ボランティアを必要としない社会が理想ではないか?

きっかけ

 私は地方の大学に通っている大学生だ。大学では勉強の傍ら、まちづくり(そんなにカッコイイものでもないが…)の活動をしている。そのため、まちづくり関係のボランティアのお誘い、募集依頼を頻繁に受ける。しかし、中には、学生ボランティアのことを都合の良い労働力としか見ていないのではないかと思うこともよくあった。
 ボランティアというものに常にモヤモヤを抱いていたが、読んでくださる方も何かしら感じたことがあるのではないか。利他的、自己実現、無償性、責任の有無など様々な観点からボランティアに対して無限に考えを巡らすことができる。

 私は、ボランティアに対するモヤモヤを社会という大きな視点から捉え、考えてみる。

 近年、日本ではボランティア団体や、ボランティアを行う人が増えている(図1)。進学や就活でボランティア活動の有無について問われることもよくある。みな、ボランティア活動を当たり前のように行い、その活動は称賛される。
 しかし、ボランティア団体が増えること、ボランティアを行う人が増えることは果たして社会にとって良いことなのか?

社会福祉協議会のデータより作成。ボランティア総人数とはボランティア団体に所属している人と個人で活動するボランティアを合わせた人数。

ボランティアを必要としない社会とは?

 では、タイトルにしたボランティアを必要としない社会とはどのような社会か?
 それは、今、行われているボラティア活動が、ボランティアの手から離れて社会システムの中に組み込まれた社会のことだ。
 具体例で説明しよう。例えば、子ども食堂。地域食堂とも言われたりする。ほとんどの団体が子どもの貧困や地域のつながりの希薄化の解決を目的に活動している。つまり、子どもの貧困や地域のつながりの希薄化という社会課題があるからこそ子ども食堂が存在している。
 そして、それらの子ども食堂は地域の住民がボランティアとして運営し、社会課題の解決に取り組んでいるのだ。

 こうした現状に対し、行政が子どもの貧困を制度として支援したり、市場原理に基づき、企業やNPOが貧困がなくなるような社会にしていく。このように、社会システムの中に課題解決のための活動が組み込まれるようにして、子ども食堂がボランティアの手から離れる。このようにボランティアをしなくてもよい(必要としない)社会になることが理想なのではないか?ということがタイトルにある問題提起である。

 しかしながら、図1からもわかるように、ボランティア活動を行う人は長期的に見て増えている。子ども食堂に関して言えば、2012年にカウントを開始して以来、2023年には約9000ヵ所にまで増加している。

ボランティアの本質的な役割とは?

 そもそも、「ボランティア」は、英語の「volunteer」に由来した外来語であり、「volunteer」は、人や社会のために自発的に何か行うことを意味する。
 そこから私は、ボランティアの本質的な役割は「社会の欠陥を一時的に補うこと」だと考える。社会の欠陥とは社会課題の原因のことである。
 社会課題の原因(社会の欠陥)に対し、社会システムが十分に対応できていない時に、一時的にその欠陥を補う役割がボランティアであると考える。

 本質的な役割から災害ボランティアについても考えてみる。どんな災害に対しても、誰が何をいつやるか事前に決めておき、素早く対応できる社会にしておくことができればベストだろう。しかし、いつどこで起きるかわからない災害に対して完璧に対応できる社会にすることは難しい。そこで、ボランティアが一時的にその欠陥を補う。その後、時間が経ち、社会システムとして災害に対応できるようになればボランティアを必要としない社会になる。

 ボランティアは社会の欠陥を補う活動をすると同時に、社会システムを創り上げたり、課題が社会システムの中に組み込まれるように積極的に声をあげていくべきだと考える。これは、ボランティア団体はもちろん、個人でもそうだ。むしろ、個人が何も考えずに活動をすればするほど社会システムに組み込まれなくなってしまう。

 最近話題になっている保護司の問題は、ボランティアの本質的な役割を履き違えている例だと思う。
 保護司とは、犯罪や非行をした人の立ち直りを地域で支える民間のボランティアだ。法務大臣から委嘱された非常勤の国家公務員とされているが、給与は支給されない。
 ただ、保護司の高齢化(平均年齢約65歳)、なり手不足、役割の拡大などさまざまな課題が指摘されている。原因は、ボランティアに頼ること前提の制度を維持していることにある。ボランティアはあくまで一時的に役割を担う存在である。

 保護司には、ある程度、時間とお金に余裕が必要で、バリバリ働く若い世代や中年世代がなり手になれず、高齢化することは当たり前だ。
 そのため、企業に勤めている保護士には有休を取得できるような制度を作ったり、そもそも一定の報酬を与えたりするなどして、ボランティアとしての保護司を社会システムに組み込んでいくべきだろう。

まとめ

 ボランティアの本質的な社会的役割は「社会の欠陥を一時的に補う活動」であり、社会システムで社会課題に対応できるようになることが望ましい。しかしながら、ボランティアが長期的に増加していることは、それだけ社会に欠陥が有ることを示している。だからこそ、今あるボランティアが社会システムに組み込まれ、ボランティアを必要としない社会になるのが理想なのではないか。

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