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意識高い系に負けない!低意識ランナーの美学

最近、街を走る人たちを見ていると、やたらとキラキラした意識高い系ランナーが増えている。最新のウェアに身を包み、ランニングフォームは完璧、スマートウォッチで心拍数をチェックしながら、無駄のない走りを追求している。健康第一、自己管理、人生設計、ついでにSNSに映える写真をパシャリ。まさに「走る人間サプリメント」だ。

しかし、ちょっと待ってほしい。我々、低意識ランナーの存在も忘れてもらっては困る。こちらは全力で逆方向に走る。ゴールはどこか?健康?そんなの知らん。目的は?なんとなく、なんだよ。走る理由はいたってシンプル。家にじっとしてるとソファに吸い込まれそうだから、とか、なんとなく一日のリズムをつけるためとか、気が向いたから走っているだけだ。そんな感じのユルさが、低意識ランナーの最大の魅力なのだ。

朝早く起きてストレッチ?そんなの必要ない。朝食前に軽くランニング?まずは寝起きのコーヒーが先だ。朝の目覚めの一杯に勝るランニングなど、この世に存在しない。走る準備?半分寝ぼけたまま、パジャマから抜け出したジャージでOK。シューズはクローゼットの奥から見つけた何年ものかもわからない謎のスニーカー。なんかもう一体感あるし、これでいいのだ。

走るコース?毎回気分次第。風の吹くまま、気の向くまま。スマホのGPSアプリ?そんなのは邪道だ。心のままに走る。もし道に迷ったら、それは新たな冒険の始まりだと思えばいい。ガチ勢が掲げる「ペース配分」や「ビルドアップ走法」?こちらには「まぁ、そろそろ帰るか走法」がある。走るか歩くかの境界線も曖昧だが、それが低意識ランナーの美学というものだ。

意識高い系が掲げる数字とデータの世界とは違う、私たちのゆるさは、日常の隙間に忍び込むような走り。無理しない、追い込まない、のんびり行こうぜ精神だ。結果なんて二の次。とにかく続けることが大事だ。いつかのマラソンでゴールしようが、しなかろうが、そんなのは枝葉末節。走る理由は、健康でもダイエットでもなく、ただ「そこに道があるから」という、まさに低意識の極み。

そんな私たちの低意識ランナーライフには、独特の自由と解放感がある。目指すのは結果じゃなくて、その日の気分次第の走りだ。意識高い系のランナーがSNSでタイムを競い合っている間、私たちは気楽に道端の花を眺めたり、カフェの前で立ち止まってコーヒーの香りに癒されたりしている。走ること自体が楽しければそれでいい。数字に囚われず、フレキシブルに楽しむ、それが我ら低意識ランナーの美学なのだ。

さて、今日も特に目的もなく靴ひもを結ぶ。とりあえず外に出れば、風がどこかに連れて行ってくれるだろう。走りながら「あー、こんなもんでいいや」とつぶやく瞬間こそが、最高のゴールなのだから。

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