2人で1冊の本を作る、っていうのはどうかな。
書く人も読む人も、「素直」でいられる。
そんな本が作りたい。
今の現状、
名の通らぬ人が過去を語れば、残念ながら「過去の苦労自慢」だの「自分語り」だの、曲がって受け取られることもある。
そうやって無責任に責め立てることで自分が優位な立場にいると勘違いをして、優越感に浸っている人が少なくないからだ。
反応があればいい方で、むしろ最初から見向きもされないことが一番多いかもしれない。
私自身、自分の過去のことを文章にしていたこともある。冷やかしではなくてちゃんと読みたいと思ってくれた人に届いてほしいから、今でも有料記事としてのこnoteの中に残っている。
書く人は、
ドラマチックな展開を…
どんなトリックがあれば…
感動の名シーンを…
緩急をつけてここは笑いを足して…
なんて、そんなこと考えなくていい。
人生にそんなにドラマみたいな出来事は滅多に起こらない。みんなももうわかってる。
でも、一人の人間が挫折してはどうにかこうにか生き続け、成長し続けてきたというリアルなドラマは確実に存在しているし、体験したことのない人にとっては貴重な話であることは確か。
大きく動いた気持ちなんて、流れるようなきれいな言葉で表せなくて当然。ゴツゴツしてていい。そのままでいい。
たまに、表現力が豊かですごいなという文章を見つける。つかみが上手で展開が上手で情景や心情の表現が豊かでオチまで面白い。そんな文章。
それに対して、感動しました!みたいな返しを見る。
確かにすごいなと思うし、こんなふうに伝えられてうらやましいなとは思う。心も動く。
でもそれと同時に、カツンとプラスチックのような硬さを感じ、そこにあるはずの生身の心を感じないこともある。
こう書けば感動するんでしょ?みたいな黒い気持ちが見え隠れする文章もある。あくまでも私の感じ方だけど。
とぎれとぎれの文章でいい。それが経験した人の本当の言葉なら。
そしてそれを読む人が、素直を認められる、受け止められる、学べる。
そんな本が作りたい。
テレビに出ているような、あんなキラキラした誰でも知っている有名人じゃなくったって、いつもすれ違うあの人の人生だって、自分にとってはものすごく糧になる学びがあるかもしれない。
曲がらず、真っ直ぐに真正面から受け止める「素直な気持ち」で読んで読んでもらえる本が作りたい。
これを実現させるには、1人じゃなかなか難しいのが課題。
だからもう1人が必要になる。
かっこつけない生きた生身の言葉は、そのままでは人の心に届きづらい可能性があるから。
むき出しのそのままをまず受け止める相手がいて、その時感じたものを合わせることで補完できる。
感想文と他己紹介を合体させたような形がいいかもしれない。
簡潔に書いてしまうとインタビューでは?という感じだけど、感覚的にはインタビューよりもっとお互いの距離が近い。
お互いにでもいいし、完全に役割を分けてもいい。
形はそれぞれ柔軟性があってもよくて、とにかく2人で1冊の本を作り上げる。
そして本が出来上がる頃には、本と共に最高のパートナーをが隣にいる。今描いている私の妄想上では、最高すぎるスタートだと思う。
書きたいけど1人じゃ書けない人に向けた、棚卸しのワークショップをするのもいいかもしれない。
2人で書いたら書いたで、傷の舐め合いとかいう人も出てくるだろうけど、そういう人はもう知らん。完全無視。
傷の舐め合いでもなんでもいいよ。そのかわり、あんたの傷は絶対に舐めてやらない。
熱のこもったこの私の気持ちも文章に載せたくて、あまりじっくり見直さずとりあえず記事にしました。
やっぱり言葉や文章に関わる仕事をしてみたい。
自分の本を出す夢もあきらめてはいない。
校閲なども立派な仕事だし、やりがいがあるのかもしれないけど、アウトソーシングなどで顔が見えないただの文字のやりとりは、私には向いてなさそうです。
そこに確かに人がいて、心があって、つながりがあって、その上で出来上がっていくような本を作りたい。
独りよがりではない、でもちゃんと自分の血の通った本を作りたい。そう思います。
実現するかまだ先の長い話かもだけど、言うのはタダですよね😊
(あまりまとめるのが得意じゃないので、つまりこう言うことかな?と簡潔に文章にしてくれる人がいたら、とてつもなく助かります。)
最後までお読みいただき、ありがとうございます。よろしければ、サポートもしていただけたらとっても励みになります😊活動の幅を広げていきたいです。