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【小説】ある技官、その妻とトキのぬいぐるみ 第11話

第11話 転勤族の夢の缶車

「荷物増えたばい」
 という私、筑後川のたった一言がきっかけでした。
 休みの日になんとなく室内を見回して、ああ、冷蔵庫も大きくなったものだなぁ…と眺め、しみじみとしました。
 その他に増えたものと言えば、ダイニングテーブルセットがあります。これは籍を入れてすぐの転勤でこちらに引っ越してきてから購入したものです。今後引っ越しの度にかなりかさばる荷物になりますが、妻と仲良く食事をとったりテレビを見たりするため必要ですから、よしとしましょう。
 もう1点、私が生まれて初めて購入したものがあります。レースのカーテンです。そんなヒラヒラした頼りないものが必要だとは幼少期から結婚するまで脳裏に浮かんだことすらありませんでした。しかし、妻はカーテンを開けたら室内が丸見えになるし、日焼けしちゃうから(すでに普通のカーテンがあるのに)レースのカーテンもいると譲らなかったのです。
 初めての遭遇した価値観。これが他人と結婚し共同生活をするということなのでしょう。
 お。いい風が……
 たった今、窓から心地のよい風が入り、レースのカーテンが頼りなくヒラヒラと(※あくまでも筑後川敦の感受性によるものです)揺れています。まさか自分がこのような体験をするとは夢にも思いませんでした。
「あっちゃ、かぜ、きもちーね」
 ダイニングテーブルの椅子に座って、いや椅子に立っているトキのぬいぐるみのきいちゃんが、人間の男児のような声で言います。
「そうだね、きいちゃん、気持ちよかね。そういえば、きいちゃん、風わかるんだね?」
「わかるぅ、きいちゃん、かぜわかるぅ。そよそよ、そよそよそよぉ~」
「そよそよ、かぁ。なるほどなるほどぉ~」
 私はいい気分になって、読書をしている妻の背後に近づきました。せっかくの休日ですから、リラックスリラックス…です。何気なく妻のエリアを見回すと、あちこちに本が積まれているのが目に入ります。
 ほんとうにどうっていうことなく、私は冒頭でご紹介した言葉を口にしていたのです。
「荷物増えたよね」
 あれ? 美花ちゃん、何も言わないな……
 本から顔を上げ振り向いた妻・美花は眉毛を下げ困った弥生人のような表情を浮かべます。それは明らかに、何か言いたいけど言わない表情でありまして……
 まずい。そ、そういえば、美花が小さいフライパンが欲しいと平日に言ったから休みの日に見に行こうと約束していたのに、忘れていたぁ! きっと美花は、俺が「荷物増えたよね」と言って、新しいフライパンを購入して我が家の荷物が増えることをやんわりと阻止した、と勘違いしたのではないだろうか?
「美花ちゃん、ニ〇リ行こうか?」
 と私が言ったのと同時に美花はこう言ったのです。
「ほんとだね、ぬいぐるみも増えたしね」
 言ってから美花はちらりときいちゃんを見ます。
「わっ!」
 と小さく叫んでから私は口パクで「きいちゃんが聞いてるぞ」と言って、慌てて抗議しました。しかし、美花はツーンとそっぽを向いてしまいます。私達の様子をじっと見ていたきいちゃんは、何か不穏なものを感じ取ったのでしょう。
「ぬいぐるみって、なになに?」
 と訊いてきたのです。そう。きいちゃんは、自分がぬいぐるみだと知らないのですよ。
 ドキドキドキ……
 私は困って美花の顔を見ました。すると妻の美花は本棚に置いてあった古墳のぬいぐるみを大事そうに手に取ったのです。
 皆さん、古墳のぬいぐるみですよ! 緑色のビロードのような生地でつくられたそれは、妻が独身のときから大事にしているものです。私は日本人ですが、そんなものは生まれて初めて見ましたよ。
 ぬいぐるみと言ったら、クマとかイヌとかネコとか基本動物をかたどったものであり、見てかわいい、触ってかわいい癒しのグッズ。古墳のぬいぐるみで癒されるという人がいったいどこに……、いるんです、目の前に……
 美花が今手にしているのは、古墳は古墳でも前方後円墳のぬいぐるみです。皆さんも、教科書などで一度は前方後円墳を目にしたことがあるでしょう。鍵穴のような形といったらいいのか、丸と四角をつなげたような形というべきか。その前方と後方のつなぎ目のあたりのくびれのところに左右から手を当て、美花はじいっと古墳のぬぐるみを見つめます。小さめな唇の両端がきゅっとあがっていて…、つまり、微笑んでいるのです。
 嬉しそうな表情のまま、美花はきいちゃんに近づいていきます。きいちゃんは喋れるけれど、動けないからです。
「きいちゃん、これがぬいぐるみだよ」
「ぬ、い…ぐる…?」
 じいーーっと古墳のぬいぐるみを見つめるきいちゃん。
 ぬいぐるみのトキのきいちゃんに、ぬいぐるみの古墳を至近距離で見せているという、なんともシュールな絵になっているではありませんか。
 きいちゃんは、果たして自分と古墳が同じような造形物だと気付くのでしょうか?
「これなあに?」
 きいちゃんが美花に質問します。
「古墳だよ」
「…こ…ふん???」
「お外にあって、小さな山みたいなものなんだよ」
「おそと、ちいさな、やまやま」
 ううむ。間違ってはいないけど、なんとも的外れな説明です。私が「これは、昔のお墓だよ」と言いかけた時、美花が「かわいいぃ♡」と言って、古墳ときいちゃん両方をまとめて一緒にぎゅうううっと抱きしめたのです。
「くっ、くっ、くるしよー、みかちゃ、やめてやめて」
「あー、ごめんごめん、ついかわいくって」
 美花は抱きしめ力りょくを100→60にします。あ。美花はごまかしたな。と思いました。きっとお墓の説明をきいちゃんにするのが面倒なのでしょう。
 美花はにこにこしながら言います。
「古墳観に行こうね、三人で」
 きいちゃんは、「わーいわーい」と嬉しそうです。
 おや? ぬいぐるみの話はどこへ行ったのでしょうか? まあ、よかばい。うまく話が反れてよかよか。きいちゃんも、自分が古墳と同じぬいぐるみだと気付かなかったわけだし。そうだよなぁ、古墳と鳥じゃあまりにも違うから、それがよかったんだなぁ。などと私が安堵していますと、美花が話をぶり返してきたのです。
「まったくさぁ、何が増えたっていうのかねぇ? きいちゃん」
 ふいに美花はきいちゃんに向かってこうふったのですよ。せからしか~……
 きいちゃんは黙っています。もしも、きいちゃんが動けるなら、きっと首をかしげて見せたりするのでしょう。美花は古墳のぬいぐるみを本棚に戻し、きいちゃんだけを抱っこして言います。
「ここは戯曲でしょ」
 美花が示している本の山を仮に山Aとしましょう。ここには戯曲や演劇関係の本が積まれているようです。
「それで、こっちは歌集、あっちは小説とか童話なの」
 山Bは歌集のようです。最近美花が新たに興味を持っている分野のようで、私には言いませんが、いくつかの短歌結社の冊子を取り寄せたものが含まれています。むむむ。これはおそらく、そのいずれかの結社に入会しようとしているのではないかと思われます。それにしても、結社とはなんとも怪しい響きだと思いませんか?(注:あくまでも、筑後川敦の感覚によるものです)
 山Cは小説や童話、絵本のようです。ここには図書館で借りてきたものも一緒に積まれているので、期限がくれば返却され山は低くなることでしょう。しかし、また何冊も借りてくれば山は高くなることでしょう。
 もしかしたら美花は、本の山で筑後川家にミニ古墳をつくろうとしているのではないか? と疑いたくなるほどです。ははは。冗談ばい。
 私も建築関係等の専門書を多く持っているので、あまり強いことは言えないのですが、本棚にはよく使うものを並べ、それ以外はプラスチック製の収納ボックスにジャンルごとに入れ、押し入れに収納してあります。
 ええ⁈ それって、貧乏くさいし、ズボラじゃない? と思う方もいるかもしれません。しかし、転勤族としては大型の本棚をいくつも所有することは不可能に近いのです。引っ越し代がかさみますし、段ボールに詰めてまた出して…の無限ループが……このことは、『第10話 段ボールで短歌』にて皆さんにはすでに聞いてもらいましたね。 
「みかちゃ、ほんよむ、まいにち」
 きいちゃんが言い、美花はそうでしょそうでしょと頷いています。
「みかちゃ、ほんすき。だから、さみしくない」
 美花はちょっと驚いた表情をし、抱きしめていたきいちゃんの顔を覗き込みます。私は…、その時、あたかも駐屯地の土が強風で舞い上がり、それらが何粒も私の両の目に入ってしまったかのように感じました。美花は、故郷を離れこちらには友人知人親戚誰1人いないので、さみしいに決まっています。
 子供のいない私達。晩婚をした私達がこの先子を持つことはないでしょう。
 子なしの夫婦が犬や猫を飼っていると、「ペットを子供のようにかわいがっている」などと陰で言われることは知っています。しかし、缶車ではペットを飼うことは禁止されていますから、私達夫婦はそれすら出来ないのが現実です。せめて生き物をかたどったぬいぐるみをと思い、購入したトキのぬいぐるみのきいちゃんが喋ってくれて本当に助かったと私は思うのですよ。
 美花はきいちゃんを抱っこしたままぐるりと部屋を見回してーーー
「このままがいいなぁ」
 と美花がいつもより落ち着いた少々低音の声色で言ったので、私は少しドキリとして美花の顔を見ました。
「このままって?」
 と、私は真面目に聞き返します。美花はきいちゃんを抱っこしたまま、部屋を見回しつつ……
「このままーー。このままの配置で、この部屋のもの全部、このままの状態で引っ越したい」
「うん……」
「本の位置も、机と椅子の場所も、押し入れの荷物も、全部このままがいい」
「そう……」
 それから美花はほんの1、2秒間ここではないどこかを見る風をしました。これは美花の心がどこかへ行っている時の特徴といいますか、空想と言うんですか? 美花は演劇をやっていたときに戯曲を書いていたそうなので、あ、戯曲というのは演劇の脚本のことで、そう言うらしいのですが、そういうものを書いていた人だったらしいので、こうして度々お話みたいなものを考える癖が出てくるんですよ。
 美花が次に何を言うのか、私の方は黙って注目していますと……
「あのさ、タイヤを付ければいいんじゃない⁈」
 美花はこう言い出します。「え⁈」と私。
「この官舎の、私達の住んでる部分だけを切り離して、下にタイヤを付けるんだよ。それで走って引っ越せば、なかのものはぜーんぶそのままでいいでしょ」
「……」
「だから、缶車かんしゃ。空き缶の缶に、車、ね」
「な、なるほど……」
 うむむ。「カンシャ」だから、「缶車」だなんて、まるで昭和のダジャレみたいじゃないか! と思いましたが、口に出しては言いません。
「缶コーヒーの缶みたいなのを横にして、下にタイヤを4つ付けるの」
 美花は、この、自分の思い付きが気に入ったようで、ケラケラと笑い出します。その、缶車とやらを想像しながら楽し気にきいちゃんの顔を覗き込み。
「ね。きいちゃんも乗っていくんだよぉ」
「きいちゃんも?」
「当たり前じゃない。3人で一緒に乗ってお引越しするの」
「わーいわーい」
 きいちゃんは、わかっているのかいないのか、よくわかりませんがすごく嬉しそうです。
「カンシャ、カンシャ、ハシルハシル」ときいちゃん。
「運転はあっちゃん」と美花。
「あっちゃ、うんてん、うまいって」ときいちゃん。
「お。きいちゃん、わかってるね。でも、残念だけど、自動運転にするばい。その方が楽だから」と私、敦。
 美花ときいちゃんはキャハキャハと笑います。
「サービスエリアでメロンパン買おう」
「メロンパン、メロンパン♪」
 このように、美花ときいちゃんが楽しそうなので、ここは九州男児の心の広さを見せるところばい。ばってん、気持ちわるかぁ……
 (咳払い)私としては、どうにも気持ちが悪いのです。なぜなら私は建築士だからです。美花がやりたいことを私なりの解釈に変換して考えてみますがーー、構造上不可能である点については、この際目を瞑ることにしよう。と考えていたのに、ついこんな言葉が出てしまったのです。
「官舎の敷地の面積は限られているから、官舎は4階建てにする必要がある。うちだけが、美花ちゃんの言う移動式官舎にするなら、敷地の隅の空きスペースに置けるかもしれないけど、他の家族も同じ移動式官舎だった場合、平屋がいくつも並ぶわけで、当然限界が」
 と、私がここまで言ったところで、冷めた弥生人のような顔になって美花は言い放ったのです。
「そんなの、缶車を積み木みたいに重ねればいいんじゃない? 専門的なことはあっちゃんが考えてよ」
 私は……、あっけにとられました。
「う、うん……」
 こ、これは……。引っ越しの無限ループから逃避するための、美花のお話をつくる癖、空想の世界を邪魔してしまったようです。猛省。
 この日のこの時から、筑後川家では「官舎」のことを「缶車」と呼ぶようになりました。音で聞くと同じ「かんしゃ」なのですが、まあ、言うなれば我々夫婦とトキのぬいぐるみ、きいちゃんの共通の夢物語ということになりますか。
「カンシャ、ハシルハシル」
 私達2人と1羽は缶車を走らせて、この南北に長い列島の旅をささやかに続けるのです。


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