映画監督を語る(HOUSE 6)/最終結果

いったい何をしているのかは、最初の記事を参照のこと。

ラストのHOUSE 6までようやくたどり着いた。ふとした思いつきからやり始めたこの企画であったが、けっこう長い道のりだった。
今回はこんな面々だ。
GUILLERMO DEL TORO
COEN BROTHERS
LUCA GUADAGNINO
GUY RITCHIE
BONG JOON-HO

ギレルモ・デル・トロ

ギレルモ・デル・トロは、メキシコ出身の映画監督。「ミミック」(1997)「ブレイド2」(2002)の監督を担当してそつなくこなした後、2004年にアメコミ原作の「ヘルボーイ」を手掛けた。
アメコミ界におけるマーベルとワーナーの関係性は3軒目のノーランのときにちらっと書いたけど、「ヘルボーイ」は、そのどちらでもない、コロンビア映画である。そして実は、コロンビアの親会社のソニー・ピクチャーズは、売上世界No.1の配給会社なのだ。一方、原作は、「ダークホースコミックス」という出版社で、これは二大巨頭のマーベルとDCコミックスには全くかなわないものの、独立系の出版社が群雄割拠するアメリカのコミック市場の中では、いちおう3位に位置する会社である。僕たちはなんとなくアメコミ大作映画を楽しんでいるけれども、その裏側には資本主義世界の血のにじむような戦いがある。

ヘルボーイは、赤ん坊のときにこの世界に迷い込んできた悪魔で、超常現象調査防衛局という秘密組織の中で育てられ、成人した現在は工作員として、魔物たちを退治している。ロン・パールマンが演じる彼のフォルムが、コミックの赤と黒のコントラストを忠実に再現していて、とても格好良い。

ただ、今回紹介したいのはそれじゃなくて、「パンズ・ラビリンス」(2006)だ。1940年代、内戦中のスペインが舞台。父を失ったオフェリア(イバナ・バケロ)は、母親の再婚相手に引き取られて山奥に移り住む。新しい父親は独裁政権側の大尉で、抵抗集団を駆逐するために山奥の砦を拠点としているのだ。大人たちの戦いに馴染めない彼女は、ある日現れた妖精に導かれて、地底の迷宮へと誘われるのであった。

「ヘルボーイ」とは違って、出てくるキャラクターの造形が、ギレルモ・デル・トロのオリジナルなのだ。異世界の案内人である、羊の角を持つ牧神・パンが、すでになんとも邪悪な姿をしているが、なんといっても、第2の試練で出てくる、ペイルマン、こいつが独創的すぎてやばい。映画は観てなくても、画像だけなら見たことある人もいるんじゃないかな。白くて乾いた皮膚の、一見するとしわしわの老人のような見た目なんだけれど、顔をよく見ると、鼻と口と耳はあるのに、あるべき場所に目がない。そして、手品師が最初に「何も持っていませんよ」というときのように、顔の前でゆっくりと、黒い爪が伸びた枯れ木のような指をばらんと広げると、その手のひらの真ん中に目玉が埋め込まれているのだ。不気味で笑えるシーン。

一方、映画で描かれる現実の世界は、ドイツやイタリアのファシズムに取り込まれたフランコ政権が、むくむくと台頭し始めている暗い不安定な時代。レジスタンス側もソ連の後ろ盾もあって血生臭いゲリラをしかけ、オフェリアには何が正義なのかわからない。スペインの内戦は、第二次世界大戦の代理戦争の構図なのだ。家族に救いを求めようとしたところで、義父の大尉は母親が妊娠している実子だけを大切にするし、母親は生きていくためにはそれに従うしかない。

そんな、どこにも逃げ場所がない八方塞がりな彼女が、言ってみれば順当に、空想の世界に没入するのだけれど、この映画のいちばんのポイントなのが、地下の迷宮はどうやら善きものではない、ということだ。

ふつうのファンタジー、ティム・バートン作品や、ピクサーやジブリのアニメなんかは、空想の世界を好意的に描く。もちろん、全てがユートピアではなくて、「あくまでも通り抜ける場所であり、そこに永住することは危険だよ」という位置づけだったりするんだけれど、基本的には「善きもの」よりだと思う。けれど、ギレルモ・デル・トロが作る空想世界には、善なのか悪なのか、はっきりと説明ができない邪悪さがある。だから、このラストシーンの展開も、ハッピーエンドなのかバッドエンドなのか、どうもわからない。

その後は「パシフィック・リム」(2013)で、ガンダム型のロボットが怪獣と戦う実写映画を作り、「シェイプ・オブ・ウォーター」(2017)にてアカデミー賞作品賞を受賞。善悪を説明しない姿勢は、それらの映画に対しても各所に見られる。新作が出れば必ず早々に観る、信頼できる映画監督である。

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コーエン兄弟

僕が映画好きになった中学生の頃、ちょうどリアルタイムで活躍をしていたのが、ジョエル・コーエンイーサン・コーエンの兄弟監督だ。ちょっと見るにはちょうど良い映画で、全部の映画が劇場公開されるし、レンタルビデオ屋にも必ず並んだ。だから、僕ら世代の映画好きは、だいたいすべての映画を観ているんじゃないかな。そうなると、1つを選べ、と言われると、どうも迷ってしまうが、あえてチョイスするならば、「ビッグ・リボウスキ」(1998)じゃないかな、と思う。

90年代初頭のロサンゼルス、無職のデュード・リボウスキ(ジェフ・ブリッジス)は、ベトナム戦争帰りのウォルター(ジョン・グッドマン)と気の弱いドニー(スティーブ・ブシェミ)と、いつもボウリング場でつるんでいる。デュードはある日、暴漢に襲われる。どうやら、同じ苗字の富豪と勘違いされたらしい。それが縁で、本物の富豪のリボウスキに呼ばれることになった彼は、誘拐された妻の100万ドルの身代金を払う役目を引き受ける。しかし、受け渡しに向かおうとしたところにウォルターが介入、金の代わりに偽物のブリーフケースを渡してしまうし、手元に残った100万ドルは、車ごと盗難に遭ってしまう。

この人の映画は、どの映画でも、登場人物たちが、だいたいしょうもない。「ビッグ・リボウスキ」でも、いかにもアメリカの片田舎にいそうな無職の3人はもちろんのこと、前衛芸術化でフェミニストであるジュリアン・ムーア、全身紫のジャージの気障でいけすかないジョン・タートゥーロ、神経質そうな秘書のフィリップ・シーモア・ホフマン、ニヒリスト誘拐犯のピーター・ストーメア(そして一緒に家に押し入るメンバーの一人がレッド・ホット・チリ・ペッパーズフリーだ)。全員に格好いい要素が皆無であり、だらだらとぼとぼと、しょうもない人生を送る。それが、「コメディ」の棚に置かれる理由だ。

また、彼らは映像作家として、芸術派ぶって下手に演出をこねくり回すことはせず、例えば注目するべき視点をちゃんとズームインやカットインするような、きちんと観客に寄り添うカメラワークを多用する。プロットも、ちゃんとその先を観たくなるように巧みに転がる語り口調だ。題材は必ず誘拐や強盗、殺人などの犯罪を扱う。ところどころにあっさりとしたシュールな展開があるのが若干「へん」なところだけれど、総じては一線を超えて破綻するようなことはしない。古き良きハワード・ホークス「3つ数えろ」(1946)のような、正攻法のスリラーを引き継いでいる、と言える。

この、コメディとスリラーの二律背反を、無理矢理感なくこの仕上がり精度でまとめ上げることができるのは、いまのところ彼らしかいないので、このように長い間、安定して一線で活躍している。スリラーに振り切れば、「ノーカントリー」(2007)みたいなこともできるし、コメディに振り切れば「レディ・キラーズ」(2004)みたいなこともできるのだ。

でも、そんな器用で「まとも」な職人なのに、「ビッグ・リボウスキ」では珍しく、ちょっと色気を出して、観念的な夢の世界を描いた映像を作ってみた。デュードがボウリングのレーンで低空飛行したり、市松模様の世界でジュリアン・ムーアに投球フォームを教えていたら、全身タイツをきたハサミ男たちに追いかけられたり。ちょっと「ファーゴ」(1996)が当たったもんだから、気を良くして、やりたい放題をしたんだと思う。そしてそれが、後にも先にも他に例がない、ずいぶんと独創的な映像になった。だからこの映画を選んだ。

ルカ・グァダニーノ

近年注目度が高い、ルカ・グァダニーノは、イタリア出身の新進気鋭。なぜか仲の良いトム・ヨークが毎回音楽を手がけて話題となる。
ティモシー・シャラメアーミー・ハマーの、ひと夏の同性愛を美しく描いた「君の名前で僕を呼んで」(2017)でブレイクしたので、「青春の輝き」とか「繊細な恋心」とか、そういうのが得意な人なんだと思っていた。ところがなんと、「サスペリア」(2018)を作ったわけだ。

これはもちろん、「サスペリア」(1977)のリメイクである。
1970年代のベルリン、舞踏団に入学したスージー(ダコタ・ジョンソン)。コンテンポラリーダンスで有名であり、マダム・ブラン(ティルダ・スウィントン)は絶対の信頼を置かれている。次第にそのダンスの実力が認められ始めるスージー。一方、クレンペラー医師(ルッツ・エバースドルフ)は、団員であり、自らの患者であるパトリシア(クロエ・グレース・モレッツ)が失踪したことで調査を始める。

説明を一切排除するので、一度観て全体像を理解できる人はほぼいない。かといって、あまりにも肉々しくて恐ろしいので、見返す気にもならない。コマ数を間引いたスローや、章の終わりにばばばばっとフラッシュバックのカットを入れるとか、いろいろと意欲的な映像を繰り出してくるため、天然の天才なわけではなくて、意識的に映画が作れる人なんだと思う。

そして、驚かされたのが、ルッツ・エバースドルフなんて役者は現実には存在しない、ということ。知らない人は、いったい何を言ってるのかわからないでしょう。こんなことをした映画は他にはないんじゃないかな。

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ガイ・リッチー

マドンナの元夫でもあるガイ・リッチーは、もともとはCMやMVを手がけるクリエイターで、「ロック、ストック&トゥー・スモーキング・バレルズ」(1998)「スナッチ」(2000)などの映画で有名に。その後は、意外と、「スウェプト・アウェイ」(2002)みたいな低評価の映画は少なくて、いかにも失敗しそうな「シャーロック・ホームズ」(2009)「アラジン」(2019)などでも、きちんと一定の評価と興行収入を稼ぎ出している、実は珍しい人だ。

スタイリッシュな映像至上主義で、スローや早回しをこねくり回し、短いカットを繋いだアクションシーンを得意とする。たぶん、アカデミー賞みたいなものには興味がないんじゃないかな、シリアスな映画を作ろうとしないあたりが潔い。

不思議なことに、最新作の「The Gentlemen」(2019)の日本公開が決まらない。日本で映画がヒットするためには、女子受けの要素も必要だが、この人には、確かにそんな要素が一切ないからなあ。

ボン・ジュノ

最後は、今年のアカデミー賞で、アジア映画としては初、作品賞監督賞を奪取した「パラサイト 半地下の家族」(2019)が記憶に新しい、ボン・ジュノである。
僕は、「ほえる犬は噛まない」(2000)の、団地を舞台に黄色いパーカーのペ・ドゥナが走り回る作品を観たときから彼のファン。「殺人の追憶」(2003)は、「ゾディアック」(2007)よりも数年早く、未解決事件の土着的な気味の悪さを描いた。これは傑作だった。また、近年はアメリカに進出し、「スノーピアサー」(2013)みたいなヒット作を作ったり、NetFlixのみで配信し劇場公開をしなかった「オクジャ」(2017)のような作品も時代に先駆けて発表している。

しかし、なんといっても推したいのは、やっぱり、「グエムル-漢江の怪物-」(2006)だ。だって、インド象くらいの大きさの怪獣が、昼間にはっきりくっきりと出てきてしまうのだ。最初の見せ場である、出現して大暴れするシーンで、ずっとなんとなく、後ろのほうに映り込んでいる、漢江の怪物。え、いいの?という感じ。この当時の日本やハリウッドにはそんな発想はないので、度肝を抜かれた怪獣映画の革命である。

娘を怪物にさらわれたカンドゥ(ソン・ガンホ)、その弟のナミル(パク・ヘイル)と妹のナムジュ(ペ・ドゥナ)そして父親のヒボン(ピョン・ヒボン)は、復讐のために立ち上がる。未知のウィルスを持っているとされた怪物と濃厚接触したため、国の機関から追われる身となったカンドゥと家族たち。全ての市民たちがマスクをして生活をしているディストピア的な世界は、風刺の意味も込めた表現であったが、いま改めて観てみると、決してフィクションの世界ではなくなった。

しかし、いちいちどうしてもふざけている。体制に捉えられたカンドゥは、分度器の進化版みたいなしょうもない機械で脳を調べられる。そういえば、「殺人の追憶」みたいなおどろおどろしいはずの映画でも、空気をいちいちコミカル寄りに振った。

せっかく「ロード・オブ・ザ・リング」も手がけたVFX制作会社が怪物の映像を作ってくれているのに、怪物とのドンパチはあんまり見せず、そうではなくて、怪物が現れたときに韓国社会がどうなるのか、という話をありありと描き続ける。この監督は、人物よりも、格差社会などの「状況」を描きたいようだ。

けれど、それで終わらないのが、この人のそこが知れない、「へん」なところだ。だって、クライマックスには結局、きちんと家族が結束して怪物を倒す。そのときには、状況、とか、風刺、とか、そんなことはどうでも良くて、ご都合主義の痛快アクション映画のごとく、真っ向勝負でぶっとばすのだ。

HOUSE 6の結果

ギレルモ・デル・トロ 5点
コーエン兄弟 5点
ルカ・グァダニーノ 3点
ガイ・リッチー 4点
ボン・ジュノ 5点

合計22点。

最終結果

HOUSE 1 14点
HOUSE 2 14点
HOUSE 3 21点
HOUSE 4 13点
HOUSE 5 14点

HOUSE 6 22点

なので、僕は、HOUSE 6 を選びます。
終わり。


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