フラットな心で居られることこそが幸せなのだと思う
心のエネルギーが枯渇していた。仕事も会社員も人生も、もう全部嫌だった。だけど身ひとつで逃げられる度胸も実力もない。文字通りどうしようもない。
そういうメンタリティで8月の1ヵ月間を過ごしていた。月火水木金、土日。分断されるみたいな1週間のうちの2日間では、「もう全部嫌だ」を消し去って心をフラットにする、ということができなかった。
私は今社会人4年目だが、入社1年目の夏、営業がつらすぎてメンタルダウンが身体症状として現れたことがある。まずは心が無理になって、その後に体にきた。
その経験があるから、自分のメンタルの限界サインがわかる。ちょっとダメだなと思ったから、こんな9月の初旬に夏季休暇という名目の有給休暇をもらい、6連休を作った。今日がその6連休の、最終日だった。
行きたいところに出掛けたり、音楽をしたり、自分と向き合ったり。まあまあ良い6日間を過ごせたかなと思うのだけれど、一番印象的だったのは昨日、6連休5日目だった。忘れたくない感覚を感じたので、記しておこうと思う。
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6連休、5日目。少し雨が降っていたけど、お気に入りの喫茶店に出掛けた。オレンジ、暖色のやわらかい明かりが灯る店内は、雰囲気がいい。カウンター席に座り、アイスカフェオレとロールケーキを注文した。
しばらくして、マスターなのか、お年を召した物静かそうな男性が、注文したものを運んできてくれた。こういうとき、私はまず苦い方からいただく。ガムシロップなしのカフェラテを一口飲んだあと、ケーキを口に運んだ。
甘くて優しい幸せに、思わず頬がほころぶ。
この時の私の目の前には、おいしいロールケーキとアイスカフェオレ、そして先日初めてチャレンジしたジェルネイルと、買ったばかりの透明なリングが光景として広がっていた。それを見てなんだか、すごく満たされている気分になった。すごく幸せな気持ちになった。
この感覚を私は、忘れたくないと思った。
そこでの時間は、凪のようだった。負の感情が入る隙がない、ただ今この素敵な空間に浸れる環境。躁でも鬱でもない、フラット。そんな感覚。
フラットな心に沁みる幸せって、とてもクリアなんだなと気づいた。こんな感覚はいつぶりだろうか。
幸せになりたいと生きてきたけど、その時に思った。ずっと幸せでなんていなくていい。ベースはずっと、フラットがいい。フラットであれば、幸せはちゃんと幸せとして感じられるし、悲しみもちゃんと悲しみとして感じられる。
私はそういう感情を、ありのまま感じながら生きていたい。そうあれる場所を、探したい。
ベースがマイナスだったら、幸せがあってもせいぜいマイナス幅が小さくなるくらいだし、ベースが幸せっていうのはなんか、あんまり幸せが続きすぎると怖くなるし。だから一番、フラットがいい。
6連休がこころに与えた作用はわからないけれど、ほんの少し、ほんの少しだけ立ち止まって、久しぶりに何も考えなくていいフラットな時間を過ごせたのはすごくよかったなと思う。
自分はこうありたい、を見つけられたのは、こういう時間を作れたからだろう。
一旦立ち止まったり、手離してみたり。
それと引き換えに得られるものって、きっとある。走っている時には思いつかなかったこと、想像すらできなかったことを思いつくことがある。
だから未来を恐れないでいたいなあと思う。