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鬱は最大のチャンスである

自分という存在に興味を持つ中で他人という存在を気にしすぎたら自分を深く知る途中で鬱病になる。

鬱というのは自分を深く知ろうとした人間が知ることを諦めた、逃げ出した甘えに医者がつけた総称なのだと思う。分かった口を聞くなと言われそうだがその総称をつけられたことがあるからこそ分かった口を聞かせていただく。

誰もがその途中経過を経験し、誰もが鬱になる可能性を秘めている現代、その甘えを選択するのも自分自身なのだということを忘れてはいけない。
勿論ハナから自分というものに興味のない人間は鬱とは疎遠であると思っているが。そして諦めや逃げを知らない人間も鬱にはならない。それが他人からすると「強い人」として映るがきっとそうではないんだと思う。

どうしようもない鬱状態から抜け出す為にはとてつもない痛みと苦しみを伴うが自分自身と本気で向き合う以外に方法はない。とにかく、深く、いちばん奥の底の方まで自分を科学し哲学するのだ。何故傷付いたのか、何故こうあるべきだと思うのか、何故逃げたいと思うのか。
徐々に答えは見えてくる。がむしゃらに考えるのもいいが自分は本を読むことを強く勧める。
本の中に答えがあるというよりも自分が扱える「言葉」の数が圧倒的に少ないが故、逃げるしかない人間が多すぎると思うからだ。言葉の数を増やせば感情の吐き出し方を変えられる。脳みその作りが根本から変わっていくような快感に近いものを得始めたらもうほとんど自分に勝てる土台の完成に近い。

そしてそんな人間を近くに置くのもいいだろう、とにかく憧れてみるのだ。
うっとりと眺めているだけでいい。
「この人と話したい」という動機は本を開く手を助ける。ただそこで「この人のように」なってはいけない。あくまで自分自身を完成させるのだ。
"自分らしさ"や"自分って誰なんだろう"ともがき苦しんでいるならそれは最大のチャンスなんだと思った方がいい。

自分の人生というのは自分にしか与えられていないのだ。自分自身でこの人生を本気でやり切る以外に方法はない。そして明日がくる保証なんてどこにもないのだ。

「ダメだった」としても本気でやっていたらそれが正解になる。「ダメになるべき」だったのだ。

本気で命を燃やすということはそういうことで、結果は全て本気で選択した上であれば全てが正解になっていく。「ダメだった」ことに落ち込んでいるわけではなく「中途半端だった」ことへの言い訳でしかないのだ。

本気でやってみればいい、何か一つでいいし、本気でやるとなると幾つも手を出している暇はない。毎日を本気でやるとなると一日一つで十分すぎるのだと思う。

時間が有限であることを忘れてはいけない。

こうやって本気で文章を綴った時に「もっと世の中に出していけばいいのに」と言ってくれる人がいる。いやいや、自分はいつかどこかでこの言葉が多くの人間の目に止まると信じ切って書いている。今はそう多くの人間の目に止まらないかもしれないがだからと言って中途半端に綴っていては言葉の無駄遣いになってしまう。
多くを失う覚悟こそが多くを手に入れる条件であり、たった一人の心も震わせることこそが、多くの人間の心を震わせることなのだ。

万人受けや世間体など気にしている暇はない。

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