十二指腸へのステント留置処置とは
絶望感・滅亡感しかなく夜はずっと泣いていました。
家族に申し訳がなくて…
何で…何で! 何で! 何で!
3ヶ月前は普通に働いていたのに…
どうして急にこんな事に!!
ほぼ一睡も出来ず、泣いて泣いて目を張らした顔のままお昼の13 時。
いよいよステント留置処置の為に別棟へ徒歩で向かいます。
手にはバスタオルを1枚。
点滴を引きずりながらフラフラと向かいました。
もう、すい臓がんと闘う気持ちも、家族の為に頑張る気持ちも薄れていました。
ただただ
「もう、どうにでもして下さい。せめて苦しまずにして欲しいです。」
状態でした。
いつも、内視鏡を入れる時は家族の写真や動画を見て笑顔になってから行くのですが、
この日は、もう見ませんでした。
バスタオルを抱えて処置前室の椅子に座ります。
待っている間、身体はガタガタ震えているのが分かりました。
ステント(金網状の筒)をどの様に十二指腸へ入れるのかと言うと、胃カメラの少し太いモニターの先にステントを装着させ、口から入れて十二指腸まで到着させます。
そこで凄腕の先生が位置を調整しながら、十二指腸へステント(金網状の筒)をはめるそうです。
40分くらい掛かるとの事で≪鎮静剤≫を使ってもらいます。
椅子に座って待っていると問診に看護師さんが来て下さって色々と聞いて下さいました。
私 「すいません。いつも胃カメラの途中で起きてしまいます。その度に苦しいので何とか完全に眠らせて頂けないでしょうか?」
看護師さん 『私、実は◯◯さんが前回、超音波内視鏡を受けた時に処置室にいました。あの時も最初がキツかったんですよね。今回はしっかりと中の先生にも看護師さんにも伝えておきますから、大丈夫ですよ。』
あぁ良かった…
「あぁ…ありがとうございます‼気持ちが楽になりました‼」
そして、呼ばれます。
中には6~7人の先生と二人の看護師さんがいました。
なんで…⁉
凄い多くの先生…‼
もしかしてとんでもない大きな手術なのかな…。
『まず、もう鼻に入っているチューブを抜いちゃいましょう。』
ズルズル…ズルズル…
思っていたより長い…
喉を抜ける時にまたエづきます。
「ヴぇぅ!涙」
『ノドの麻酔を多目にしましょうね。』
7プッシュくらいしました。いつも通り、もうこのスプレーで私は絶望的です。
胃カメラと違って
“うつ伏せ”
で顔だけ右を向いた状態での処置でした。
ガタガタ震えているのが自分でも良く分かりました。
しばらく意識がなく…
はい。
途中で目覚めました。
おそらく処置の最後の最後の方だったと思います。
胃の奥に棒が突っ込まれてさらに奥に押してきます。
それは言葉で“激痛”などと例えられるものではありませんでした。
「おぇっ!!ヴぅ…」
入らない力を出して全力で暴れます。
が押さえられます。
『君のためにやってるんだ‼』
はっきりと覚えています。
結構大きな声で怒られました。
本当にすいませんでした…。
今回の処置はまさに、私にとって
【地獄の苦しみ】となりました。
~意識朦朧でベッドに寝たまま病室へ運ばれます~
そして病室のベッドへ。
自力で自分のベッドに移動したのも覚えています。
看護師さんが
『誰か手伝って~!!』と言っているのが聞こえたので
「大丈夫です。、自分で移れます。」
と言いました。
心電図を付けたまま。
自分のベッドへ移動しました。
そして
そのまま意識が飛びました。
起きたのは夕方頃でした。
看護師さんに
「喉がカラカラです。飲み物を飲んでも良いでしょうか?」
『もう、二時間経っているから少しなら良いですよ。』
水を飲みましたが、あんなに喉が乾いていたのに少しも美味しくなくて。
身体の中に入ったステントが重い十字架の様に感じました。
「この身体で生きていくんだ。2,2センチ。11センチ。
もう普通の食事も摂れないんだな。
売店の菓子パンが最後の食事になるとは…、奮発して一番高い800 円のお弁当を…食べたら良かったな…」
スマホで
“十二指腸 ステント 一生 おかゆ”
“十二指腸 ステント 食べ物”
“十二指腸 ステント 支障”
調べまくっていました。
夜の先生の回診で
『明日の朝、レントゲンでステントがしっかり入っているか確認します。』
「ダメだったらどうなるのでしょうか?」
『まず大丈夫かと思います。』
「はい。ありがとうございました。」
ウツロウツロしながら
ステントが入ったお腹を撫でながら
【自分はこの人生で何か悪いことしたかな?
もししていたら、どうかもう。許してください。】
妻に手術が終わったという連絡もせず。
“終わった?”のLINEも返信せず、
ただただ、天井を見つめながら
初めてそんな、人として絶対考えてはいけない事を思っていました。