就職活動の移り変わり②~戦後から高度経済成長期~
終戦と50年代
終戦後、就職口の減少に加え、軍需産業の失業者が溢れまたもや就職難の時代になる。朝鮮特需などはあったものの、戦後から50年代を通して、就職難が続いた。
このころの就職活動に関するトピックを列挙してみる。
・大学生の就職は学校からの推薦がまだまだ主なものだった。そして、大学が夏休みにそろばん講座を開くなど、職業人を育成する機関としての色合いを強めていった。
・銀行・財閥・鉱工業(重厚長大)が人気の就職先。
・採用試験の内容は、筆記・面接・身体検査が主なものだった。そこに集団討論や適性検査(今日のSPIにまで繋がる)が導入され始めた時期でもあった。学生にとって就職難であったが、企業にとっても優秀な人材を確保することが難しく、試行錯誤する様子が伺える。
・採用にあたり、資質や健康の項目を重視していたが、それと同じくらい思想も重視していた。身辺調査が行われ、内定取り消しの事態にまで発展する者もいた。
・履歴書が毛筆縦書きからペン字横書きになる。
・女性の就職先がCAや幼稚園の先生、栄養士まで広がる。これは、大学の教育学部、看護学部、家政学部がそれに特化した機関として地位を得たためだ。しかし、これ以外の職では大きく状況が好転したわけではなく、常に女性は就職難であった。
50年代後半、理系を中心に就活状況は好転するものの、戦後から50年代は多くの大学生にとって常に就職難の時代であった。そのために、大学が就職に有利になるような取り組みをしたり、企業は採用選考に工夫を加えたりするなど、苦境時の生き残り戦略や時代の変化が見て取れる。
高度経済成長期
多少の変化はありながらも概ね就職難だった50年代と打って変わり、60年代、高度経済成長期の好況と産業構造の変化は就職活動を大きく変えた。大学生側から見れば求められる人材も変化した。
まず、就職活動の変化について。
好景気により求人数が増加し、50年代後半にはせいぜい7割程度であった就職率は9割程度にまで上昇する。
こうした好況で、企業は早くに優秀な人材を確保するために早期採用に勤しむ。戦前からの就職協定により就活の時期と言えば、大学4年生の秋冬というのがこれまでの慣例であった。しかし62年、ついに日経連は、採用活動野放し宣言を行う。これにより、採用試験は夏休みを越え、3か月早まる7月から公に行われるようになる。
それ以降、高度経済成長期の最中、早期採用は加速していく。こうした売り手市場による恩恵は多くの大学生にまで行き渡った。
次に産業構造の変化について。
高度経済成長期が始まるちょうどそのころ、第3次産業人口が第1次産業人口を追い越した。
新興ビジネスの営業職・販売職には、行動力やコミュニケーション能力が求められ、企業側もそうした点を選考の重要項目にするようになる。
こうした変化の中で政治活動を行う学生の見方も少しは変わる。これまでは、共産主義に感化され政治活動に熱心であることは致命的な欠陥とされてきたが、無気力で活動的でないよりは、政治活動であれ活動的な学生を好む企業も出てくる(もちろん、まだまだそうした学生への風当たりは厳しい)。
これらの変化は、大学のキャリアセンターの地位を揺るがすことにもなる。
先にも述べた売り手市場と産業構造の変化によりこれまで、一部の人気大学にしか枠がなかった人気企業への道がそれ以外の大学生にも広がることとなる。あるデータによれば、成長産業より停滞産業の方が高学歴化しているという傾向もあった。
また、62年からリクルートブックが始まったように、就職情報産業の台頭も見逃せない。
つまり、大学生からすれば大学に頼らずとも就職活動を行うことが容易になり、むしろ大学に頼っていては就職活動に出遅れてしまう可能性もあった。こうした背景により、大学のキャリアセンターの地位が揺らぎ始める。
次に、中卒者・高卒者について。
60年代後半ごろ、進学率の上昇により、高卒者数が中卒者数を上回った。
就職経路について中卒者は職業安定所からの紹介が5割、コネが3割、高卒者は学校からの紹介が8割を占めていた。こうした体制になった要因については、高校までは学校が面倒を見て学業に専念してもらうためなど言われているが、個人的にはもう少し深堀したいと思う。
どちらにせよ、このころに中・高・大がそれぞれの経路で一気に4月に入社する新卒一括採用が完成に向かった。
その中で、集団就職する学生の姿もあった。高度経済成長を支えた若年労働者、特に中卒生は金の卵と言われた。金の卵という言えば聞こえは良いが、中学を卒業してすぐに親元を離れて都会で働くことがいかに厳しいものかは想像するに容易い。はっきりしたデータはないが、彼らの離職率は高かったと言われている。
連続殺人犯で有名な永山則夫も集団就職組の一人だ。北海道から上京するものの、なかなか定職に就けず、経済的にも人間関係にも満足な生活を送ることができなかった。もちろん彼の行いを肯定するつもりはないが、彼のような経済と人間関係の貧困にあえぐ存在がいたことも忘れずにいたい。
採用活動の移り変わり③~1970年代から現代~へ続く。