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5社目 satisfaction guaranteed

NIKKO創業者の加藤さんから紹介された人は、その後長い付き合いになる同い年の佐藤俊介だった。NIKKOの頃のクライアントで、27歳の自分に社長やらないかと言ってくれた思い入れのあるちょびリッチというサービスがあったが、そのチーフブランドオフィサーをやっていた佐藤俊介に1度だけあったことがある。その時はたぶん片手間でやっていたと思うので、気持ちがなかったのか印象には残ってなかったがw 何かの縁かなと思ったことを覚えている。

彼はエスワンオーという広告代理店をやりながらsatisfaction guaranteed(sg)というアパレルブランドを仕掛けていて、Facebookファンページで日本1位の70万人くらいのファンをつくっていた。そのバイタリティに惹かれた。その時はギリギリの状態で、ありえないディールをやろうとしていた。エスワンオーを株式を一部売却すると同時に、sgの資金調達を同時に行い、事業シフトしようとしていた。同世代でこんなことをやろうとしていることに賛同して、資金調達ができたら一緒にやろうと合意してサポートしていた。

今となっては普通になったが、当時ベンチャーで1.5億円の調達は異例だったが、それを成し遂げてそしてシンガポールに移住すると行っていた。シンガポールに移住することとビジネスのグロースはイマイチわからなかったことは否めながったか、想定外なことが楽しかった。これはF1メディアで感じたアンコントラブルな事情が楽しいと思えた感覚に近かったのか。

そこからは、彼がシンガポール本国代表、自分が日本法人の代表となり、壮大な妄想をカタチに変えていった。

アパレルとしては、カジュアルブランドからゴルフブランドへ変貌し伊勢丹にも取り扱ってもらったり、その後自社で生産すること自体をやめて、ワールドやTOKYO BASEとアパレルを協議してコラボしたり、各地自治体とYahoo!と連携してポータルサービスを作ったり、ヘアサロンのライセンス店舗展開、エステサロン展開など色々なチャレンジをしてみたりした。

自治体と
ヘアサロン
エステ

シンガポール、インド、タイ、マレーシア、台湾などアジアを駆け巡って仕事は本当に楽しかったし、夢もあった。ただ、ビジネスモデルがなかなか作れりきれなかった。
(この時、留学しておけば、言語を習得していない自分の不甲斐なさを強く感じたのだった。。)


気づくとFacebookファンページが500万人を突破してて、世界のブランドランキングで23位まできていた。このノウハウを活かしマネタイズをしようとなり、Facebookの解析ツールsocial gearを立ち上げた。日本にはその当時ほぼ1人で動かしていて、開発拠点はシンガポールでつくっていたツールだった。それは時流に乗り、一気に拡大していった。初動4ヶ月くらいで400アカウントの開拓に成功しつつ、価値を上げていった。
並行してsgは日本文化の象徴の一つ、自動販売機に目を向けるようになっていた。JRウォータービジネスがやっていた駅のデジタルサイネージ自動販売機をシンガポール対応して、飲み物でなく日本の選りすぐりのアイテムをレコメンドして販売する流通網をつくる策略だった。

この事業はクールジャパンでも採択され8000万円ほどの補助金をもらうこともでき、シンガポールに3台設置できた。そこから急拡大をするために資金調達に翻弄した。10億以上資金調達をしないと思い描く拡大路線までもっていくことができなかった。

ギリギリまで粘ったが、ファンドからの追加調達は難しく、sgの撤退をせざるを得ない結果となった。
実質social gearがメインとなった。そんな中、social gearを別法人化して資金を入れて社長をやらないかという話になった。その頃、出資する資金があったわけでなく、解析サービスに心が踊らなかったことから、次の道にいかざるえないと判断する結果となった。

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