エディンバラいち!美味しいパン屋さんは街外れに
ちょっと街の中心部ではない街外れに、そのパン屋さんがあるのです。自宅からは車で10分程度、徒歩で40分程度。
私の場合は、週末もそもそと起きてきて、時計をチラ見、まだバゲットが売り切れる前の11時になっていないであれば、なんの躊躇いもなく向かいます、美味し過ぎてついつい食べ過ぎてしまうのが唯一の難点ではあるけれど、かまわ〜ん。
最初にこのお店を教えてもらったのは、北京で会って→同じような時期にエディンバラに引っ越してきて住み始めたという奇遇なご家族の奥様から。旦那様は北京で英国車の会社に勤めておられました。その頃、北京はものすごい勢いで富裕層が増えている時期で、北京市内には土地、家バブルもすごいことになっているけれども、もっとすごかったのは高級車の売れ行き。特にBenz、BMW、Bentleyの3社の車が、これほどまでに道路を走っているのを見るのはヨーロッパではなく、北京だと言われておりました。スラリとした中国美女たちは、ボーイフレンドのお迎え車は「B」のつく車ではないとダメと条件付きだったそうです。このせいで冗談話が作られ、ある男子が、
「もちろん僕の車もB」
と言ってドライブデートにやってきたら実は、「BYD」だった、とここでずっこけ笑うところだったんですから、このジョーク、いつまでも忘れられないわ。
その奥様においしいパン屋さん、うちの子供たちも大好き、特にパンオショコラと聞いたのはもう数年前(できたのがコロナ禍の2019ー20年だったらしいです)、でも我々が本腰を入れて通うようになったのはつい最近。それまでパンオショコラはそんなに好きでないから足が向かなかったんです。でも、見てみるといつも行列ができております。このパン屋さんは、Boulangerie, Pattisserie, L'Angelou。もう、最高なんですから。
外見はシンプルで、お金をかけていなさそうな手作り系・質実剛健系・地に足がついている感じ、目の前を通っても行列ができていなければ通り過ぎてしまいそうなテイクアウトオンリーのお店。お客さんもフレンチ系Boulangerie・Pattisserieといえば想像するような女子大生とかヤンママではなく、ペンキのついたジーンズおじさんとか、フード付きトレーナーの工事現場のお兄ちゃんとかさまざまです。
本日仕入れてきたパン各種をここでお披露目したいと思います。
ここのサワードゥも美味しいのですが、今日はバゲット。手で持ったりバッグにそのまま突っ込んでもふにゃりとならない、バリッと固くピンとしたバゲット。
私、フランスに語学留学で3ヶ月住んでおりましてね、その時、本場Boulangerie, Pattisserieにはもう足繁く通いましたので、いわゆるフランスパン、French Baguette の良し悪しは分かるんですの→手で持った時に直角にピンと折れずに立ち、ガサガサにエッジが立ち、切るとザクザクしていて、気泡が十分なものです。もう写真でも分かるでしょう。
この後引き続き、朝からアフタヌーンティーか、と思うほどの豪華なスイーツに突入です。お供はコーヒーのみ。
クイニーアマンはwikiによれば、
「1860年頃のブルターニュでは、小麦粉が不足し、バターが豊富にある状況であった。このため、小麦粉400g、バター300g、砂糖300gという異常な配分のパン生地が作られた。もちろん、パン生地としては失敗であったが、「準備したものを無駄にするのは避けよう」と、これをそのまま焼いたところ、小ぶりなしっかりとしたケーキとなり、美味であった。日本では1998年にブームになった。熱狂的なブームが去った後も、一定のファンが存在し定番商品となっている」
と書いてあり、私も最初にクイニーアマンに出会ったのは日本でだったし、ちょうど1998年ごろだったかもしれません。それにしてもバターと砂糖の「異常な」量というところに引っかからないでもないですが、美味しいよね。ちょっと塩キャラメル的な、そして歯応えがあり、何しろあの焦げたバターのいい香り。失敗から生まれる奇跡みたいな話は、タルトタタンでも同じなのですが、天才的。
全て美味しかったです。もう一度、本日2回目、お代わりを買いに行こうと夫が立ち上がったほど。
せっかくなので、Google翻訳と合わせて、L'AngelouのHPからのコピペですが、このパン屋さんのご紹介を兼ねて掲載しておきます。
HPの About us から
私たちは二人ともパティスリーに、特に食べることに!情熱を注いでいます。
私(Florence)にとって、パティスリーとは、時間、集中力、繊細さを注いでできるものをみんなと共有することでしたが、すべてはコルシカ島の故郷で始まりました。そこで私は、8歳のときに祖母と一緒にケーキを焼いて50セントで売っていました(警察には言わないでください!)。私は祖母のためにパン屋を開くと約束しました。
数年後、大人になったら何になりたい?と聞かれ、何かに圧倒されるような気分で答えられなかったのです。しかし、姉が質問を変えました、
「あなたは暇なときに何をするのが好きですか?」
そしたら、答えがとても簡単で驚いたのです。
「パンを焼くことです!」
それが始まりです。私は南フランスのマルセイユにあるケータリングスクール、リセ・オテリエ・ボンヌヴェーヌに入学しました。インターンシップ中、同じ材料をさまざまな方法で扱う方法を学びました。計量だけでなく、一貫性、時間、温度など、さまざまなことを学びました。これらのインターンシップで、知識とレシピの両方が身につきました。
他の文化についてもっと知りたくて、フランスから出てロンドンに移り住み、素晴らしいイギリス人家族のオーペア*となりました。そこで私は自分のルーツを築いたのだと思います。英語で文章をつなげられるようになったので、イギリスにあるフランスの高級パティスリーで働き始め、たくさんのことを学びました。
*オペア(オーペア、仏: au pair)は外国にホームステイして現地の子供の保育や家事をする見返りに滞在先の家族から報酬をもらって生活する留学制度のこと
私(イポリット)の場合、パティスリーへの情熱は15歳のときに始まりました。休暇中はパティスリーショップでバイトをして、少しお金を稼いでいたのです。
土木工学を学んだ後、本当にやりたいのはパティスリーだと気づきました。そこで、パリのケータリング学校に入学しました。パティスリーについて学べば学ぶほど、パティスリーを通して自分の個性、創造性、成長をどれだけ表現できるかに驚きました。
パリのパティスリーで2年間基礎をマスターした後、自分の情熱を追い求めるために朝4時に起きることを学び、パティスリーへの愛は深まるばかりでした。
その後、リヨン近郊の田舎に移り、3人の兄弟が経営する素晴らしいパティスリーで働く機会を得ました。フルーツのシロップ漬けから豆からチョコレートを作ることまで、すべてが手作りでした。そこでの3年間で、できる限りのことを吸収しました。
その後、海外へ出たいと思い始め、ロンドンに移る機会を得て、パティスリーで仕事を見つけ、さらにスキルを磨くことができました。
そこでフロレンスと出会ったのです。私たちの道が交差したのは、タルトタタン作りでした! 私たちはロンドンで出会い、忙しいパティスリーで一緒に働き、美しいケーキを作り、それをイギリスのお客様に提供しました。そして、ロンドンからの旅行で一緒にエディンバラで休暇を過ごしている間、私たちはこの街と恋に落ちたのです。城、幽霊*、そして素晴らしい天気の国**に引っ越すことを決めました😚。私たちは、この素晴らしい国スコットランドに私たちの故郷フランスの一部を少しでも紹介したいと思っています。
*幽霊→ エディンバラは中世から近代まで、スコットランドとイングランドの対立や宗教改革の抗争など争いが絶えることがなく、世界でもっとも侵略を受けた都市のひとつとされている。それだけに戦いの跡や虐殺場・魔女裁判の跡地など、おどろおどろしい逸話を持つ場所も少なくなく、そんな場所ではしばしばポルターガイストや霊現象が報告されているという。これを逆手に取った心霊ツアーも数多く、エディンバラの人気アトラクションのひとつになっている。
**素晴らしい天気の国→ 皮肉パンチが効いていますね😚
それで、こんなに美味しいわけだ。毎朝4時に起きて働く情熱でそれで本格派フレンチなわけだ。好きなことって無敵ですよね。フランスからわざわざスコットランドに移住されてきたこの若ご夫婦を心から応援したいと思います(つまり、もっと食べるということね)