【小説】ある技官、その妻とトキのぬいぐるみ 第2話
第2話 帰宅すると
今日は火曜日。会議が2つもあった。私は疲弊している……。やれやれ……。仕事を終え帰ることにするか。
駐屯地の自分の机から缶車(※注:誤字ではありません)のドアまでは徒歩17分ほどかかる。「ほど」と付けたのは、信号に引っかかることがあるためだ。引っかかると、1、2分プラスされる。
運動不足解消のため、往復34分ほど歩くことはいいことだと思う。
通勤のちょうど中間地点にコンビニがある。今日は寄ろうかどうしようかと迷う。妻にスイーツを買うか買わないか……。やれやれ、仕事のことで頭がいっぱいだったから忘れていたが、帰るとなると妻のご機嫌が気にかかる……
なぜなら我々夫婦は先週末、結婚して初めて喧嘩をしたからである。独身のころの俺だったら、実にくだらない喧嘩だと鼻で笑っていただろう。だがしかし、今回の場合は……
しまったぁ! 考え事をしながら歩いていたせいでコンビニを通り過ぎてしまった。もうほとんど缶車の近くまで来てしまってるじゃないか……
…しかたない。今日はこのまま手ぶらで帰るとするか……。なんとなく気が重かあ……
鍵を回しドアを開け、大きめの声で言う。
「ただいまー」
「おかえりなさーい」
「おかえんしゃーい」
いつものように妻が返事をしてくれ…んん⁈ 今、妻の他にもう一人の声がしなかったか⁈ もしかして、他の缶車の奥さんが遊びにきているのだろうか? まだ転勤してきたばかりだが、妻はおしゃべりが得意だから、もう仲良くなったのかもしれない。いや、待てよ。なんとなく、子供の声だったような……。咄嗟に玄関に立つ自分の足元のまわりに目をやるが、お客の靴らしきものはない。どういうことだ?
俺は余所行きの顔のまま部屋へと入っていった。きょろきょろとしてみるがお客はいない。
台所に立ち横顔のままの妻が、
「今日は早く帰れたんだね」
と言う。「うん」と言いながら様子を伺うが、なんとなく機嫌がいいように感じる。あれ? 喧嘩のことはもうよくなったのかな?
いつものようにリュックサックからお弁当の包みを取り出し、「ごちそうさま」と言いながら電子レンジの上にのせる。ん? 俺は振り返る。なんとなく視線を感じたからだ。
もちろん、誰もいない……
妻がちょっと弾んだ感じの声で言う。
「今日さあ、届いたよ」
「え?」
「それがさ、充電器が入ってなかったんだよねぇ。問い合わせ入れてもらえるかな」
「なんのこと?」
「え、だから、あれの」
「あれ?」
手を止めて妻が俺の顔を見る。見たあと、その視線をテーブルの方へ移したので、俺もそちらへ視線を移す。んん! おっと、あれか!
テーブルの上に、トキのぬいぐるみが立っていた。真っ白なボディに赤い顔、赤い2本の足、嘴は黒く先端だけが赤い。本物の朱鷺より小さいし、だいぶまるっこい体をしているが。
「もう届いたんだ。早かったな」
と俺が言うと、妻はそれが彼女の特徴である何かに興味がわいた時に見せる、まさに瞳をきらきらとさせる笑顔で、こう言った。
「今のAIってすごいんだね。この子、もうあたしの名前覚えちゃったよ」
俺は妻が何を言い出したのかさっぱりわからんばいと思い、言葉を探している間に、小さな男の子の声がこう言うのが聞こえた。
「みぃかぁ…ちゃー…ん」
俺はぎょっとした。トキのぬいぐるみが喋った⁈ そ、それも妻の名前を呼んだようだ……
「ね、かわいいでしょお」
と、妻はご機嫌である。
「あ、ああ……」
俺はなるべく笑顔になるように頬の筋肉を意識し返事をした。だがしかし、困ったことになった。俺がアミゾンのショップで注文したのは、ただのぬいぐるみだった筈だ。それが喋るなんて……。もしかしたら、10とか20だけ言葉を覚えるとかなんとかいう類の商品を間違って送ってきたのだろうか?
妻はトキのぬいぐるみに話しかける。
「この男の人は、敦、敦、あ、つ、し。言える?」
しかし、トキのぬいぐるみは微動だにしない。が、妻は瞳をきらきらとさせ待っている。
俺はおそるおそる言ってみた。
「これが入っていたダンボールは?」
「潰したよ」
「取説とか入ってなかった?」
「うん、なんにも。充電器もなくってさ。だから、充電が切れちゃったら喋らなくなっちゃうでしょ? この子」
「ああ、うん……」
実はただのぬいぐるみを購入したと言ったら、妻はがっかりするだろう。実際に購入した商品と交換ということになるのだろうか? どうしたものか……
「ごめんね、あっちゃん」
と、妻が急にしおらしくなって言う。
あ、あっちゃん、って呼んでくれたばい。よかぁ〜。喧嘩してから2日間、そう呼んでくれなかったから……。しかし、俺は冷静な男ばい。冷静に話す。
「ん? なんで謝るの?」
「あたし、あんなに怒っちゃったから……。ネコかペンギンじゃなきゃ嫌だって。確かに人気があってかわいいけど、みんなが持っているから平凡だったね。この子、個性的だし、よく見るとかわいいもん」
「そうばい。かわいいばい」
「もう、買わなくなったと思ってたのに、あっちゃんが探して、この子をアミゾンで買ってくれてたんだね。ありがと」
俺の頬はちょっとゆるむのだった。と、その時、
「かわいいもん…かわいいばい…このこここ」
と、トキのぬいぐるみが喋ったのである。小さな男の子の声だから、かわいらしい。
「きゃあ♡ すっごーい。今覚えたの? 標準語も九州弁も覚えちゃった。このトキ、天才⁈」
妻は大喜びである。俺は、正直めちゃくちゃ驚いた! ところが、奴は更にこう喋ったのである。
「ああっちゃっ…あっちゃ…」
「こ、こいつ、鳥の分際で俺を気安く呼ぶんじゃない」
「あっちゃ、ああっちゃっ、あっちゃ……」
妻はいたずらっ子のような顔でこう言う。
「あっちゃんとこの子、いいコンビになりそうだね」
じょ、冗談じゃなか。口には出せず心の中で叫んだ時、トキの奴はこう言った。
「あっちゃ、おしごと、おつかれ…さま、おつかれさま」
おお⁈ なかなか気の利く鳥じゃないか……
トキの小さな顔に目をやると、ガラス玉のような目でじっと俺を見ているような気がする。とても澄んだ瞳だった。それによく見てみると……。おおお! そうだった、そうだった。ネットで目を引いたのは、この鳥の、赤と白の配色だったのだ。
赤と白ーーー
まさに、N国の国旗の配色である。紅白でめでたいし。よかねぇ~。
「こいつの名前、コウハクにしようか」
と俺が興奮気味に言うと、妻は呆れた顔をして、「ああ、そういうこと」と呟いたあと、「やだ」とはっきり一言だけ言い台所に戻ったのである。
このようにして、防A省勤務の私、筑後川敦と妻、美花とトキのぬいぐるみ(名はまだない)の非日常的な日常が始まったのである。
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