Huew 冨樫

コミュニケーションデザインプランナー 広告代理店 女性向けビジネスSNSメディアビジネスの経験を経て、これまで延べ50社以上の企業に対しマーケティング・広告領域のコンサルティングならびにメディアビジネスの支援をする。 本質的なマーケティング全般の問題解決の視点を重視している。

Huew 冨樫

コミュニケーションデザインプランナー 広告代理店 女性向けビジネスSNSメディアビジネスの経験を経て、これまで延べ50社以上の企業に対しマーケティング・広告領域のコンサルティングならびにメディアビジネスの支援をする。 本質的なマーケティング全般の問題解決の視点を重視している。

最近の記事

8社目 Huew Inc./株式会社ヒュー

2019年11月22日設立で合同会社ヒューという会社を設立していた。2024年7月からこの会社を株式会社ヒュー(Huew Inc.)として始動しようと思う。 気がつくと、46年間も生きてきたし、もういよいよやりたいこともやれることも自分が成果を出せることもわかってきていると思う。もっと、確率もあげたいし成長もしたい思いは強い。ただただ、もうそんなにモラトリアムな時間はないことだけは明確であるわけで。 今までお世話になっている人や志高い人たち、素敵なコミュニティの方々と数多

    • 7社目 ミーアンドスターズ株式会社&トランスコスモス株式会社

      インタレストデザイン社としてグループ参画したが、早々にミーアンドスターズ社に吸収合併することになっていた。 創業した名前の会社が変わる寂しさはあったが、やりたいことの道半ばとなってしまった会社ということもあり、自分でその会社名の幕を閉じることが潔いとも思っていた。合併して、とてもユニークな経営陣になったと思われる。 トランスコスモス社はとてもマンモス企業で緊張感のある報告形態など、これまでの僕らの全く違う学びが多く当たって刺激的だった。その一方で、大木が故の難しさも少なから

      • 6社目 Interest Design Inc./インタレストデザイン株式会社 設立

        6社目にして、起業に踏み切った。やりたい事業が明確にあったわけでなく、就職ではワクワクすることを見つけられる気がしなかった。漠然と選択肢が起業しか残ってなかったから起業するという結果論みたいなことだった。だから会社名も実はすぐに決まらなかった。 ただ、この頃は特にツイていたと思える。 sg時代に社外取締役としてお世話になった有名メーカーのクルマや携帯電話のデザインを監修していたコンセプターでウォーターデザイン社の坂井直樹さんがいた。その方の息子にあたるインタレストマーケティ

        • 5社目 satisfaction guaranteed

          NIKKO創業者の加藤さんから紹介された人は、その後長い付き合いになる同い年の佐藤俊介だった。NIKKOの頃のクライアントで、27歳の自分に社長やらないかと言ってくれた思い入れのあるちょびリッチというサービスがあったが、そのチーフブランドオフィサーをやっていた佐藤俊介に1度だけあったことがある。その時はたぶん片手間でやっていたと思うので、気持ちがなかったのか印象には残ってなかったがw 何かの縁かなと思ったことを覚えている。 彼はエスワンオーという広告代理店をやりながらsat

          4社目 mixi

          ロイヤリティービジネスを世界的に広めていく手法として、SNSにとても興味を持っていた頃だ。SNSの壮大な可能性に惹かれて、流通をつくりたいと思って語っていたら、mixiから一緒にやろう!と誘ってもらった。mixiイベントをプロマネしてたり、元々同僚だった人もいたので、ゆるゆるな働き方に慣れてしまった僕には辛そうと正直思ったが、良い機会かなと参画した。 社会人リハビリが必要だと感じてた中、入った矢先に、やりたいことと違うミッションが待っていた。その頃のmixiは広告収益がほと

          3社目 F1メディア(現、W TOKYO)

          NKKOの頃に大型クライアントでTVCMや屋外広告などを出稿する際、仕入れ先だった博報堂DYの人たちと、NIKKO退職組み3名が創業メンバーとして作ったF1層に特化した会社が3社目のF1メディアだった。 当時、ゼイヴェルという謎の会社と博報堂DYのジョイントベンチャーで、girlswalker.com(GW)というモバイルサイトとTOKYO GIRLS Collection(TGC)のファッションイベントをつくっていた。ミーハー心をくすぐる一見チャラくてワクワクした仕事に就く

          3社目 F1メディア(現、W TOKYO)

          2社目 NIKKO(現、GMO NIKKO、入社時日広)

          2社目は表参道にあった日広という広告代理店だった。今の稼ぐというノウハウの原点はここでの学びだと思う。基礎的な知識はここで身につけた気がするので、感謝でしたかない経験だった。 今でもマーケティング=経営だと思っているし、広告はそれを体現する手法だと思っている。 まずは転職で悩んだ会社がここともう一つあった。人材会社のキャリアデザインセンターで、最終面接で創業者の多田社長に2時間会話させてもらい、君は絶対に成長する!と言ってくれたことをとても覚えている。本当に成長するイメージ

          2社目 NIKKO(現、GMO NIKKO、入社時日広)

          1社目 USEN(在籍時、有線ブロードネットワークス)

          新卒1社目はUSENからスタート。 ちなみに新卒採用時の第一希望は、マガジンハウス。あとはテレビ局とか受けてだけど、国語もともと不得意だったこととか全然ダメで全滅。あの頃は、就職は厳しい時期だったのかな。何社か内定はもらって一番悩んでみたのは、オシャレ家具屋さんのACTUSアクタス。だからか今もファンです。エンタメ希望があったので、近い感じがしたUSENに。こちらの方が自分的には、キラキラ感を感じたみたいだった。 ちなみにいろいろ転職してきたけど、仕事においては一度も後悔して

          1社目 USEN(在籍時、有線ブロードネットワークス)

          自己紹介

          冨樫 忠幸/Huew Inc. 代表取締役CEO 個人的noteなので、個人会社のヒューという会社のタイトルで記載しておりますが、 現在、トランスコスモス株式会社 執行役員、ミーアンドスターズ株式会社 取締役副社長COO https://meandstars.com (2024年2月現在)の活動がメインになっています。 これまでの経歴↓を貼ってみます。 このnoteは自分整理のために今書いておきたいと思ったので、突発的に書き始めました。 プライベートでは2児パパであり、