霞が関ライフ、始まりました〜1年目はじめ〜

いやー、あの向かい側に立ってる人、こっちが見てて暑苦しくなるようなモコモコのでかいトートバッグ持ってるけどまだ夏よ?と思ったけど、もう9月下旬か。ノースリーブを着ている私のほうが時期外れかもしれない。
今日も私は電波の繋がりにくい電車内でnoteを書いている。ようやく本題の霞が関ライフの幕開けだ。

4月1日朝、内定式に向かう私はこれからの未来に瞳を輝かせていた。何名か官庁訪問で会った者もおり、これから新しい生活が始まることを実感していた。コロナ禍に実施されたため、大臣訓示がなかったのは今も残念に思う。(次官も雲の上のお人だけど、大臣に比べたら箔がつかない。)
儀式は終わり、次は個別の部屋に呼ばれて内示をもらった。私は国際系の部署に配属された。凄いところにいくんだ!とここまではワクワクしていた。午後は実際に所属されるオフィスに顔を出すということでフロアに入った。私はそこで本能的に気づいた。「ヤバいところに来た」と。静かな空間にタイプ音が響き、人々は死んだ顔でパソコンに向き合っている。これまでの就活で出会った職員とは違い、いまいち生気がなかった。同じ部署の者に挨拶したが、歓迎ムードはなく、進行中の仕事に水を差してしまったような感じを覚え、いたたまれなかった。
挨拶の他に、1日目の午後はパソコンのセットアップをした。前任の女性から説明書を渡されたくらいで特に説明やフォローもなく、合っているのか分からないが説明書を読みながら適当に設定をした。周りが何やかんやと構ってくれるところではないため自分自身でなんとかしないといけない場所ということをなんとなく理解した。

2日目からは省庁の研修が始まる。しかし、面白いのは研修の期間だ。たったの2日。コロナを言い訳にして短縮されたようだが、2日で何の研修ができるのだろう。民間の友人の研修が数ヶ月あることが羨ましかった。おままごとのような研修が終わったら、すぐに通常の業務をさせられた。これもひどいもので、前任(2年目)が主に教育するのだが、前任の仕事が減るわけではないので、ただでさえ忙しい人に更なるお荷物が加わるのである。それでも前任の方はなんとかケアしてくれているように感じたが、忙しそうな人に自分が色々と質問することは憚られたし、まだ1年しか働いていない人が他人にいきなり仕事を教えるということで、どう考えても体制は充分ではなかった。どういう仕事か理解していないまま、前任に言われた通りにメールを送っていたため、相手から色々と聞かれて何もわからず苦痛だった。時には相手に早口で詰められ、逃げたくなった。何もわからない1年生にロクな説明もせず、いきなりフロントに立たせることは自分の省庁では普通であった。他の組織で働いたことがないため、新人教育とはこういったものが通例であれば、単に私が甘いだけかもしれない。

他にも私が不満に感じることはあった(というか、あらゆることが不満であった)。先ほど研修は2日と書いたが、この他に部局が自主的に実施する1年目向けの研修(というより勉強会に近い)が複数回開かれたが、開催時間が18:15〜21:00過ぎで、そもそも定時後の開催であった。働いて1ヶ月も経たない中で、省庁の洗礼を受けたように感じた。

ここまで不満をタラタラと垂れると、少しでもいいことは無かったのかというツッコミが入りそうだが、さらに不満を続ける。一応フォローをしておくと、気づくのに時間はかかったがいいところもある(別投稿で書くことになりそう)。

慣れない社会人生活、慣れない環境ということで日々ストレスもあったし、辛かったが、決定的にダメージを受けた出来事があった。働いてちょうど3ヶ月目にあたる時、総理出張随行のロジ(ロジという言葉が便利すぎて多用するのだが、明確な定義が難しい。ここでは手配と考えてもらいたい。事前調整のイメージ。)をいきなり自分一人に押し付けられた。他の人のサポートはなかった。皆他の準備で忙しいからだ。出張ロジにどういう手続が発生するのか、そもそも何をするのか、あらゆることがわからなかった。聞きやすい人ということでまずは前任に聞いてみるものの、コロナ禍であり、前任も出張ロジを経験したことはなかった。組織の構造も理解できておらず、前任がわからないとなると他に誰に聞けばよいのかわからなかった。勿論仕事を投げた人も具体的にどのような手続きが発生するかは理解していない。
入ったばかりの1年目にいきなり仕事を丸投げ、しかもどのような作業が必要か誰もよくわかっていない、そして総理出張随行のため失敗は許されないという、本当にひどい状況であった。私も変に真面目で与えられた仕事を自分でなんとかしないとと責任感を感じすぎたこと、連日夜遅くの残業が続いたことで、憂鬱な気分が続き常に喉が詰まっているような感覚があった。3ヶ月目にしてその月の残業時間は100を超えた。
かなり気が滅入っていたが、日々手探りで手配を進めた。1ヶ月後には必ず出張ロジを終わらせないといけないということで、忙しさの続く期間は短く、限界に到達することはなかった。出張が無事に済み、業務が落ち着いたことで、私の心にはしばしの安寧が訪れた。


キリがよいので一旦ここで!
1年目のことを思い出したけど本当にひどかったなぁ。正直苦しんだことしか覚えてないや笑 長々と恨み節を書いてすみません。次の回で書けるか分からないけど、いずれ霞が関の素晴らしさは書くので(恨み節に比べたら素晴らしいところは圧倒的に少ないけど)!


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