1社目 USEN(在籍時、有線ブロードネットワークス)
新卒1社目はUSENからスタート。
ちなみに新卒採用時の第一希望は、マガジンハウス。あとはテレビ局とか受けてだけど、国語もともと不得意だったこととか全然ダメで全滅。あの頃は、就職は厳しい時期だったのかな。何社か内定はもらって一番悩んでみたのは、オシャレ家具屋さんのACTUSアクタス。だからか今もファンです。エンタメ希望があったので、近い感じがしたUSENに。こちらの方が自分的には、キラキラ感を感じたみたいだった。
ちなみにいろいろ転職してきたけど、仕事においては一度も後悔してなく、全ての判断は結果正しかったと思う。(思い込んでる。)
僕らの時代で、USENの同期は330人くらい。今考えてもめちゃ多い採用人数だったと思う。
さらにその年から?社宅(家賃2万円の格安)が採用されたから、一人暮らしの自分も迷わず応募して住んでましたね。これがまた最高で、場所は板橋区成増で40世帯、全て同期だけという毎日が修学旅行みたいな社宅だった。1階が男性、2階が女性という今はしないであろう構成でつくられていた。
仕事もプライベートも同期と一緒という楽しい日々を過ごしてました。一生の友達も多くでき、タイムリープしてももう一回USENを選ぶに違いないという環境には感謝ですね。1社目がUSENで心から良かったと今でも思っている。
仕事に戻すと、初めて配属された部署は、マンション開発部という新規事業。各地のエース級で結果を出してきてた先輩方が集まってできた大手デベロッパーの新築マンションに、当時社運をかけて始めた100Mbpsの光ファイバー+映画見放題Gate01というコンテンツを組み合わせたインターネット付きマンションを他提案する部隊。ベンチャー起業ゼミをやってた自分は、とにかく新規事業をやりたい!と高々と発言していたのが理由なのか、その部署に3人/330人のみが配属された感じでした。
初めての半年くらいは新卒メンバーにできることはなく、とにかく知識で勝て!となり、大学受験なみにずっとITプロトコルとかIPv6とかマニアックな学びをしてたし、その猛者たち先輩は営業のプロだけど、ppt.とか作れる人はいなかったから、資料づくりばっかりやってたのを覚えてる。資料作りが得意だと思い込んだのはこの時期があったからなのか。
半年過ぎるといつのまにか知識を持ったせいか自信がついて喋れるようになって、営業のフロントにでれるようになっていた。
ただ僕らの営業先は、デベロッパーの決済者でコレからつくるマンションシリーズ全てに包括契約をとるというハードミッションだったので、50歳前後の役員ばっかりだった。さらにUSENの宇野社長はリクルートコスモス出身だったから、不動産業界の大先輩たちという構図で、超低姿勢の営業スタイルだったので、新卒の僕はさらにさらに低姿勢。即効性のある営業マナーをすぐに入れないとついていけなかった。この頃、一新卒の自分が宇野社長や超エース級敏腕営業マンと営業できたことは今振り返ると宝になってた気がする。営業が得意とは思えない自分が、営業ではある程度負けないと思えるまで急成長できたんだろうと思ってる。
もう一個衝撃だったのが、企業の売上目標が尋常じゃなく高かったこと。新築マンションの供給以上に契約目標が高かったから、全ての新築マンションに導入できたとしても達成しない無理ゲーを真剣な追いかけるということに向き合ってた。この状況でも弱音をはかず頭をひねる環境に身を置けたのはデカかったのかも。
もちろん経験値の差はあるものの新設部署でよーいドンだったので、自分なりの役割は見つけることができてよかったし。本当に学びが多い期間だった。
そんな刺激的な下積み時代も、いつのまにか新規開拓の比重も弱まり、既存クライアントのルーチン営業になってきたころ、精神的なサボれるようになってしまい、このままでは成長が止まっちゃうと思い、人間関係も良かったけど退職して次のフィールドに行こうと決意した。給与的理由もあり、寮から出れないことになれるのも怖かったのかも。さらに朝も早く会社までの距離が辛かったことが若干本音かも。
もっといろいろなビジネスを知りたいし体験したいと思ったのがその頃の心情だった気がして、約3年間という期間で1社目を終えた。