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馬場大門欅並木とシンクロニシティ。心の支えであったけやきの大樹。

シンクロニシティが起こっている。


旧正月。今日はひとり大國魂神社へ。
実は人生初。武蔵国に産まれたからには行っておきたい神社だった。

府中駅を出て少し進む。するとそこには、
懐かしさを覚える気配があった。

おかえり、と。

初めての場所で、「懐かしい感じ」はあっても、本当の懐かしさとは違う。でもこれは本物の懐かしさ。何故!?
周りを見渡すと、理由はすぐにわかった。
場所ではなく、樹木の気配だった。

そこに在るのは、欅。

古木と次世代の木とが入り混じった、欅並木。その古木たちの気配を懐かしく感じたのだった。真冬なのにあたたかな風が、木の香りを運んできた。


生まれ育った街へ繋がる。


数日前に話を戻そう。

noterさんの記事のなかで、わたしの育った街の教育について紹介されていた。調べると、かつて世話になった人や場所が次々と…そうするうちに出身小学校のnote記事にたどり着いた。
そこでわたしが見たのは、衝撃の知らせだった。

 本校は、学制発布直後の1873年(明治6年)1月に開校して以来、152年の歴史とともに歩んできた「けやき」が校庭の真ん中にあります。「けやき」は本校のシンボルツリーとしてだけでなく、地域にも愛される存在で、美女木の御神木とも呼ばれてきました。
令和6年7月24日 12:40頃に発生した落雷を伴った突風の影響により、シンボルツリーの「けやき」が倒れてしまいました。夏季休業中に発生した事案でしたので、幸い、けが人はいませんでした。
倒木して、けやきが伐採されるまでの1週間に、けやきに対して弔問に訪れた方々は500人を超えました。けやきに手を合わせながら、涙する方もたくさんいらっしゃいました。美谷本小のけやきと一緒に歩んでいったことを重ね合わせた様子であると捉えました。

戸田市教育委員会note

ランドセルを背負い通った学び舎には、いつもこの大きなけやきの木があった。 
あの頃は、けやきの木の幹に全身でへばり付いて遊んだ。子どもなら5〜6人が手を繋いでやっと1周手が届く太い幹。
6歳から12歳の6年間、喜びも悲しみも受けとめてくれたあの大樹。
大好きなけやきの木。

あの木が、倒れた……!!

いつまでもそのまま在ると思っていた。
命あるものだからいつかは倒れる。でも……
あのけやきだけは倒れないとわたしは信じていたんだ。


導かれるように大國魂神社へ。


行き先を決めたのは今朝。
他に参拝する候補はいくつかあっだけれど、何故かふっと心が決まった。
「大國魂神社、行こう」
交通アクセスを調べると、最寄り駅は2つ。
家から最短ルートは府中本町駅。
神社の参道を通るルートは府中駅だが遠回りになる。
少し考えて、参道を通ることにした──

後から考えると、府中本町駅からの近道ルートを選んでいたら欅並木にも出会わなかった。遠回りのルートは必然だったらしい。


シンクロニシティは続く。

馬場大門欅並木については、恥ずかしながらその存在すらも知らなかった。
小学校の、美女木のけやきの記事も少し前に発見したばかり。

──おかえり。

美女木のけやきは、今もわたしの心に生きている。 今日出会えた欅並木には、これからも何度も会うことになる。
でも今日だけは。
けやきのための涙を許してください。


そしてもうひとつ、出会いがあった。
帰りにうっかり入ってしまった府中駅の書店にて。
題名も著者もわからず探すのを諦めていた本が、書店員に推されていた。
もちろんわたしの本棚にお迎えした。

樹木たちの知られざる生活/ペーター・ヴォールレーベン


読んでくれて、ありがとう。















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極夜
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