言葉をつくった日
おはようございます
今日も書いていきます
昨日は頭痛が酷かったのですが、今日はだいぶ落ち着いたので
だらだらとやっていきます
お口のチャック
選ぶことは
選ばなかった方がうまれること
だから
口に出せば、言葉にすれば、形にすれば
常に違う意味や反対の意味も生まれる
どっちでも良いはずなのに
どれだけの意味を補おうとしても
必ずあぶれてしまうものがある
それだけじゃないよねって
ただ、みんながそれじゃ
いつまでもずっとなにも出来ない
なんでも声に出す人がいて
思うだけの人がいて
自分がどうしたいのかではなく、良くも悪くも相手の事に対してしか言葉を使わない人
誰かの行動の粗を探し出すのは
自分が行動するよりもとても簡単なことで
自分の為に生きたいと思うのは当たり前のこと
自分を大切にしたいから、相手を大切にする
嫌なら話せばいい
自分を大切にするために相手の自由を否定することは違う
ただそれはあくまで相手も
他人を尊重できることが前提で
お互いに礼を尽くせる相手にだけ誠実であればいい
通りすがりにいきなり暴言を吐き捨てるような人にまで誠実である必要はない
きっと訳があるんだろうと思える余裕があるならそうするのもいい
他人のやることなすことすべてに嫌気がさしたなら
そのまま一人でいるのがいい
全員が同じに見えたなら、自分も同じ
自分はそれが嫌だ
だからそれをするな
なにがしたいの?なにが出来るの?
なにもしない事が正しいの?
自分の発言はどういう人に共感されて
誰の役に立ったのか
他人の為に働く人を馬鹿にする人は
自分が困ったときどう解決するんだろう
一人にさせてくれない世の中で
どうやったら生きていられるんだろう
どうして自分のやりたいことをやらないんだろう
本当にやりたいことって、なんだったの?
他人も自分も嫌いならしょうがないけど
自分がどうしようもなくなってるのは
他人を縛ってるから
他人を攻撃してるつもりになってるけど
実際は自分の首を絞めてるだけ
はやく楽になれたらいいのにね
自分は、苦しいのは嫌だから
切羽詰まったときは、誰彼構わずグチグチ言うより目を瞑る方を選んだ
他人の軸から自分の軸に
自分はどうしても他人の発言や行動に気を取られてしまうから
しっかり意識をしていないと、心まで持っていかれてしまう
余計な気遣いや恩着せがましい人は苦手
自分がしたいからではなく、君はこうしたほうがいいんでしょって
何も言わずにされるのが
気遣いは自分の為に相手にする
だって、行動を起こすまでは
相手に聞くまでは
必要かそうでないかわからないから
気になってしまう自分の為に相手に何かせずにはいられない
だからいらないなら、いらないで終わり
お互いに何を思ってるかなんてわからないから、コミュニケーションをとる
その一言も面倒なら、もう関わらないほうがお互いに良いねってわかりあって離れるだけ
ものすごく喋る訳でもないけど、
なんでもないやり取りを穏やかに出来る事を幸せに感じるから
自分はそういう感じで話す
誰かに愚痴をこぼすだけで楽になれる人がいて
それを聞くのを断る人がいる
単純に面倒だったり、解決したいと思う人には意味がわからなかったり
嫌なことに人一倍共感して、愚痴をこぼす人よりも疲れてしまうから避ける人も
自分の事で精一杯だから相手もそうするべきだと思う人も
ただそういう人は、意外と2人で荷物を持つ方が楽かもしれない
一人だと持ちづらい形してるかもしれないし
昔聞いた相談?で思ってたこと。
ナイフ
思うのは
言葉や絵をつくった人は
傷つける為に作ったんじゃないことだけはわかる
使い方次第
他人の意見なんだから気にしない方が良いって思うけど
思っても、勝手に感じてしまうから
火
未来の為に
目標の為に頑張って
その日が来たときに迎える嬉しさは、それはもう凄い感動だと思うし
実際自分はそうだった
けど、そうすることで忘れたくないことも出来た
そこに向かって走った日
その1日1日を
目標の為に駆け抜けた日々じゃなく
その時その時を大事な時間だと思ってきたこと
好きな時間だったって事も覚えていたい
今を大切にして、続けて
未来の目標に向かってく
てっぺんにたどり着いた所からみえた景色だけじゃなく
そこに至る道の景色まで知ってるから
よくみえる
結果を誉められたり、自分自身の達成感もあったりで
努力してる時の、なんかキラキラしたものが霞んでくる時があったけど
あっという間にって感じたのは
目標に向かって努力した1日がその時の精一杯で、充実してたからっていう当たり前の事を
疲れたとき、思い出したい
良い結果なんて誰でも評価出来るもので
そこに至る道は自分にしか評価出来ないことだから
読んでくれて、ここに来てくれてありがとうございました
誰かが遠くにいってしまったときに
あの人はこういう人だったとか
その人の友人やお世話になった人達が話してるのをみて
自分は、なんて言う風に言われるのかなって
小さい頃に考えた事がある
その時はそれ以上考えられなかった
死んだあとの自分を想像して
暗い地面のなかで、意識は消えないのに目蓋が開かなくなった自分がみえて嫌だった
少し後になって思ったのは、
引っ込み思案で、あまり自分の事を積極的に話す子供ではなかったから
自分の事を、誰も知らないまま死ぬのは嫌だったんだと思う
みんなに知ってほしいとは今でも全く思わないけど
嬉しい気持ちは一人じゃ抱えきれないから、
そのまま眠ってしまったら
溢れたぶんがもったいないなと思った
人でも、動物でも、もっと別のものでも
好きになることは自分が発見した
教わらなくても
言葉を知らなくても
おしまい