【小説】ある技官、その妻とトキのぬいぐるみ 第25話
第25話 七夕のサプライズ花火
私は夕飯を作っています。
今日は7月7日、七夕だっけ。そう思い、私は冷蔵庫を開けます。たしかまだ、星の形のお麩が残っていた筈です。扉の内側のポケットに手を伸ばします。うちの冷蔵庫のポケットは上の方にあるので、背が低い私は背伸びします。納豆のたれや辛子、削り節の小袋の下になっていたお麩の袋を引っ張り出します。
ピンク、紫、水色の星の形のお麩は、なんてかわいらしいのでしょう。今日は七夕なので、みそ汁に入れようと思います。天の川には足らないけれど、なんとなくの雰囲気です。このお麩はドン.〇ホーテで2袋買いました。1人で買い物に行った時に。夫と2人の時なら遠慮して買わなかったと思います。結局買ってるんだから、同じじゃん、と思いますけど、なんとなくね……
1つはうち、もう1つは他の荷物と一緒に母へ送りました。
みそ汁の鍋の蓋を開けて調理台に置き、お麩の袋を開け右手に持ちます。右手を傾けると、パラパラパラと左の手のひらに、お麩の星達が落ちてきます。ふふふ。ちっちゃな幸せって感じかな……
その時です。
ドオォーーーン……
缶車の外で爆音がしました。
はっとする私。手のひらの星はそのままです。
ドオォンーー……
パンッパンッ……
ああ! もしかして……。私はお麩をみそ汁に落とし、あわてて窓を開けます。
皆さん、安心してください。駐屯地の方からの爆音でも決して危険なものではありません。
ドドオォーーーン……
パンッパンッパンッ……
花火でした。缶車の隣の棟の上に広がる夜空に、大きな光の花が浮かんでいます。そして、あっという間に消えていき……。ああ、なんて鮮やかで、はかなくて、きれいなんでしょう……
「みかちゃ、なになにぃ~⁈」
トキのきいちゃんが、じれったそうに訊いてきます。台所仕事する私が見えるように、きいちゃんのぬいぐるみの体はこちら向きに置いてあります。きいちゃんのガラス玉のような瞳がランランランっと。
「きいちゃん、花火だよぉ」
「はなびぃ⁈ うるさい?」
「きれいなの。きれいなの花火」
「きれいぃ?」
室内なのに私は小走りして、きいちゃんのぬいぐるみの体を抱き上げ、窓辺に戻ります。
「ほらぁ、きいちゃん」
ドドオォーーーン……
パンッパンッパンッ……
パラパラパラ……
きいちゃんはきゃっきゃと喜びます。抱っこしたままきいちゃんの顔を覗き見ると、瞳が輝きまるで花火の明かりが映っているようです。サプライズ花火。この言葉が思い浮かびます。夫も駐屯地でこの花火を見ているのかな?
駐屯地では毎年盆踊りが行われていたそうです。(駐屯地によって違うそうです)コロナの自粛になってからずっと中止になっていると夫が話していました。そういえば、盆踊りのときに地元の花火を駐屯地で打ち上げていたらしいと言っていたな。今年も盆踊りは中止が決まっています。だからせめて、サプライズ花火だけはやったのでしょう。
缶車ではない普通の家々からも人が出てきて、花火見物をしているのが見えます。私もそうですが、みんな何年振りの花火でしょうか……。少しでも多くの人がこのサプライズ花火に気づいて、見ることができればいいな。そう思いながら、きいちゃんと一緒に花火を見つめました。
花火は10分くらいで終わってしまいました。短かったけど、本当にいいものでした。目の奥に残像が残っているくらいで……
皆さんにも見せたかったです。
さて、これから夕飯作りの続きをして、夫の帰りを待つことにします。きいちゃんは嬉々として花火を見たと夫に報告することでしょう。
「花火見えた?」
帰ってきた夫の第一声で、私は夫がサプライズ花火のことを知っていたとわかりました。夫の仕事を考えると、そんな気はしていたのです。夫は、私ときいちゃんにサプライズをしたのです。(いえ、漏らしちゃいけなかったのかもしれませんけどね)
きいちゃんは花火のことを夫に話しています。話す方も聞く方も楽しそうです。私はほうれん草と星の形をしたお麩の味噌汁をテーブルに並べます。今夜は七夕。いい夜になりました。
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