バレンタインデーはおすき?その2
パンパカパーン、今日は年に一度の……
母さんが、台所から、さけんでいる。
「遅刻するわようー。早く起きなさーい!」
2段ベッドの下に寝ている洋子は、首を横にまわして、机の横の布袋を見る。ポコッとふくれた布袋の底には、つられて買ってしまったチョコが、ひっそりとしまってある。
「どうしたのー、いそいでよー。母さん、手がはなせないのよー!」
コーヒーの香りといっしょに、母さんの声が、おそってきた。
「幸子ー、朝だよー。起きた、おきた!」
洋子は、妹のふとんを、ひっぺがしておいて、いそいで、制服に着がえる。
母さんは、パンを口にくわえたまま、だしまきをつくっていた。おじゅうには、きれいに、にしめや、こぶ巻きがならんでいる。
父さんは、とっくに出勤したのだろう。モーニングカップが、テーブルの上で、からになっていた。
母さんは、チラチラ、テレビの時報を見ながら、だしまきを切りはじめた。
「ねえー、今日は、遅くなるかもしれないの。老人ホームで、演芸会が、あるのよ。もし、おそくなったら、洋子、夕飯のしたく、おねがいね。あなたのできるもので、いいから。母さんをまってくれてる人が、いるってのは、うれしいわようー」
母さんは、いま、熱をあげてる、ボランティア活動の事を、せかせか、話した。そして、つけたすように聞いた。
「今年は、どう?バレンタインデーのチョコ、あげる人見つかった?いないわよねー。洋子は、おとなしいもん」
決めつけられて、つい、洋子は、チョコを買ったことをいいそびれてしまった。学校に行くまでには、報告しようと思っていたのに。
あわてんぼうの母さんは、どしんと、腰をおろすと、せかせかと、パンにバターをぬりながらいった。
「母さんも、あわれなもんよ。たった1回よ。父さんが、チョコもらってくれたのは。バレンタインデーは、我家の外をすぎていく!」
芝居気たっぷりな声色だ。
「おしあわせな人」
小さくつぶやく声を、聞きとがめて、
「なあに?洋子」
「なんでもない。それより、おじいちゃんたちに、チョコ、もっていってあげたら?」
「おっ、サンキュー。グットアイディア!」
母さんは、女学生みたいに、ターンをしてみせた。
洋子も母さんも、この思いつきが気にいって、父さんの忠告など、すっかり忘れていた。
父さんは、なぜだか、母さんの活動に批判的だった。偽善っぽいものは、きらいだそうだ。
「ねえちゃん、ホラ、時間よ」
いつの間に起きてきたのか、妹の幸子が、せきたてた。洋子は、たべかけのパンを、ぐっとのみこむと、家をとびだした。
「洋子ー、はやく、はやく!」
おどりばのところで、ゆいちゃんが、身体をゆすりながら、まっていた。
「もってきた?チョコレート」
ゆいちゃんの顔は、からかうように笑っている。洋子は、ムキになって、布袋をふってみせた。
「ごめん、ごめん。みんな、あっちにウロウロ、こっちにウロウロ。めだかの学校みたいよ」
ゆいちゃんは、おかっぱ頭をゆすって、くっくくと、笑った。
「おはようー、洋子ちゃんの登場でーす。これで、みんな、チョコがそろったことになりまーす」
ゆいちゃんは、わざと大声をあげながら、教室のドアをあけた。
「わあー」
「ほんとうー」
そこここで、声があがった。
昌子ちゃんが、以外だという顔つきで、すぐ、よってきた。体操部の育子ちゃんは、布袋の中を、のぞきこんでいる。わりと、大きな、四角い箱が、入っているのが、外目にもわかった。
「パンパカパーン、今日は、年に一度の、バレンタインデー。なかよく、ゆかいにやりましょう!」
ゆいちゃんが、椅子の上にあがって、さけんだ。
「それでは、まず、わたしめから、失礼!」
ゆいちゃんは、うやうやしく、布袋から、チョコのつつみを3つ、とりだした。つかつかと、班の男子のところへいって、おしつけるようにわたす。
「ギリチョコだよ。もらえないと、かわいそうだからね」
本田くんたちは、てれくさそうに、へへへと、笑いながら、うけとる。ゆいちゃんからのだと、だれだって気楽にうけとれる。1学期からの実績が、ゆいちゃんは、女の子という感じを、とりはらってしまっている。
「おい!ゆいちゃん、今年は、おれには、くれないのかあー。あてにしてたのに」
めがねの山野くんが、どなった。
「ゆいちゃんとは、にくいねえー。チビのころから、ゆい、ゆいって、よびすてのくせに。でも、兄さんにひやかされたんじゃ、かわいそうだから、ちゃんとあげるよ。ホラ」
ゆいちゃんは、コインチョコを、ぽいっと、わたした。
「サンキュー!」
「山野くん、来年までには、チョコ、もらえるように、しなよ。運動、もっと、がんばりなよ」
ゆいちゃんは、ずけずけいった。山野くんは、
「ゆいには、かなわん」
と頭かきかき、にげていった。
ゆいちゃんに、あおられたみたいに、育子ちゃんが、チョコレートをとりだした。青いリボンがついた、大き目の箱を、制服の上着の下におしこんで、教室から、とびだしていった。
ほかの女子も、はずかしそうに、「ギリチョコよ」と、念をおしながら、男子に、あげはじめた。同じ班の人に、あげる人もいれば、ちがう班の人にあげる人もいる。
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子ども世界No.127 85年2月号