【小説】ある技官、その妻とトキのぬいぐるみ 第7話
第7話 きいちゃんが飛べたなら
みなさん、こんにちは。美花です。
私は、平日の朝夫を送り出すと、基本1人です。というか、夕方あるいは夜までずっと1人です。結婚して夫の転勤についてきて初めて住む土地ですから、友達も知り合いもいません。親戚は故郷のあたりにかたまっているので、こちらには1人もいません。
さみしいでしょ? と聞かれれば、さみしくないとは言えません。正直、孤独です。けれども、変化がありました。そう、トキのぬいぐるみのきいちゃんの存在です。
きいちゃんは、我が家にやって来た次の日にこんなことを言い出しました。
「あっちゃ、いないいない」
「あっちゃんは、お仕事に行ったんだよ」
「あっちゃ、オシゴト、オシゴト、なに?」
私は答えようとして、え…どうしよ……と口をぽかんと開けたまま静止してしまったのです。
私は子供を持ったことがありませんし、姪や甥もいません。演劇人だったとき独身率が異様に高かったのでまわりに子持ちがほとんどいなくて、私はこれまでの人生で子供と接したことがなかったと気付き愕然としました。
きいちゃんは、私のまぬけな顔がおかしいらしくキャッキャと笑い出します。
「あのね、あっちゃんはね、パソコンでお仕事してるんだよ」
私は夫の仕事についてほとんど知らないので、イメージでそう言いました。きいちゃんは首を傾げます。(実際は動かないけれど、そういう風に見えるから不思議です)
ほら、これこれ、と私は自分のパソコンを指差しました。きいちゃんは、わかったのか、「うんうん」と言います。
「あとね、駐屯地を見回ったりしてるんだよ」
「チュートン…? ミマ…?」
「駐屯地はここからすぐのところだよ。えーとね」
私はきいちゃんをだっこしました。ぬいぐるみの体はふわふわで、なでなでしたくなります。そしてそれから、窓のところへ行きます。ガラス越しに見えるのは、缶車の隣の棟です。その四階建ての建物の向こう側に、ひょこりと円盤のようなものが付いたタワーのてっぺんが見えています。青空を背景にしてとても目立っています。その高いタワーは駐屯地に立っているものなのです。
あの円盤が付いたタワーの下に、あっちゃんがいるんだよ、と説明すると、きいちゃんは「うんうん」と言います。ほんとにわかっているのかな?
バサバサバサッ バサバサッ
バサササッ
その時、窓のすぐそばを鳥が飛んでいったのです。はばたく翼は力強い音をさせーーー
「きゃあぁ」
きいちゃんが騒ぎ出しました。私は窓ガラスを開け身を乗り出し、
「鳩だよーー」
と言いながら、きいちゃんの体を鳩の方へ向けました。すると、きいちゃんはおとなしくなりましたが、ガラス玉のような目がキラキラと光っているように見えます。
鳩は向こうの缶車のベランダでちょっと休んだかと思うと、屋上(人間が出られるようにはなっていません)に留まったり、うちの棟の踊り場の方へ飛んでいったり……
バサバサバサッ バサバサッ
バサササッ バササッ
「きいちゃんも、きいちゃんも」
「きいちゃんも飛びたいの?」
「うん。きいちゃん、バサバサッ…バサバササッ…」
きいちゃんは一生懸命、自分の白い翼を動かしているつもりらしく、「バサバサッ、バサバサッ、バササッ」と言葉で飛ぶ音を真似するのでした。
「どうしてきいちゃんは飛びたいの?」
「きいちゃんとぶ、タワーのチュートンチいく、あっちゃいる」
うわあぁ、これ、あっちゃんが帰ってきたら教えてあげよ。きっとすごく喜ぶなぁ~。
「バサバサッ、バサバサッ、バササッ」
繰り返し、きいちゃんは翼の音を口真似するのでした。