閉塞感が溢れる現代だからこそ。「真に自由な人生」を手に入れるアファメーション
やりたくないことを我慢してやること以上に無責任なことはない
いつも不思議に思うのですが、なぜか日本では
「やりたいことをやって生きる=わがまま、社会のはぐれもの、ノット・ノーマル」
「やりたくないことも我慢してやる=逃げない、きちんと社会的責任を負っている、これが普通」
みたいな認識があるようです。
しかし、私に言わせれば、これはまったく逆です。私の認識では
「やりたいことをやって生きる=逃げない、きちんと社会的責任を負っている、これが普通」
「やりたくないことも我慢してやる=わがまま、社会のはぐれもの、ノット・ノーマル」
です。みんなとは真逆の考え方をしています。
なぜでしょうか?
理由は簡単です。
「やりたくないことでも我慢してやる」と言った瞬間に、「これは嫌々やっていることであって、本当は自分の意志ではない」という意味がそこに含まれるから
です。
つまり、「本当はやるつもりはないんだけど…」という思いがそこに含まれているのです。これは、自分の行動の結果に対する責任をとる意志に欠けているということです。
裏返して言えば、「やりたくないことを我慢してやる」という態度は、「これは自分の決断であり、良い結果が出るにしろ悪い結果が出るにせよ、自分がその責任を引き受ける」という意志に欠けているのです。
これはずいぶん無責任なことだと思わないでしょうか?
つまり、社会的通念とは真逆で、「自分の意志でやりたいことをやる」ことこそが、真に責任を果たすことになるのです。社会の為になるかどうかという観点で考えると、これこそがノーマルな態度であるべきです。「自分の意志による行いに対する責任」を果たそうとする意志がそこにはあるのですから。
むしろ、「やりたくないことでも我慢してやる」という態度こそが無責任の極みです。自分の行動によって招かれた結果に対して「これは自分の意志じゃない…」という言い訳をすることになるのですから。
そういう態度をとる人は、「自分の頭で考えない、自分の行動の結果に対する責任を取るつもりのない、無責任な大人」です。
真に自由な人生を手に入れるためのアファメーション
さて、前置きが長くなりました。
今回紹介するのは「真に自由な人生を手に入れるためのアファメーション」です。本文はこちら。
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