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【小説】ある技官、その妻とトキのぬいぐるみ 第20話

第20話 かわいい官品かんぴんたち

 みかちゃんの
 リュックにはいり
 きいちゃんは
 カラスのママと
 あそんだんだよ

 これは、トキのぬいぐるみのきいちゃんが自分で詠んだ短歌です。日本語を覚えたばかりだというのに、こんなことまでできちゃうなんて、いったいどんなぬいぐるみなんでしょう? そのうち、戯曲も書けるようになったりして……
 皆さん、おはようございます。元演劇人の筑後川美花です。今は演劇人ではなくて、短歌結社のメンバーになりましたので、日々短歌のことを考え、1日1首を目指しているところです。なんて言ってもなかなか毎日は詠めないものですね。
 そんな私ですがーー
 きいちゃんの初めての短歌、とってもいいと思いました。最近あった楽しい出来事を歌にして、とても素直でいいですよね。(私にとっては、カラスに追いかけられた怖い思い出ですが)
 1番驚いたのは、「ママ」という言葉を使っていることです。
 私がきいちゃんに「ママ」という言葉を教えたことはありません。夫もきいちゃんに教えていないと思うのです。夫は母親の顔を覚えていない人ですし……。たぶん、テレビかネットで覚えたのかな? 言葉は覚えても、きいちゃんはいったいママって、どういうものだと思っているのでしょう?
 アミゾンの倉庫の記憶があるきいちゃん……
 テレビで新潟の朱鷺を紹介する番組をじっと見ていたきいちゃん……
 きいちゃんのママ(?)はぬいぐるみをつくった人なのでしょうか。手縫い? ミシン? いえいえ、もっと辿っていけば、ぬいぐるみデザイナーがママなのでしょうか? けれども、もし、その人が男だったら? ママではなくパパになってしまいます。
 私はきいちゃんのぬいぐるみの体をそっと撫でてみます。
 ツルツルとして……
 ちょっぴりフワフワしてて……
 なんて触り心地がいいんでしょう……
「みかちゃ、もっともっと」
 かわいらしく甘えるきいちゃん。催促されるまま、私はきいちゃんのぬいぐるみの体をなでなでします。
 私は最近思うのです。きいちゃんは、ぬいぐるみなんかじゃなく、きいちゃんという生物なんじゃないのか? 鳥の朱鷺にすごく似ているけど、本物の朱鷺だったら羽に覆われていて、こんな風に人間に触らせたりしないだろうし、人間の言葉を話さないだろうし……

 その時、缶車の外から子供たちの遊ぶ声が聞こえてきました。
「だーるーまーさーんーがぁ、こーろーんーだぁーー」
 「だるまさんがころんだ」です。私も子供のころ、近所の子たちと遊んだものです。久しぶりに聞いたそのフレーズに、私はなつかしさでいっぱいになりました。まさか、今の子供たちがこの遊びをするなんて。
「だーるーまーさーんーがぁ、こーろーんーだぁーー」
 かわいらしい声がまた聞こえます。
 私はきいちゃんを抱っこして、窓に近づき、鍵を開け窓ガラスを開けました。
「なになに?」ときいちゃんは興味津々です。
「だるまさんがころんだだよ」
 ここは缶車の3階です。下がよく見えるようにきいちゃんのぬいぐるみの体を傾けます。ガラス玉のような瞳はらんらんと輝くことでしょう。
 私も窓から下を覗き込むと、アスファルトの上に缶車の子供たちの姿が見えます。小学校低学年くらいの子たちとその弟や妹でしょうか。男の子も女の子もごちゃまぜで遊んでいます。かわいいなぁ。子供に縁のなかった私ですが、歳をとったせいなのか、子供たちをかわいらしく感じてなりません。
「だーるーまーさーんーがぁ、こーろーんーだぁーー」
 子供の声に続けて、きいちゃんもまねします。
「だあるーまさんーがぁ、こおろーんんーだぁーーー」
 きいちゃんはキャッキャッと笑い、楽しそうに何度も繰り返します。
 遊ぶ子供たちがよく見える位置に、ママ達が輪になってお喋りをしているのも見えます。いわゆる「ママ友」というやつでしょうか……
 言葉は知っていても、結婚するまで実際にそのような人達を見た事がありませんでした。いえ、そういえば……、昭和の頃、私が近所の子達と遊んでいた時、母や近所のおばちゃん達が立ち話をしていましたが、あれがママ友だったのでしょうか? 私は晩婚なので、ママになることはありません。つまり、ママでない女はママ友を持つことはない……のでしょう。
 その時です。きいちゃんが、ここ3階から地上に届くほどの大声で、
「だあーるーまーさんーがぁー、こおーろおーんーだぁーーー」
 と叫んだのです。ママ友について考えていた私が、はっとした時はもう遅すぎました。地上のママ達が一斉にこちらを見上げたのです。咄嗟にきいちゃんのぬいぐるみの体を窓枠より下へ下げ隠します。それと同時ににっこりと笑顔をつくり会釈をしました。するとこちらを見上げたママ達も一斉に会釈を返してきましたが、すぐに顔を戻しお喋りを再開しました。
 私はあわてて窓を閉めます。
 ママでない私。動けないきいちゃん。
 私ときいちゃんはドアを開けて階段を降り、今地上で賑やかに遊んだり喋ったりしているなかへは混ざれないのです。(ああでも、階段で擦れ違う時などはちゃんと挨拶を交わしているのですよ。そこはやっぱりお互い缶車の住人ですから)
 私はきいちゃんのぬいぐるみの体をぎゅっと抱き締めました。
 夫が帰宅し、私はテーブルに夕飯を並べます。私達が食べ始めても、きいちゃんは食べられないから暇なのでしょう。
「だーるーまーさんがぁーこおーろんだぁー」
 今日覚えたてのフレーズを繰り返します。
 夫は箸を止めて。
「きいちゃん、なんで、だるまさん? 教えたの?」
「うんん。私ときいちゃんじゃ、できないでしょ、だるまさん」
「そうか」
「今日子供たちがね、遊んでたの、だるまさんがころんだって」
「缶車の子供?」
「うん」
 すると夫のあっちゃんが珍しくニヤリとして言ったのです。
完品かんぴんって言うんだよ」
「え?」
「子供のこと」
「カンピン?」
「そうばい」
「カンは官製談合の官?」
「例えが」と言って笑う夫。
「ピンは品物の品、品川の品かな?」
 頷く夫。
「官品…、なんかすごいね……」
 いったいどういう場面で子供のことを「官品」なんて言うのでしょうか。ブラックユーモアなのでしょうか? 自虐ネタのようなものなのでしょうか? うーん、私にはわかりませんが……、思いつきで言ってみました。
「じゃあ、きいちゃんも官品?」
「違うばい」
 否定は即答でした。
 そうでしょうねぇ……
 父親が、あるいは母親が、更には二馬力(夫の職場では、夫婦とも同業者であるという意味を含むそうです)が防A省・自A隊勤務だとしても、家庭に帰れば我が子を「官品」だなんて思わないでしょう。
 食後に夫が少しまったりとした後、私達は「だるまさんがころんだごっご」にチャレンジしてみました。普通のだるまさんがころんだではありませんが、筑後川家ルールのだるまさんがころんだスペシャルとでもいいましょうか。
 この遊びに、トキのぬいぐるみのきいちゃんは大喜びでした。ふと、思いました。もしも、私達夫婦に子供があったなら、こんな風に遊んだりしたのかもしれない……
 ね。こんな風がいい。
 演劇の戯曲のような大事件が起こりませんように。私は祈るような気持ちで、だるまさんがころんだスペシャルをーーー
「あー、みかちゃ、うごいたぁ!」
 夫に抱きかかえられたまま振り向いたきいちゃんに、見つかってしまいました。ク、クヌヌ…。子供の頃かけっこが苦手だった私が、唯一得意だったのがだるまさんがころんだでした。今日初めてだるまさんがころんだを知ったきいちゃんに負けるわけにはいきません。悔しがる私を見て、夫は笑っています。よし。今は集中して頑張ることにします。


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