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あの日の私へ 頑張るあなたへ

うちは貧乏です。

父親はいません。

母と姉と私、ずっと3人で生きてきました。
母は多発性硬化症という難病を抱えていますが、なんだか耳馴染みのないこの病名は幼き頃の私には理解ができませんでした。大変な病気であると聞かされてはいましたが、目の前の母はピンピンしていたし、入院もしていないんですもん。笑

ニコニコとケーキを頬張る目の前のお母さんが病気になんて見えなかったんです。


幼い頃の私はこの家庭がコンプレックスでした。どうしてうちは片親なんだろう…どうして普通ではないんだろう…なんで私だけ…そんな気持ちでいっぱいでした。

お友達のうちにはお父さんがいて、お母さんがいて。おじいちゃんもおばあちゃんもいて。大好きなテレビアニメにも当然お父さんがいました。大きなお家で家族みんなで楽しく仲良く暮らしているのです。それも健康に。


貧乏であることは姉妹のタブーでした。難病を患い普通に生活するだけでも激痛が走る、今まで動いていた身体がジワジワと動かなくなる恐怖を隠し、私達の前で気丈に振る舞う母の前ではどうしてもそんなことは言えませんでした。私達姉妹の性格が底抜けに明るく、そしてあっけらかんとしたキャラクターなのはこの環境があったからかもしれません。

あの習い事をしてみたい、こんなかわいい服が着たい、欲しいものだって我慢しました。みんなが持っていたiPodも持っていませんでした。会話に混ざれるように持っていると嘘をついていました。友達に聞き得た情報を必死につなぎ合わせ取り繕い嘘をつく14歳の私は何と惨めだったでしょう。みんなが当たり前に行っていた塾にだって行けませんでした。周りのみんなが塾の模試の話をしているとき、塾にも行けない自分がこの人達と受験で戦えるのか?焦燥感で押し潰されていました。

「家が貧乏で塾に行けないのが悪い。そのせいで受験に落ちるんだ」と責任転嫁する私はなんて愚かで醜かったのでしょう。

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母はとても厳しく、そして強い人でした。
身体の自由が利かなくなる怖さも、身を蝕む激痛も、理解してくれる人はいないのです。寄り添い共に生きてくれるパートナーはいないのです。側にいるのは頼りにもならないまだ子供な娘二人だけ。今思えばよく心中しなかったなと思います。私達に厳しく接していたのも、いつ死ぬかわからない自分が一人で娘二人を一人前に育てなければならないという責任感からでしょう。

片親だからと馬鹿にされないように。お父さんがいないから可哀想と思われないように。そして何より貧乏だからと娘達がいじめられないように。


特に礼儀と勉強。母はどんな点数を取っても怒るばかりでした。頭のいい姉は学年3位の成績でも厳しく怒られていました。もっとできる…ここで満足するなと。頭の悪い私は更に厳しく怒られました。こんな点数ではダメだ!何をしてるんだ!と怒る母と何度も喧嘩をしました。

塾にも行かず、塾に行っている子達よりいい成績を取り、こんなにも頑張っているのに。こんなにも努力をしてギリギリで耐えているのに。いつもお姉ちゃんと比べるじゃん!お姉ちゃんなんて努力しなくても勉強ができるだけじゃん!お母さんは何にもわかっていない!と泣き喚く私は何て馬鹿だったんでしょう。

努力はきっと報われると信じて疑わない私は、愚直が美徳であるかの如く、頑張ったやつが報われるんだとそう思っていました。社会はそんなに甘くないのにね、笑笑


時は過ぎ、何だかんだと要領の悪い私も大学生になりました。幸いなことに母に怒られ、姉に馬鹿にされ、泣き喚きながらも勉強をしてきた為ギリギリではありますが大学生になれました。要領の悪さは努力でカバーするなんとも効率の悪い方法で生き延びていたのです。


貧乏な我が家は娘二人を私立大学に行かせるお金なんてどんなに絞り出してもありませんでした。そのため受けられる奨学金制度に片っ端から応募しました。高校三年生18歳にして650万円の借金を背負う契約書にサインをしました。病気の母一人では保証人にはなれない為親戚に頭を下げました。奨学金の為とはいえ、お金の為に頭を下げたあの日の悔しさは一生忘れないでしょう。人生で初めて土下座をしたあの日、目の前にドアップに映った畳の目は鮮明に覚えています。

私も姉も親から一銭ももらわない大学生活を送りました。奨学金で授業料を賄い、家賃や生活費はアルバイト3つ掛け持ちして稼ぎました。800円を稼ぐのはこんなにも大変なのか…と自分の価値観が大きく変わりました。

理不尽にお客さんに怒られることもあれば、仕事がうまく行かずむず痒い時ある、足は棒のようになるし、声も枯れてしまう。手だって荒れ放題で血が滲むことなんてしょっちゅう。それでも1時間800円です。800円ぽっちを稼ぐのにこんなにも大変だなんて知らなかったのです。

私がお肉を食べたい!と母にワガママを言った日の夕飯。サラダも味噌汁も炊きたてのお米もありました。バランスよく3人分のご飯を作るのには800円なんかじゃ到底足りません。もちろん3人分のお肉なんて800円なんかじゃ買えませんからね。


学校以外はほとんどバイトの日々でした。睡眠時間も毎日5時間もないくらい。築15年の木造ボロアパートには寝るためだけに帰っていました。バイト学校バイト勉強少しの睡眠
毎日このルーティーンでした。正直もっと綺麗な部屋に住みお友達を呼んでお泊まり会をしたり、みんなみたいに沢山遊びたかったです。

場所が変わってもまた貧乏で悩むのか…貧乏な家に生まれるとこんなにも苦労をするのか…親に仕送りをもらっている友達はいい家に住んでいました。授業料を払ってもらっている友達はバイトなんてしていませんでした。成績が落ちると学費減免制度から除外されるため勉強をサボって遊ぶこともできない私は、お金持ちの家に生まれて勉強をサボりながらも大学生活を謳歌する友達が少し妬ましかったです。


私にはもう既に借金がある。貧乏から抜け出すために勉強をしているのに、その勉強をするためにもお金がかかる。貧乏であるだけで将来が真っ暗でした。でも勉強をしないと借金を返すだけのアテもありません。どん詰まりでした。

「貧困は連鎖する」よく言ったものだと思います。

でもね?私は良かったです。
だって「気付くこと」ができたんですから。

母の偉大さに気付くことができました。普通の家じゃないことが恥ずかしいと思っていた自分。すごい人のもとで育ったことに気付きました。同時に自分の愚かさにも。


努力をしてないと思っていた姉は陰で血の滲むような努力をしていました。私がダラダラと効率悪く努力をしていた気になっていただけの時間も、きちんと計画的に取り組んでいました。自分の出来なさを認めたくないあまり姉が努力をしていないと見て見ぬ振りをしていました。

貧乏に苦しみながらも折れることなく、正しく努力を積み重ねた姉は教師になりました。本採用一発合格という快挙まで成し遂げました。公務員になり安定を手に入れた彼女は奨学金を返しても有り余るほどのお金を手に入れました。あの時貧乏だからと彼女を馬鹿にした友達を追い抜きました。

私はさまざまな物の価値を。それは時間もお金も経験も。学ぶことがどれほど高価で恵まれていることか。幼い頃はやりたくないと投げ出した宿題。義務教育で当たり前に9年間学べていたことがどれほど幸せだったか。


遊びたかったけど、あの時遊んでたボンボンなんかよりいい経験ができた。

だってボンボンだったみんなは夏と冬のガス代がどれだけ違うかしらないでしょ?お金でなんでもできるこの時代にお金がない事の辛さもお金を稼ぐ大変さもしらないでしょ?節約レシピで試行錯誤する楽しさも、自分がサボった授業で私がどれほど成長したか、知らないでしょ?

18歳のあの日、まだ借金がどれほどのものかなんてわからなかった自分がサインをした。お金は簡単に稼げると思っていた自分が土下座をした。あの日の自分がいたからこそ、4年間決してダレることなく貪欲に学べたと思う。

これまで周りの人が私にかけてくれたお金も時間も苦労にも気付けた。何より自分が普通を望むあまり、全部を貧乏のせいにしていた愚かな自分に気付けた。全てのことは当たり前ではない、本当の意味での「有難さ」に気付くことができたのだ。

お金がないと人生マイナススタートであることは間違いない。苦しくて苦しくて仕方ない。でもきっと貧乏が全て悪いわけではなかった。


親に出してもらった学費で適当に4年を過ごし楽しく卒業していった彼らは普通に働いて普通に子供を産むんだと思う。貧乏がどんな苦労をしてどんな覚悟を持って生きているのかはきっとわからないだろう。(わたしにもお金持ちの苦労がわからないようにね)どん底を生きたことで全てのことを当たり前に思わず、不幸を嘆くだけの少女から変わることができた。今では自分で未来を切り開き進んでいく強さがある。どうか貧乏を諦めないでほしい。お金がないからとやけにならないでほしい。塾に行かなくなっていい、学校だけでもしっかりと学んでほしい。学びにすがりつくことをやめたらそれこそ先はないよ。貧乏は抜け出せる。貧困の連鎖を断ち切ろう。私たち貧乏には後がない。どうか今は歯を食いしばって縋り付いてほしい。

私は姉ほどはお金を稼げない。奨学金の返済で月々はカツカツだけれども、それでも毎月通帳から引かれていく「奨学金返済学5万3千円」の文字を見て悲しくは思わない。それどころかあの時サインをした自分をちょっと誇らしくも思う。涙をいっぱいためて土下座したあなたは間違ってなんかなかったよ。辛いこともあるけど人生楽しくやれてるよ

私は普通じゃないこの家庭が嫌いだった。貧乏が憎かった。だけどこの経験はいつしか私の誇りとなっている。


ふざけた楽しい投稿しかしないと決めていましたが今回は投稿してみました。恵まれない家庭環境になんでわたしだけ…と悲しむあなた、人生どうせ頑張っても報われないと嘆くあなた、貧乏で苦しくてどん底なあなた。大学生の頑張ってる君。今は辛いけど頑張ればきっといいことがあるよ。プラスに思えるその日まで私はあなたを応援します。僭越ではありますが私からこの言葉を送ります

「艱難汝を玉にす」

あなたの明日がいい日になりますように!
おやすみなさい

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