうと考え、一刻も躊躇すべきではないと決心しました。」
面「どう決心したんだ?」
学「他より先にこれを処分しないと、古本の値が下がる一方。さっさと売り払いました。」
面「マルクスを売ったか、それは感心!即刻採用!」

30年代から終戦まで

 30年代に入ると、満州事変、支那事変、太平洋戦争と戦争続きで軍需インフレが起こる。こうした状況で、徐々に徐々に男性の労働力が不足していく。そして、女性はその男性の労働力を穴埋めするかのように就職する。
 女性は元々、1900年前後に電話交換手やタイピストとして仕事を得てきた。これは、女性の器用さや対人関係の柔らかさなど女性の強みが職として少しずつ広まってきたわけだが、今回は男性労働力の穴埋めという形で職が広がっていった。しかし、まだまだ女性が仕事をすることに対する差別や偏見は語るにきりがないほど存在する。

 少し余談になるが、私は、北村兼子という人物が好きだ。優秀でありながら、素直で自分の想いを叶えるために努力することができる。彼女が朝日新聞に入社してからは差別や暴力暴言のオンパレード。朝日新聞が特別酷いのではなく、このころ(20年代)は、女性のくせに、女性が活躍するなんてという感情が当たり前だった。
 そんな中でも、新聞社で自分の想いを発信し続けたり、渡欧のためにパイロット免許を取ったりするなど30年弱の短い人生を全力で生きた。詳しく知りたい方には、『未来から来たフェミニスト 北村兼子と山川菊栄』(花束書房)をお勧めしたい(フェミニストという言葉のイメージが変わるだろう)。

 戦争が続くと、労働力不足が深刻な問題となる。ここで、ついに男性であろうと、女性であろうと職業を選ぶということが不可能な事態になる。
 1938年、学校卒業者使用制限令が発令されてからのことだ。これにより、国が戦争を遂行するために必要な企業、つまり軍需産業に優先的に学生を配置することが法律で認められた。学生からしてみれば、就職難からは救われたが、会社を選ぶ権利はなくなってしまった。

 1910年代から終戦までは就職難の時代が長かった。また、推薦かコネが主な就職経路であり、戦争が佳境を迎えると職業選択の自由はなくなった。
 この時代は不況による変化が大きかったが、高度経済成長による好況は別のベクトルにも就職活動を変えていくことになる。

 就職活動の移り変わり②~戦後から高度経済成長期~へ続く。


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