見出し画像

両親別居&神様からの贈りもの

こんばんは。
毎朝「サントリーDHC & EPA +ビタミン」を、欠かさず飲んでいるちなこです。

このサプリ、バイオリニストちさ子さんが飲んでるから間違いないだろう!そんな気持ちで始めました。
今のところいい感じです😁

前回は、父の初入院についてお話ししました。
そして今回は、両親が別々に暮らすことになったところから、お話ししたいと思います。

父の認知症が進み、現実を受け入れるのが難しい状況の中、母にも同じような症状が見え始めました😰
実は、母のほうが先に認知症の症状が出ていたのです。

おかしいと感じたことは、まず歩くのが遅くなりました。
そして、少しの段差につまづき転倒することがありました。
実家は築60年。家の中は小さい段差がたくさんあります。

少し前に、母が財布を落としたと言ってきたので、すぐに銀行に連絡するように言いました。
それから数週間後私が実家に行くと、コンビニで買った氷が、レジ袋ごと冷凍庫に入っていました。
私は氷を使いたかったので、レジ袋ごと氷を出すと、
なんと、
母の財布が入っていたのです😱

でもこの時も、母が認知症とは疑ってもいませんでした。
それからもおかしな行動が目立ち、やっぱりおかしいと思い、検査を受けようと決めました。

母は数ヶ月前、心不全で入院していました。
退院後の診察を受けるときに、母が認知症ではないかと先生に相談をし、脳神経科で診察を受けました。
そして結果は…

「アルツハイマー型認知症」
でした。衝撃でした。

アルツハイマーは完治しませんが、進行を抑える薬があるようで、そちらを処方してもらいました。


父が入院している間、母も一人暮らしとなり、近所に住む兄夫婦は、たまに母の様子を見に行ってくれていました。

認知症もあり、その時の母は、わがままで頑固でした。
兄夫婦は怒りを抱くようになり、母との関係がおかしくなっていました。

母は昔から、兄嫁のことが気に入らず、以前は嫌いでもそれなりにうまく付き合っていましたが、病気もあり、この頃の母はあからさまに態度に出していたようです😔

両親が別々に暮らすには、私と兄がどちらかの面倒を見なくてはなりません。
兄夫婦は、母は受け入れられないと言いました。
そうなると、母は私が受け入れるしかありません。

ステージ4の癌を2つ持つ父を、実家に1人にしておくのは心配です。
しかし兄夫婦は、兄夫婦の自宅に父を連れて行く事はできないから、実家で父が寝るまで兄が付き添うと言ったのです。

本当は、父と一緒に住んでほしかったですが…

2021年の元旦を私たち家族は、実家で両親と過ごしました。
しかし、この年の元旦は酷いものでした😭

私は父との最後のお正月だと思い、いろいろな料理を準備しました。
でもそんな料理を見た父は、
「こんなにいっぱいどうするんだ!早く持って帰れ!」

ずっとそれを言い続けます。

私もだんだんその場にいることが辛くなり、私たち家族は少し早めに自宅に帰りました。

いつもは何でも食え食えと、孫たちに言う父。
しかしこの日は孫に、「何でそんなに食うんだ!考えて食え!」と言ってたのです😢

こんなにも人は変わってしまうんですね…

そして元旦から数日後、両親は別々に暮らすことになります。

実家から車で2時間ほどの我が家で、一時的に母と暮らすことになりました。
母はもう料理はもちろん、家事ができません😓

我が家は3 LDKのマンション。
母を入れて5人暮らし。
部屋が足りません…
母と私はリビングで過ごすことになります。

それからも、私は週末に父の所へ行きます。
再度一人暮らしになった父は、毎週行くたびに変わっていきます😞

1週目は、一緒にお昼ご飯を食べることができました。
ただ、座っているのが辛い様子で、少しご飯を食べるとすぐ横になっていました。

次の週末には、「病院に連れてってくれ」と言われました😳
どこか痛いのかと心配しました。
週末なので診察はやっていません。
「先生と約束をしているんだ。早く病院に連れて行ってくれ」と、
父はずっと言い続けます。
明らかに変です。

いろいろごまかして父を説得しましたが、何を言っても無駄でした。
父も認知症だったのです。

ずっと同じことを言う父に、タクシーを呼ぶふりや、病院に電話をするふりをしたりして誤魔化していました。

そろそろ私は帰るので、兄に電話をして父の様子を伝えると「最近はそんな様子だよ」と、言っていました。

そしてまた次の週末に行くと、父はほとんど寝ていました。
食事はほとんどできず、口にできるのはチョコレートくらいです😢

どんどん痩せていく父…
少しでもカロリーを取らせようと、チョコレートや栄養価の高い飲み物を用意しました。

父が他に食べられそうなものを考え、この日は父がよく食べていた、イチゴをつぶして、牛乳と砂糖を加えたものを、父に食べさせました。
多くは食べられませんでしたが、喜んでくれました☺️

と、その時、実家に郵便物が届きました

実際送られてきたハガキ


これが、事の始まりです🔥

その郵便物は、父の定期貯金が解約されたという通知のハガキでした。(他のページに日付、金額等が記載されています)

私は不審に思いました。
父がこの身体で銀行に行き、定期貯金を解約できるはずがないと
😠

届いた通知ハガキを父に見せると、父はそれをじっと見つめ、そして次の瞬間、
「知らねえ」  

父は、状況を理解すらできません…

あぁやってくれたな


一瞬で犯人が確定しました。
もちろん犯人は、兄夫婦です。

私はその通知ハガキを自宅へ持ち帰り、保管することにしました。

私は父から、大体の財産は聞いていました。
使い道は全て自分で決めたいと、父はよくお金の話をする人でした。

昔から変わらず会うたびに、お酒を飲むと同じ話をする人でした。

こんな話しを、父は兄にはしていなかったようです。

兄は高校生の頃から、父と喧嘩になると、父に手を上げるような人間です。
成人になってからも、たまに家族で集まった食事中に、父と喧嘩をすると、グラスを投げつけるような人間です。

それも自分の子どもたちがいる前で…
私はその現場を2回見ています。


父はたまに、「〇〇(兄)がすぐに手を上げるから、怖くて話しができない」と言っていました。


話は戻りますが、私は父の財産は大体知っていましたが、通帳などを見る事はありませんでした。

後に父の財産を確認した時、残された財産は、父が言っていた金額と、ほぼぴったりでした😳

そういえば!銀行からこの通知が届いた頃、
兄が「家に出入りする人がいるから、父のお金は隠してある」と言っていました。

この頃実家には、訪問介護や看護、入浴サービスなど、1日1回は実家に出入りする人がいました。

その時は何とも思いませんでしたが、
怪しい人は、自分から不自然な発言をするんです。

「お金は隠してある」


私に見つからないように、父のお金を隠していたのでしょう…

この定期貯金が解約されたとの通知、父と私しかいないこの時間に、郵便配達員さんが届けてくれたこの通知、
この時は「神様からの贈りもの」だと思いました✨✨

(相続人は通帳がなくても、金融機関で調べることができることを、この時は知りませんでした)

母と別々に暮らすようになり、父が実家に1人となってすぐと言っていいほどの時間に、父の財産は兄夫婦に引き出されたのです。

通帳さえなければ、分からないだろうと思っていたのでしょう…

後に兄嫁が不自然な発言をします。
相続の話し合いの時に、私が「父の財産がいくらあったのか、調べられないのかな?」と、かまをかけて聞くと、

「裁判とかにならないと分からないんじゃないですか?」
と言ったのです😨

父の財産は、父が生前に兄夫婦に全て引き出され、相続の話し合いの時に、兄から渡されたのは、父の生命保険証のみでした。

これだけは兄夫婦では下ろすことができません。
受取人は母ですから。

そしてこの保険も、しっかり調べていたようで、兄嫁が親切に手続きの仕方を教えてくれました。
保険金は母しか受け取れないことを、保険会社に教えてもらったのでしょう。

このようなことになり、私はこれから数ヶ月後、
「損害賠償請求事件」として、兄夫婦を相手に訴訟を起こすことになります。

追伸
今後は、父の通帳や伝票など、兄夫婦の悪事の記録を、他のページで紹介したいと思います。とても生生しいです😁

次は、父の最期をお話ししたいと思います。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?