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適度と楽



おはようございます

今日も色々書いていきます


頑張ることについてとか


思い出のメモなので、自分にしか価値のない文章です



満足


昔から、自分がやりたいなと思ったことは時間を忘れてのめり込む


野球をやってる時は投げる事が大好きで、練習が終わった後も家の前の壁に向かってボールが見えなくなるまで投げ込んで


家に入ったらタオルを使ってまた練習する

体が少し動かなくなってきたら、十分位休むとまた動くからやる


楽しくて堪らなかった、本を読んだりプロの選手の投げ方を見たり

先輩に教わった事を思い出しながらやったり、親に動画をとってもらって確認したりしてその事ばっかり考えてた


中1の秋には肩をあげる事が出来なくなって、ピッチャーも出来なくなったからそのまま辞めた


肩の痛みが無くなった後、テニスを始めた

一年ちょっとで肘を故障して辞めた


歌をやったとき、気管支炎になったときも休まなかった

休めなかった、大事な日が近かったから

喉の奥が真っ赤になって、炎症も酷くて

ちゃんと休まないと歌えなくなるよとお医者さんに言われた

大事な日は強い薬を貰って、無理やり咳を止めた


休む事が、手を抜くのと同じ位怖い


1日休む事でどれだけ体が鈍るか知ってる

インフルエンザや酷い片頭痛で全く身動きが取れない時以外なら

動かせるから動いてしまう

休む時に休めば結果的には良い、大きな怪我に繋がったり病気を拗らせることも少ないから


けど、不安に勝てない


自分が休む1日で、周りがどれだけ進んでしまうか

人に披露する事を前提にやってるものは、どれだけやっても足りないと感じる

もっと頑張らないと、こんな出来損ないの努力で大勢の時間を奪う訳にはいかない


練習で出来ない事は本番も出来ない

今日出来ないことは明日も出来ない


喉を駄目にしても、休まなかった時に

先生からその喉でどうするの?

練習を続けるより、今は本番までにしっかり治すことが先なんじゃないの

って言われた

ちゃんと休め、早く治して戻ってきなさいって意味だったけど


自分には、体調管理も出来ない奴には任せられないって聞こえた


体が弱い、誰かにとっては些細な事でも疲れすぎて休んでしまう

そのコンプレックスで、先生の優しさを受け入れられなかった


明日声が出なくなる事より、今出来ないままでいる事の方が嫌です


呆れられたのはわかったけど


自分は、自分が休むことは他人から見たら甘えやサボり手を抜いてると思われる事を知ってる

俺がお前みたいに生まれてきたら、もっとちゃんと努力するのに

仲間に言われて、一番ショックだったこと


休めない、心ではなく

体が駄目になっただけなら


小さいときは夢中になって体を壊して

大きくなってからは、不安で体を壊すようになってた


周りの友達も、同じ時期に喉を駄目にしてしまっていた事があったけど

しっかりと休み、声を出さないでも周りの練習を見て

見学することで今出来る努力を必死にしてた


自分だって、それが出来た筈なのに


ただ結果は、本番にちゃんと間に合った

途中、干されて自分のしたい練習をさせて貰えなかったけど

その間だけは、周りの目は優しかった

それまでは悩みもなさそうに、いつも楽しそうに最後まで残って練習していたところが

同学年は息苦しく、先輩達は心配だったらしい


そんなの見たら知ってたけど、余裕がなかった

本当に好きなことにのめり込んでる時だけは、周りが見えない

滅多にないけど。


自分にも周りが見えなくなる瞬間があるんだと思って面白かった

だから余計に休みたくなかったんだとも思う




大器ハ晩成ス


高校一年の夏がくるより前に、幼少期の自分の歌を褒めてくれた祖父は遠くにいってしまった

自分が最後に会ったとき、

なかなか上手くいかないことで、悩んでた自分に


手を握りながら、

表情も上手く変えられないまま


優しく笑いながら言葉をくれて

自分を励ましてくれた


自分は中学生の時、介護士になりたいと思ってた

理由は、もう無くなったけど


先生や親には、反対された

決めるにはまだはやいんじゃないかとか

あまり思い出したくない言葉も


なんとなく、やりたいって思ったからだったけど

自分のやりたいことをやるために、周りを説得する意味がわからなくてめんどくさくなった


手の届く範囲の人の役にたちたい

祖父母や両親、友達

お仕事お疲れ様って、父親の肩を揉んだり

母親が喜ぶかなって家の事手伝ったり

泣いてる友達の話を聞いたり

そういう生き方が自分らしい、仕事もそれに近いものをって思ってた


けどそれは、震災がおきた時に少し変わった


真っ暗な家で、誰とも会えない時に

ふとつけたラジオから、声が聴こえた

前から好きだったサンドウィッチマンさんがラジオで話してた


大変な時なのにチェーンメールをまわす人や黒い雨が降ってるとかガソリンスタンドが爆発しただの

いろんな事に打ちのめされてた時に


笑い声と合間に歌が届いた


その年に祖父が旅立ったのもあったけど、


手の届かない人にも、

遠くにいて会うことが出来ない人にも

声は届く

だから、やろうって思ってやった


時が流れて19のとき


800人近くのお客さんが見る、舞台の真ん中で歌った最初で最後の映像を、祖父にみせた



そこで終わった

自己満足でしかなかったなって思ったから

だってもういないし


遠くの人に届くように頑張り続けた事で、手の届く人には疎まれた


誰のために頑張ってたのか

何のために頑張ってたのか

自分は何がしたかったのかわからなくなって


空に聴きにいこうと思った


終わった後に緊張の線が切れてまた喉を悪くしたのも多少はあったけど



数年経って、聴けなくなってた音楽を久し振りに聴いた時

わかった


好きだったから続けられてたんだって


誰かに届くようにはもう出来ないけど、

自分の心にだけ響く歌があれば、生きていける

楽しい事があると、歌を口ずさむ


自分の人生は、それだけでいい


自分が誰かを助けたいと思っても、その誰かは自分がなにもしなくても勝手に助かってる

その人自身や自分ではない誰かの支えで


むしろ、邪魔になってしまう事の方がきっと多かった

誰かの成長を遅らせてたこともあると思う


だから


自分はここにいる




たぶんほんとは他人になんて興味ないよ

だから、みんなしあわせでいてね

疲れたらちゃんと休んでね

頑張りかたはきっと一つじゃないよ

嫌なことを避けようとすると、逆にそればっかりに気をとられちゃう事もあるよ

相手になにかを求めるなら、自分の心がけてる事を先に伝えた方が聞いてもらえるかも

一人でも、孤独にはさせないから


まだもう少し、ここにいる


意味はないかもしれないけど




付き合ってくれてありがとうございました


流行の波にさらわれて、大事なものまで流されてしまわないことを祈ってます

自分優しく出来る方法を見つけたなら、それでいいです

優しさより厳しさに流されてしまったら、結局今までと同じ苦しいままな人もいる

苦しいと思う事が自分だと思うならそれでいい

少し肩の力を抜きたいと、変わりたいと思ったら誰かの優しさに甘えても良いんだと思う


他人に厳しい人の甘えに付き合う事はない


休んだら休んだ分まで頑張ろうとしてしまえる人だって思うから、休んでねって言いたくなるんだよ

大変なら一緒に頑張っていきたい

こんな口だけで役に立たない人より、

直接手を貸してくれる人って本当は沢山いる


人は、言葉で伝えないとわからないから

もしかしたら、相手が勇気を出すのを待ってるのかもしれない


何かを感じた後、どう活かすか

それを考えるのが楽しい


自分のことも相手のことも、手と手で触れるまで気づけないものもあると思う

自分は今でも、寝たきりで弱った祖父の

力強く握ろうとした手を憶えてる




お疲れ様でした


ありがとうございました



おしまい







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