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現在地/自己紹介

自己紹介をしなければいけない場というのが、人生にはそれなりにあると思う。ぼくは人と接することが今となっては極端に少ないが、それでも時たまこのイベントは発生するわけで、その度にぼくは入る穴を探す羽目になるのだ。


何故自己紹介が苦手なのか

非言語・パラ言語情報

まず人前に立つのが苦手だ。緊張するし、意識して声を大きくしても他の人の半分くらいの音量だったりする(と周囲の反応から推察される)。だからたまったもんじゃない。あと顔を上げられない。顔を上げると、そこにはぼくのことを見てる人も見ていない人もいる。しかしどっちにしろ辛い。見てる人は見ないでほしいし、見てないやつは見てほしい。ぼくはどうしたらいいのかわからないし、だから周りの人にどうしてほしいのかもわからない。当然、話し方は不安定になる。しかも、言いよどむたびにそうした意識が反芻され、さらに変な挙動をするというデススパイラルに陥る。

言語情報

次いで、そもそも何を話したらよいのかわからない。だいたい自己紹介というのは全員が一斉に行うものだ(もし自己紹介をする人がその場においてマイノリティなのだとしたら、いよいよぼくは耐えられない)。だから型がもともと決まっていたり、自然と決まっていったりする。が、その型を使いこなせたためしがない。面白いかはさておき自然にボケる人とか、型をうまい具合に崩して個性を出した自己紹介をする人もいるが、そうした満点近いパフォーマンスをしたいのではなく、ごく普通の自己紹介がしたいだけなのだ。しかしそれができない。ぼくは何者でもない。だから紹介する自己が存在しないのだ。もちろん名前およびその他ぼくを表しぼくに関わる固有名詞はたくさん存在するのだが、趣味とかそういう方向になるとおしまいである。どうか自由記述欄を設けないでほしい。趣味はないです、みたいなことを言ったことはないと思う。毎回何かしらを言っていると思う。だから何かしらを自分の意志で選択したことになる。しかし、自分の番が回ってくるまでにどれだけ考え抜いても、振り返れば全て不正解なのだ。自ら選択したはずなのに不正解なのだから、苦しさはより強くなる。その選択が、言わなければいけなかったことまでを揺さぶる。自由記述欄以外も間違いだったかのような気がしてくるのだ。

つまり

ぼくの言語情報は一切伝わっていない。ぼくを表す固有名詞に強烈なものなど一つもないからだ(あったとしても聞こえていない)。なので周囲の人間たちは、非言語・パラ言語情報のみを受け取る。あ、「そういうやつ」か、はいはい、と。こうして意を決して踏み入れた新しいコミュニティで、ぼくは以前と全く変わらない日陰の生活を再演する。

踏まえておくべきこと

ものごと全てがそうだと思うけれど、自己紹介も文脈依存的なので、そこから「自己紹介」のみを取り出してごちゃごちゃ言うこと自体がまず間違いかもしれない。それにどんな状況のどんな自己紹介だったとしても、それがすべて覚えられるということはない。望ましい普通の自己紹介をしたとしても、多分残り全員の紹介が終わるころには忘れ去られているだろう。ハルヒみたいなのをやらない限り。だからぼくを表す固有名詞が強烈だろうとそうでなかろうと、なんならあろうとなかろうと問題ではないのかもしれない。それにこうした悩みはぼくみたいな人が誰でも持っている悩みだと思う。ぼざろでも自己紹介を大失敗するぼっちちゃんが描かれていた。ぼくがわざわざ言及する価値などない。

よい印象を残す

なぜこんなにも苦しむのかといえば、たぶんよい印象を与えようと気負うからなのだと思う。しかしそれはどう足掻いたって不可能だ。自己紹介はぼくの一つの表れなのだから、ぼく本体がこんなんである以上どうにもならない。仮にうまくいったとしても、その後の交流で化けの皮が確実に剝がれる。こんなことをしている暇があったら、その時間を情報をかき集めるのに費やせばよい、この時代ネットでもそれなりに有益な情報を得ることができるだろう。そうすれば数十秒を完璧にやり過ごせるようにはなるのかもしれない。しかしそれはパッケージのみにめちゃめちゃ凝るようなものだ。貴重なお時間とお金を割いてぼくと交流した人間は怒り失望するだろう。上げてから落としてよいものはジェットコースターだけなのだ。レビューは「圧倒的に不評」、いやレビュー数が足りないから「不評」だろうか。そう考えると今の自己紹介は、結果的に他人に与える不快感を最低限で済ませると同時にぼくを守っているともいえる。お互い傷付き不快な思いはしない方がよい。ではこれでよいのだろうか。

解決策

気負わなければよいとか、周りの人間をジャガイモだと思えばいいとか、それはそうなのかもしれない。しかし、「気負わなければよい」は「気負うな」という気負いになるし、「ぼくはこんなんだからこんなんなりの自己紹介をすればよいじゃないか」は「ぼくはこんなんだから自己紹介をする価値などない、できない」に容易に転落しうる。周りの人間をジャガイモだと思ったら、ぼくは何なんだろう。羽虫か、バクテリオファージとかじゃないか。

何故苦手な自己紹介をするのか

はじめての記事は自己紹介やこれからやりたいことを書くのがおすすめです。

note

何も記事を書いていない状態だとこんな文言が表示される、というのが理由の一つ。もう一つは、以前テレビ番組の出演者募集で、「ぼくには自己紹介をするに足る自己がありません」という自己紹介を送ったときに、それがウケたこと。人前でやるよりは文章で見知らぬ誰かに自己紹介をした方がうまくいくらしい、ということを知った。人生で自己紹介に関する成功体験といえばそれくらいで、成功体験が少なすぎるぼくにとっては自己紹介という枠を外しても貴重な成功体験の一つなのだが、考えるとこれが成功体験であることも、その内容も極めてキモい。そして最大の理由が、いまぼくは何者なのか、どうして生きているのか、現在地を見直さなければいけないからだ。

自殺

つくづく贅沢なことだと思うのだが、ぼーっと生きているだけで成人して気づいたら大学に入っていて、しかもそこからさらに1年以上が経過した。どうやら世界には就活というものがあって、そこでは「ガクチカ」を求められるらしい。大学生として最低限の責任すら果たしていないぼくにそんなものはあるわけがないのだが、今年に入って少し頑張ったことがある。それが自殺だ。新しいクラスに全くなじめなかったぼくはゴールデンウイークを境に大学に行く気力を喪失した。自分の存在意義がどうこうとベットの上でうずくまっていたぼくだったが、そこからぽんぽんと逃げるように跳ねた思考は自殺を導き出した。ぼくは今までも様々なことから逃げてきたのだが、人生からの究極の逃げとして自殺が思い浮かんだのだと思う。

やったこと

ホームセンターに引張強度が400kgのロープを買いに行ったり、自殺に関する本を読んだりした。遺書も書いた。驚くべきことに、総字数が8万字強になった。小学校二年生のころ、はやみねかおるのマチトムにあこがれて作家になろうとなんとなく思った時以来、何度も文章を書こうとしては失敗してきた。フィクションからこういった文章まで、たくさん書こうと思ってきたけれど、そのほぼすべては書き出してすぐに終わってしまっていた。だからこの量を書ききれたというのはすごいことだった。何度も読み直して、三度くらい推敲もしてみた。これは一つの希望になった(なってしまった)。もし死のうと思っていなかったら、いまこんなことはしていないと思う。

未遂(?)

6月半ばごろ、深夜に誰もいない公園に行って、ちょうどよい高さの木にロープをぐるぐる巻いて首を吊ってみようとした。しかし、なぜか首を吊る前から足が震えて仕方がない。無視してなんとか首を通してみたものの、気道が強く圧迫される感覚が予想よりも強く、すぐに首を外してしまった。びっくりした。こんなに死にたいと思っていたけど、それは大した気持ちじゃなかったこと。ぼくの体は、こんなにも死ぬのが怖いこと。あまり気づいていなかった。薄々気づいていたのかもしれないけど、それは頭の隅に押し込められていた。

どう生きるか

今までぼーっと生きてきたのが嘘みたいに、「どう生きるか」が切実な問題になってきた。去年20単位落とし、今年もすでに同じくらい単位を落とすことが確定している。後期からがんばれたとしても、来年どうなるかわからない。休学か、あるいは退学か、それとも卒業を目指すか。就職か、再び死を目指すか。しかし、「死ぬのが怖い」という一点が、ぼくを体に、世界につなぎとめている。すぐには死ねない。もうすぐ長い夏休みが始まる。やることはほとんどなく、放っておいても嫌な思考は走り出してゆくので、変な無限ループに入る前に、ぼくはぼくの問題を一つ一つ見直さざるを得なくなってしまった。

文章を書く

ぼくの周りにはなぜかものすごく優秀な人がいて、その人たちの一部はぼくのことを文豪とかそういった人々のタマゴだと思っている。それはマジで無能なぼくが、そういった優秀な人たちと対等に接するために作り上げたイメージで、ぼくはそういう風にみられるのが嬉しくもあったし、望んできたと思う。しかしその一方で、そのイメージに苦しめられてもきた。自殺しようと思ったというぼくの話を聞いて、親友は小説を書けと言ったのだが、書ける能があればもう少し違った生き方もできたであろうと思う。しかし書くのが嫌いなわけでもなく、諦めたり、頑張ったり、自分やどこかのだれかの助けになればよいと思って、書き始めることにした。

今後書きたいこと

書いていて思ったけれど、やはり文章が汚いし矛盾ばかりで、ある程度一つの形にしないと小説を書くにも書けないと思うので、考えをまとめていきたい。現在進行形で死にたいという気持ちは膨らんだりしぼんだりしているし、もっと昔も死にたいと思ったことはあったし、それについても書きたい。あとインプットもアウトプットも増やしたいので、本とか映画とかの話もしたい。

  • コンプレックスについて

  • できることとできないこと、好きなことと苦手なこと

  • 生きる意味とか価値について

  • 日記

このくらいだろうか。どんなことでも継続が肝心だというのはよく知っている(できたためしがないが)ので、なんでも思いついたら乗っけていきたい。

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