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好きと普通の真ん中くらい HSP/HSE


おはようございます

最近、音が上手く聴こえないので

思い出します

HSPについて直接的な説明は特にないです

そういう気質を持ってるかもと思った人がただ書いていきます

音というものが自分にとってどんなものだったか



子供とおとな


幼稚園に通っていた頃

だから、物心ついて間もない頃から

歌はなんとなく好きだった

理由は特になかったけど


好きだと意識したキッカケは、鮮明に憶えてる

祖父の、田舎に住むおじいちゃんの部屋で

父親と三人で居るとき

なんとなく歌った、頑張って練習した訳ではない歌を

おじいちゃんが凄く喜んで聴いてくれたから

それを見た父親も一緒になって

嬉しそうだった


変声期前の子供の声

天使の歌声だって、言ってくれた

照れてしまって、その後は緊張したり

楽しくなったり、忙しかった


ありのままを褒めてくれたことで

歌が好きだと思った


昔から、親戚がよく集まって

十数人くらいでよくカラオケに行ってた

自分やいとこが一緒に歌ってる時なんて、みんな喜んでくれて


だから、小学校の四年生の秋にやってきた

変声期にとてもショックを受けた

今までみたいに歌えないこと

褒めてくれた歌声とは程遠い低い声

少しだけ、歌うことから距離をとった


当時は、おじいちゃんが何を喜んでくれたのかに気付くことが出来なかった



心のとなり


小学生の時、たしか低学年

自分は歌が好きなんだと思っていた親は、WALKMANをプレゼントしてくれた

そして自分は人生で初めてイアホンを付けた


音が消えた

人生から

雑音だけじゃなく、好きだったみんなの穏やかで忙しない会話も全部

不安が強かった、あるべきものがなくなったことで

世界が広がったのではなく、分けられた

そして次に、その時テレビでよく流れていた

好きな曲が流れ出す

いる

そこにいないのに

けど最初は少し遠くにいたから、

もっと近くに来てもらう

誰かが、自分一人の為に音をくれる

自分が何も答えずとも、ただ音を、声を、言葉を空白を埋め続けてくれる

嫌な事はしない、嫌なことになってもすぐに離れてくれるし

傷付かない

ただ自分の隣で、誰かが

優しい音をくれる

一人の時間という孤独は、自分にとってそこまで辛いものではなかったけど

自分のわがままを何事もなく受け入れてずっと隣にいてくれるものが出来たことで、


ほんの少し、親と距離ができた



みんな隣り合う


幼稚園の頃からなんとなく歌が好きだった理由の、おそらく一つに

みんなと一緒になにかやることが楽しかったという事があったんだと思う

そこに笑顔があるかは別で、なんとなく一生懸命声をあげてる感じ

小学校でも、リコーダーは上手に吹けなかったから嫌だったけど

歌は下手でも楽しめた

友達と一緒にやってること

みんなの声が、自分のよく知っている声が

教室が響き渡ること

音楽を内側で楽しむ事を知ってからも、外側でみんなと楽しむ歌も好きなままだった


だから、中学にあがって仲の良い友達がほぼ全員バラバラになってしまった上に

思春期もあり合唱の練習に消極的になってしまった人達に囲まれる事は、寂しかった

だから放課後に一人で教室に残って

音楽をかけて

自分の内側を広げて、楽しんでた

悪いことはしてないから良い、

だって今は強制ではないけど練習時間だから

一人で好き勝手に歌う

自分のやってることは練習時間に練習してるだけなのに、

不思議なことしてるみたいで楽しかった



そんな事をやってると、

歌が好きな友達や、自分の事を真面目に頑張ってると思ったリーダー気質の友達が集まってきて

自分には出来ない呼び掛けをやってくれたり

人が増えてくると女の子も、なんとなく集まってきて

今度は逆に来てない方が不思議みたいになって、みんな集まってきた

単純に発表が近いからっていうのもあったけど、

先生は皆がやる気になってくれて嬉しいって言ってた

無理にやって欲しい訳じゃないし、楽しめない人とやっても楽しめない

ただなんとなく一人で歌ってただけだけど、

罪悪感があった

自分が好きなことをやらなければ、もっと自由に周りの

個人個人のペースでできたんじゃないかって

ただ、あの教室に

ゆっくり人が集まってきた事と、発表の時の皆の声は

どこか懐かしい音だと感じて

嬉しくて、楽しかった



おとなりさん


外の雑音に耐えられないときにはイアホンをして、変わらない歌を側に置く

けど、本当の意味で独りになりたいときがある

その時は、イアホンも付けていられなくなる

心の隣の音がやかましく感じる、

そう感じる自分の心こそがやかましい時

内側にある、イアホンで塞がって出口を失った言葉たちに

外に逃げてもらう


そうやって、空っぽの独りになって

疲れたって呟く


本音を漏らすと、今度は自分の力ではどうすることもできない、

自然の音が、おかえりって言ってくれる

虫の声が、やけに綺麗で優しくそこにある

外にいれば、いつもは聴こうとしなかった風の音や太陽が照らす音

空気が流れてく音

言葉がぼやけて、音に聴こえる会話

自分の足音

赤ちゃんのなくこえ

バラバラの音が、全部同時に

曲とは違う


それぞれのあるがままが聴こえる


その音は、いつか誰かが自分に感じてくれた

喜びに聴こえた



子供と大人


自分にとって音楽は、好きだと決めたくないもの

心を激しく揺さぶるものも、たまには良いけど

いつもは出来るだけ、当たり前であって欲しい

嫌な音から守ってくれたり、辛いときも誰よりもずっと側にいてくれたから

特別になって欲しくない


四六時中、当時は学校にいるとき以外は家の中でもずっとイアホンを外せなかった(呼ばれたらわかるように片耳だけ)かわりに

匂いや景色と同じように、音楽を流すと自然に

聴いてた当時の記憶が浮かんでくるから

面白い


あとずっと好きな曲を流してるけど

基本的に音として聴いてるから、意識して

当たり前ではないと言い聞かせながらじゃないと歌詞を覚えられない

他人が嫌でイアホンしてる訳じゃないし、音楽を聴きたいと思って聴いてる訳じゃないから

話しかけられても特に思うことはない


嫌なことから守る為と考えると、音楽をもったいなく感じるし

好きで聴いてると思うと、体調を崩したとき(片頭痛の時とか)に聴けないことがストレスになるから


好きと普通の、綺麗なグラデーションの中に

気持ちを定めとく


けど、音楽はいいなーって

思ってる



ここまで読んで下さってありがとうございます

書いてる途中で二回くらい書きたいこと忘れて、結局いくつかは見つかりませんでした

合唱の自主練については、六人位でポンポンと好きに練習してる時が一番楽しかったです

友達の多くが親に言われた通り勉強を一生懸命にやっていたので(塾では)、その親みたいに押し付けてる感じが嫌だったので

やっぱり自分の、みんなと一緒の目標にそれぞれのペースで楽しみたいとかは邪魔な思いだなって感じます


みんながなんとなくやってることはつまんなそうだし、嫌だっていうから

楽しむ方法を考えたいって思うこともあったんですけど

それも嫌な人もいて


自分は辛いことがあったとき、もっと良いものを知ってるから辛いんだって思います

だから、みてるものは凄く綺麗で光ってます

強くは生きれないけど、優しくも出来ないけど

見渡すと、広いなぁって

自分の傷をみてるよりは、気が楽になります


出来なくても、自分の心で思うことは

願うことは

本当に自由で良いと思ってます


この思いをただ世界の一部にしてくれる

自分のおとなりさんは優しいです



来てくれて、ありがとうございました



疲れた

この言葉を笑顔で言えてます、今は


おしまい

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