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三島由紀夫の最高傑作「金閣寺」のオーディオブックを作り終わった:ゼロ努力で文章力を上げるために

努力ゼロで日本語の文章力を極限まで高めるにはどうすればよいか

私は元来が怠け性である。

どうすれば努力ゼロで日本語の運用能力を高く保っておけるだろうか…という苦心の果てに、

「最も巧みに日本語の文章を操る作家」の「文句なしの最高傑作」をひとつ選んで、オーディオブック化して完全に頭に入れてしまえば、日本語の運用能力を簡単に高めることができる

という手を考え出した。本を能動的に音読することすら手間に感じるので、オーディオブックをかけ流しにして勝手に脳に処理させておこうという算段である。


言語運用能力を高く保っておくことの利点はよく分かっているつもりだし、言語運用能力を高めるのに音読が効果的なのも随分前から知っていた。

ただ、日常生活や業務においてやるべきことはいつだって山積しているのだから、わざわざ「音読する」ということに長時間を費やすのは得策ではないと考えたのだ。

自動化できるものなら自動化してしまいたい。


最も優れた日本語の書き手である三島由紀夫の最高傑作は、文句無しで「金閣寺」だと思う

そういう発想のもとに、私はごく最近まで、『三島由紀夫の「金閣寺」をオーディオブック化する』という楽しい作業に従事していた。

文字起こしに取りかかり始めたのは、たしか今年四月の初め頃だったと思う。しかしその後の進捗は思わしくなかった。昭和を代表する文豪が渾身の気力をもって打ち樹てた偉大な文学的業績、軽い眩暈をさえ覚えるその文体と質量に圧倒され、作業は伸ばし伸ばしにされた。

この「三島由紀夫の金閣寺をオーディオブック化する」という、一種の文学的苦行とも言えるタスクは、六月の一日にようやく終わりを迎え、いま私は、日に二周ほど「金閣寺」を聴いている。


数ある作家たちの中から三島を選んだのは、日本の文壇や海外からの評価が極めて高いこと、文体が古すぎないこと、他の作家と比べて現在の人々にも影響を与えている度合いが高いこと、などが主たる理由だ。

特に、「日本語の言語運用能力を高める」という目的からすると、文章力において圧倒的にナンバーワンである…という評判を持つ作家でなければならない。

もちろん日本には三島の他にも数多くの素晴らしい作家がいるが、作品・人物・思想・生き様などをひっくるめた総合的な魅力や、作家自身の文学的素養や見識の深さ、私の個人的な文学遍歴なども鑑みると、結局は三島由紀夫だけが残った。


数ある三島の作品のうちから「金閣寺」を選んだのは、消去法によるところが大きい。

まず、オーディオブックとして繰り返し耳に入れること、自然言語の抽象度で情報空間を自在に操作するための基盤として利用することを考えると、評論や随筆ではなく、それ自体が完結している虚構世界=小説が望ましいだろうと思われた。

三島は「近代能楽集」や「サド侯爵夫人」など戯曲の評価も高いが、舞台装置という言語以外の仕掛けを要する戯曲は、このような事情から、もとより考慮の外であった。


他に三島の最高傑作として名の挙がる作品で言えば、まず、「豊饒の海」は、四部作なので分量的に持て余すように感じられた。オーディオブックは一冊限り、かつ、一日に何周かできる程度のボリュームに収まっていなければならぬ、という拘りが私にあった。

また、「仮面の告白」は、弱冠二十四歳であった三島の鋭い文学的センスが光る怪作だが、壮年期の傑作群に比べるとどうしても円熟味に欠ける。

個人的なセクシャリティの観点から「禁色」も検討した。しかし、上記同様の理由に加え、これは三島が文壇の頂点へと駆け上る途中で産み落とされた「野心作」であろうという私自身の評価もあり、惜しいところで候補から脱落した。

私のなかでは、「禁色」は、三島がその文学的登攀を終えるほとんど最後の手がかりであり、いっぽう「金閣寺」は、彼がその頂上で遂に言葉そのものへと完全に化身し、その重厚な文学的麗辞を金閣頂上の鳳凰さながら軽やかに翻し、満を持して仮象の世界へと羽ばたいてゆく瞬間の克明な記録である。


その他「愛の渇き」「橋づくし」「午後の曳航」「鏡子の家」など、検討の対象となりながらもふるいの目から落ちこぼれた作品を数え上げればきりがない。


余談だが、個人的には「命売ります」が好きだ。それは私が三島に傾倒する発端となった作品である。初めて三島の文章に触れたのは、高校時代に旭川のジュンク堂へ受験参考書を探しに行った折、たまたま目に触れた「三島由紀夫vs東大全共闘」を何の気なしに立ち読みしたときのことである。

東大の本郷キャンパス構内へと入っていく三島自身の手記は、当時の空気を肉感的に伝える精緻かつ美麗な日本語で構成されていながら、なおウィットに富み、私が読んできたいかなる類の文章とも明らかに質を異にしていた。

私はそれを立ち読みして衝撃を受けると同時に、この作家のほかの本はどんなものだろう、という抗いがたい強烈な興味が湧き起こった。

しかしこの作家の本はどれも、当時高校生であった私の眼には、題名や装丁からして、崇高すぎるものに見えた。そこで、見るからに一番取っつき易そうな「命売ります」をそのまま買って帰り、そのまま下宿のベッドに持ち込んで、貪るように夢中で読んだ。そういう思い出深い本である。

ただ、「命売ります」はあくまでも三島流の通俗小説であり大衆小説であり、俗な言い方をすれば、金閣寺ほど「文章に全振り」した感じは受けない。そこで、追憶はあくまで追憶として、独自の領域にだいじに保管しておくことを私は選んだ。


「三島由紀夫の金閣寺」という字面の美しさに加えて、「みしまゆきおのきんかくじ」という響きの良さも私の気に入った。ちょうど五七五の七五、都々逸の型に即している。

一冊だけを選び出すならこれで悔いないだろうと思えた。


「金閣寺」のオーディオブックはこんな感じ

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完成したオーディオブックは全十パート、五時間十五分ほどの長さである。私の一日の過ごし方からすると、一日あたり二周から二周半はできる。一週間あれば十五周、一年間でだいたい七百五十周、十年と少しあれば一万回リピートできる計算だ。

使用したソフトは、一般に「ゆっくり」の名で知られているSofTalkである。女声01、音量100、速度150%で読み上げると、大体以下のような感じになる。

※著作権の関係上、「金閣寺」全編の音声ファイルを配布することはできない。

少々残念なことに、三島由紀夫の没後まだ五十年と少ししか経っておらず、三島の作品は著作権フリーの扱いになっていない。「人間失格」や「こころ」などは既に著作権が切れており、YouTubeにオーディオブックが転がっているほどなのだが。


SofTalk独特の棒読みアクセントについては、聞いているうちに気にならなくなってくる。どちらかといえば文体そのもの・文章そのものが主目的なのだし、もともと日本語はネイティブなのだからそこまで神経質になる必要もないだろうと判断した。

なお、読み上げソフトの常として、SofTalkは漢字をうまく読み上げてくれないため、「金閣寺の全編をひらがなで打ち直す」必要があった。これは大変な苦痛を伴う作業だった。



おわりに:文章のリハビリを兼ねて

私はここしばらくの間、日本語そのものに真剣に向き合っていなかったので、文章力をリハビリせねばならない。

とりあえずはそのリハビリの道具として、私はこの「金閣寺のオーディオブック」を今後存分に活用していく所存だ。

聞き始めてからわずか二週間あまりだが、日本語を操る力が着実に戻っていく実感がある。


参考までに、単一作品のオーディオブックをひたすら聴き込むことは、共感覚の訓練教材(五感+言語)としても有効だと思う。慣れ親しんだ通学路や家の中の風景を記憶術(場所法)に利用するのと同じ要領、あるいは武術の型をひたすら反復するのと同じ要領だ。

オーディオブックの反復的刷り込みによって「情報空間の中に、純粋に言語のみによって構築された確固たる構造物」を建てることができれば、それをテコの支点として利用し、実に様々な能力を開発することができるだろう。

「無意識レベルに刷り込まれるまで毎回毎回同じことを繰り返す」というのは、何かに習熟する際に意外なほどの効力を発揮する。共感覚の訓練でもおそらく同じことだろうと私は思う。


これをお読みの方も、もしお手すきであれば、自分が最高傑作と信じる一冊をオーディオブックでひたすら受動的に聴き込んでみてはいかがだろうか。

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