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108の煩悩とトレイルランニング

仏教には「108の煩悩」があると言われますが、その内訳には六根や時間の観念が関係しています。六根とは「眼・耳・鼻・舌・身・意」の6つの感覚器官で、これらが刺激されることで欲や迷いが生まれるという考え方です。そして六根に「過去・現在・未来」の時間観念が加わり、さらに「好(こう)=好き」「悪(あく)=嫌い」「平(へい)=無関心」といった反応が絡んで、合計108通りの煩悩が生まれるとされています。108回の鐘をついて煩悩を払い清める年末の風習も、この数え方に由来します。

さて、トレイルランニングにこの「108の煩悩」を当てはめるとどうなるか。トレイルの道を走り抜ける中で、実は全ての煩悩が次々と顔を出し、まるで修行のような体験をもたらします。ここでは、トレイルランの具体的な場面と共に煩悩を見ていきましょう。

1. スタート前の煩悩

まず、朝のスタート地点で早速「怠惰」の煩悩がやってきます。冷たい空気や小雨が降っていると、「今日はやめておこうかな」と心が囁く。でもここで負けたら、ソファとポテチの誘惑に一生勝てない気がする。「眼」から入る雨や「身」に冷たい風が吹き付け、感覚が怠けたい方向に引きずられます。渋々、靴紐を結びながら「俺って物好きだな」と自虐しつつスタートするのです。

2. 登り坂での「比較」と「嫉妬」

道が険しくなってくると、「比較」や「嫉妬」という煩悩が次々に現れます。「あの人、なんであんなに速いの?」と先行するランナーと自分を比べ、「俺だって走れるはず」と気持ちを奮い立たせる。しかし、実際には息も絶え絶え、ペースは上がらず「俺には無理かも」と自己嫌悪の煩悩が混ざってくる。これは「眼」で他のランナーの姿を見、「意」で比較をしてしまうからです。

3. 鈍い「貪欲」と味覚の「渇望」

走っているうちに、急にカレーパンの味が頭をよぎります。これは「舌」と「意」の煩悩、すなわち味覚と欲のコラボです。「ふもとの商店で買ったカレーパンを食べたい」という妄想が膨らみ、ついつい寄り道してでも戻りたくなる衝動に駆られます。「ゴールしたら買いに行く」と言い聞かせても、脳内ではカレーパンの香りと味がリアルに漂ってくる。「今、腹が満たされていたら…」という欲望がふと浮かぶ瞬間です。

4. 急な下り坂での「恐怖」と「怒り」

山道の急な下り坂に差し掛かると、「恐怖」と「怒り」の煩悩が心を支配します。「こんな急な道、誰が設計したんだ!」と心の中で悪態をつき、怒りながら慎重に足を進めますが、同時に転倒への恐怖がじわじわと膝を震わせます。「耳」には風の音、「眼」には険しい岩場が映り、「身」には滑りやすい感触。まさに全身の感覚が緊張状態となり、心の中で怒りが煮えたぎるのです。

5. 頂上手前の「慢心」と「自己陶酔」

頂上に近づくと、「慢心」や「自己陶酔」の煩悩が忍び寄ります。「俺、結構やるじゃん?」と心の中で勝手に自画自賛してしまい、余裕を出そうとしてペースを上げた瞬間、岩につまずいて転倒。膝を擦りむいて苦笑いし、「調子に乗るな」と自分に言い聞かせます。周囲の景色も目に入らず、ただ「意」の煩悩が自分を奮い立たせ、少しでも早くゴールへ行きたいという欲に変わっていきます。

6. ゴール目前の「後悔」と「疑念」

ついにゴールが見えてきたと思うと、最も厄介な煩悩が顔を出します。「なんでこんな苦しいことをやっているのか?」「普通に休んでいればよかったのでは?」という後悔の波。全てが終わる寸前で、心に「未来」への疑念が湧き上がります。疲れ切った「身」や喉が乾き切った「舌」、そして頭の中では「俺の足、明日大丈夫かな?」と心配になる「意」の煩悩が渦巻きます。

7. ゴール後の「執着」と「迷い」

ゴールを切った瞬間、全ての煩悩が晴れる…わけではありません。むしろ、達成感と共に「執着」が残ります。「この達成感、また味わいたい」という思いと「もう二度とやらない」という迷いの間で葛藤が始まります。翌日の筋肉痛や足の痛みも全て「意」の煩悩。疲れが引かぬうちに次のコースを検索し始める自分に気づき、「俺は本当にこれが好きなんだろうか?」と自問自答するのです。

こうして108の煩悩をすべて味わい尽くし、まるで修行僧のように道を駆け抜けていくのがトレイルランナーです。煩悩を払い清めるどころか、その全てを噛み締めながら前に進む姿は、ある種の悟りに近いのかもしれません。そして煩悩が消えたと思った矢先に、また新たな欲や迷いが浮かび上がり、気づけば山のコースをまた走りたくなる。

トレイルランニングは、煩悩との戦いではなく、煩悩と共に歩む修行の道なのです。

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