父、初の入院
おはようございます。
レモンサワー大好きちなこです😊
noteを始めて3日が経ちました。
少しずつ慣れてきて、書くだけではなく、皆さんのお話しを楽しませていただいてます😊
読ませていただくと、自分に似た幼少期を送った人、価値観が似ている人、そんな人たちの話しを読み、親近感かわきます☺️
50代の私、同じ時代を生きてきた人は、今みたいに世の中に自分思いを発信することも、他人の思いを知ることも、簡単ではありませんでした。
50代になり、同世代の方や年代が違っても、自分と同じような価値観の人の話しに共感し、noteに出会えたことが嬉しいです。
ありがとうございます☺️
noteは、この4年に起きた事件を伝えようと書き始めましたが、あちこち脱線をしてしまい、事件を伝えるまでには、かなり時間がかかりそうです😅
4年前を振り返ると、色々細かい出来事や、父との思い出、更には私の幼少期の記憶までも、あれこれ記録したくなります😥
あまりにも濃い4年でしたので、記憶も鮮明です。
つい色々みなさんに聞いて欲しくなってしまいます。
でもそんな気持ちを少し我慢して、衝撃な事実を伝えたい!
さて今日は、母の退院の話しからします。
2020年6月に心不全で、約2ヶ月入院をし、8月に退院となりました。
この2ヶ月の入院で、約10kg痩せた?(体に溜まっていた水を出して)母は、見た目もかなり変わり、老けました😢
歩行もおぼつかず、家に帰っても普通に家事をすることも難しい状態でした。
なので、母を我が家で約2週間面倒を見てから、父のいる自宅へ送りました。
そして母が自宅に戻ってから、両親に異変が起きます😱
毎年お盆は、祖父母のお墓参りに山梨まで行きます。
今年は母の入院もあり少し遅くなりましたが、8月の終わり頃に私は両親と、祖父母のお墓参りに行くことにしました。
しかし、そのお墓参りに行く2週間位前、私が実家に帰っていた時、父の様子がおかしかったのです。
食事中に何度もトイレに行くのです。
食べ物を飲み込めない様子でした。
父はだいぶ痩せていました。
大好きなお酒すら飲むこともできず、こんな状態ではお墓参りにも行けないので、早く病院に行くように言いました。
しかし父は大の病院嫌い、今まで病院に行ったこともありません😢
歯医者にも行った事はありません。その時父の歯は、4本しかありませんでした。
そんな状態でも、病院に行こうともしません。
こんな父をお墓参りに連れて行くことはできないので、兄に相談をし数日後、ようやく兄夫婦に連れられ病院に行ったのです。
そして信じられない結果を、耳にすることになります。
父は食道癌でした。すぐにでも入院をしなくてはいけない状態。
既に唾を飲み込むことすらできない状態だったんです。
しかし、父は家に帰ると先生と言い争いとなり。唾を飲み込むことができないのですから当然です。
父の家系に、癌になった人は見当たりません。
父の両親は2人とも90歳を超えて亡くなり、父は4人兄弟の末っ子。上の3人も80歳近いですが、この時は元気で、長寿な家系です。
まさか父が癌になるなんて…
私は頭の中が真っ白でした。
父はこの日は家に帰り、翌日から入院すると先生に約束したようです。
翌日私は実家に行き、父の入院に付き添いました。手続きをし、病院内で履く靴など必要なものを揃え、父の病室へ行きました。
今まで入院などしたことのない父が、入院用の服を着ている姿を見た時、目が熱くなりました。
こんな父の姿を見ることを、夢にも思っていなかったですから。
でも父は75歳、いつかこんな日が来ることを想像しておくべきでした。
そして父は詳しい検査をし、食道にステントを入れ、食道を広げて食べ物を通す為の手術を受けることになりました。
さらに他の検査を受けると、大腸にも癌が見つかりました。
食道も大腸もステージ4
入院してから3ヶ月、11月末に父は退院をしました。
治療をすることができない父。
医者から今後の話しを聞き、私たちは、苦しい選択をしなくてはいけない状況に。
このまま何もしない、抗がん剤治療を試してみる。どちらかを選ぶしかないのです。
悩んだ結果、抗がん剤治療をすることにしました。
この判断が正しかったのか。
抗がん剤治療は辛いものと認識していたのに、この状態の父に抗がん剤治療をさせる…
今でもこの時の判断を悔やみます。
父には自分で治療を選ぶこともできませんでした。この時は分かりませんでしたが、
すでに認知症を発症していたのです…
退院した父は、刻んだ食べ物や、柔らかいものは食べることができました。
食べられるようになり、とても嬉しそうな父の表情が忘れられません。
今まで買い物をしたことのない父(男が買い物するのは恥だ!と言っていた父)が、近くのコンビニへ足を運び、好きなものを買いに行くようになったのです。
お酒が大好きな父ですが、ノンアルコールビールを飲んだり。
今まで朝からお酒を飲んでいた父ですから、驚くほどの光景です。
しかし、ここからあっという間に、父の様子がおかしくなっていきます。
私は父が退院してからも毎週末、実家へ両親の様子を見に行きました。
父はご飯はお粥しか食べられないので、毎日母がお粥を作っていました。
他にもおかずは柔らかいものだったりと、食べられるものが限られてしまうのです。
この準備が意外と大変なんです。
父の認知症が進み、おかしなこと言うようになり、
更には、母に辛く当たるようになります。
よく認知症の人がお金を取られた!などと言うといった話を、テレビなどで見たり聞いたりしていましまが、
まさにそのことが、実家でも起きたんです😂
父の場合は、果物がなくなったとずっと言っていました。
そして、母が困って私に電話をしてきた時も、電話の向こうで父が「泥棒!泥棒!」と叫んでいました😰
このまま両親を一緒にしておくのは難しいと思いました。
でも2人を別々にすること、それは私たちにとっても避けて通りたい道でした。
しかしもう限界となったのです。
次回は、「別々に暮らす両親」をお伝えします!
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