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月記(2022.07)

7月のはなし。ぜんぶライブのはなし。



§. 上旬_WWW Xに纏わる言葉

2022年7月9日。「ロン毛の風を感じたね」と、青木ロビンさんが言った。その言葉に乗って、フロアにもロン毛の風がそよいだ気がした。

downyのライブには、人間がいて、人間がいた。無数の人間が、僕を何度でも人間にしてくれる。僕は贅沢したがりなので、色んな時計を持っている。せっかくなら、時計には時を刻ませてやりたい。メンテナンスのためのツールは、ロン毛の風がふいてくる方へいけば見つかるかもしれない。東京都渋谷区宇田川町の、あのハコに纏わる言葉たちを思い出していた。




2022年6月30日。「やれんのかー」と、ビックリするほどの真顔で、ひらべったい温度の声色で、威力のない拳を天にかかげながら、サクライケンタさんはそう言った。

ILIE『“uragaeshi” release tour』ファイナルとなる東京公演。ILIEこと金子理江さんの佇まいは、いつも驚くほどナチュラルなものに見える。比較的なシリアスな雰囲気の曲をナチュラルに表現し、幕間ではくだけた口調でナチュラルに話し、客席にも、演者にも、ナチュラルに声をかける。そんな理江さんがサクライさんに「ケンちゃん、お客さん煽ったりとかできるの?」と、ナチュラルに訊ねた。そのなんでもない感じで、サクライさんもまた「やれんのかー」と客席を煽ってきた。僕は心のなかで叫んでいた。おもしろいのはもちろん(?)だが、また別のベクトルで、熱いものが心にあった。音楽家・サクライケンタがいま、プレイヤーとしてステージに立っている。同じステージに立つ音楽家たちと共に、音楽を生み出し、時折おしゃべりをしている。それを目撃していることに、熱くなっていた。

『重力の虹』は『jyuuryokuno-niji』になった。このふたつの曲の架け橋から生まれたであろう、歪んだギター。僕はこの音を美しいと思う。




2020年8月24日。「RAYの音楽は、あなたに寄り添います」。社会的に適切な距離が求められる時代に、隔たりの向こうのハコの内側から、内山結愛さんは高らかに宣言した。

別に宣言以前も以後もないのかもしれない。内山さんも、メンバーたちも、スタッフたちも、そうした想いをもって活動を続けていたのだと思う。あんな時期だからこそ、何度でも、何度でも、叫んでくれていたのだとも思う。

思い返してみれば、この頃の僕は、言葉への嫌悪感を少しずつ解体していたのかもしれない。ありきたりな言葉であっても、そこに何が載っているのか、何が載っていると認識できるのか。これは僕の技量の問題だということに向き合いはじめた。ありきたりな言葉がずっと嫌いだった。流行り言葉がずっと嫌いだった。いつか教室で芽生えた「そんな言葉を使って会話したつもりかよ」という感覚が、どうしても抜けなかった。そのまま生き続けていたら、「じゃあお前はどんな言葉を使うんだよ?」というブーメランがいくつも返ってきた。言葉の表面にとらわれ、言葉を尽くす努力を怠るうちに、技術も錆びつかせて、身動きをとれなくしていた原因は、僕にあったわけだ。

ありふれた「愛」という言葉の意味を、わかっているだろうか。しばらくして、僕はnoteという言葉の場を作った。いまもこうして、慣れないことを続けている。




2020年8月11日。「教室の空気が変だった」。教室どころか世界すべてが変だった。それでも『孤独な箱で』と題されたこのハコは、とびきりに変だった。

このハコから飛び出した変な空気は、いまの世界の空気の、どのあたりに混ざっているのだろうか。




2018年3月31日。「ここでワンマンやったことあるんだ!」と、コショージメグミさんが話してくれた。今はじめてちゃんと調べたのだが、『Solitude HOTEL 2F』のことだったと思われる。

これは、僕の人生初チェキでの一幕だ。はじめてMaison book girlを目当てにライブハウスを訪れた。この日の僕は、特典会に臨む気満々だった。なぜなら、それが礼儀だと思っていたからだ。ネットで形式を調べ、ラジオやSNSでメンバーのキャラクターを把握した。話題はシンプル。はじめましての挨拶、どういう経緯で知ったのか、好きになった要因はなにか、門外漢、ド新規、ということをちゃんと伝える。これらの伝達が、クエスト達成ラインだ。

よく思い返すくせに、その度ちゃんと恥ずかしくなる。達成ラインは超えたはずだが、ぎこちないったらしゃーない思い出だ。まず「名乗る」という考えが抜けていたのがヤバい。そして前述した「ここでワンマンやったことあるんだ!」という一言目に対して、ちゃんとした反応をしていないこともヤバい。僕は「知らん情報出てきた!」と焦って、内容のない返事をしたあとで、準備してきた自己紹介に流れを戻したはずだ。準備したものをなぞっているわけだから、目の前のコショさんに話すということ以上に、自分の脳内台本に意識が向く。おそらくはそのせいで、僕の眉間にはしわが寄りまくっていた。話している内容はパフォーマンスのどこが良かった惹かれたというポジティブな内容なのに、当の話者の顔は深刻な悩みでも告白しているかのようなネガティブフェイスなのだ。そりゃツッコミたくもなる。

「いや、なんでその顔www」とコショさんが唐突にふきだした。とても良い顔で笑ってくれた。目の前の笑顔につられて、僕も笑った。確かに、なんでこの表情やねん。ほとんど癖みたいなものだけど、今日初めて話す彼女が、僕のそんなことを知るわけがない。意図せず笑われて嬉しいなんてことがあるのか。この予想外の笑顔に救われた。そしてこの日から僕は、いくつもの予想外のことを彼女たちから教わることになった。




2018年3月19日。downyのワンマンライブ。青木裕さんの姿はステージ上には見当たらなかった。その翌日、裕さんが亡くなっていたことが発表された。2018年3月19日、14時50分のことだったという。自分でも意外なほどに、涙が止まらなかった。

僕がdownyを知ったとき、バンドは活動を休止していた。裕さんの演奏はVOLA & THE ORIENTAL MACHINEやunkieを通じて見たことがあった。あのdownyのギタリストだ。ホンモノだ。そんな目で見ていた。やがてdownyは再始動した。downyは実在した。伝説の存在だと思っていたバンドが、いま目の前にいる。独特の歌が響く。ロン毛が舞う。新曲が生まれていく。伝説なんかじゃない。こんなにも生々しく、恐ろしく、美しいんだ。

そうだ。僕は、ひとりの音楽を愛する人間として、downyがいる時代に共に生きているということが、嬉しくてたまらなかったのだ。だから、あんなにも悲しかったのだ。自覚もなく予想もしていなかったあの涙は、そういうことだったのだと思う。今になって、「ロン毛の風を感じたね」という一言が、涙で濡れた頬の感覚を教えてくれた。




WWW Xは、2016年9月から営業を開始した、ミニシアターを改修して造られたライブハウス、だそうだ。思っていたより、この場所のはじまりは最近の出来事だった。場所に纏わる言葉は、油断しているとすぐに外に出て行ってしまう気がしている。そもそも「場所」とは、「土地」を指すのか「建物」を指すのか、テナントが変われば別の「場所」なのか、ただリノベーションしただけでも別の「場所」なのか。どうにも「場所」というもの自身が、あんまり「纏わられる」ことを好まないような気もしてきた。なるほどこれは、時計の針を動かすためには、うってつけの話だったのかもしれない。

偶然にも、僕はWWW Xと同じ時代に生きている。生きているから、どっちが先にいなくなるかもわからない。そんな口実で、WWW Xに「僕に纏わる言葉」たちを「纏わらせて」みる。大げさで図々しい話だけども、また訪れるときには礼をするので、同時代のよしみで許してほしい。






§. 中旬_異常空間T

あるとき、『異常空間Z』が現れた。

いまとなっては、自室でライブの生配信を見るということも、すっかり日常の選択肢のひとつになった。あの日の『異常空間Z』の異常さ、そのすべてが日常に溶けていった、とまでは言わない。それでも、例えば2022年のいま、いろいろな前提を知らない誰かが『異常空間Z』を見たとして、そこにどれほどの異常を見出すだろう。その誰かが、2022年の僕だったとして、僕は踊るのだろうか。ライブとはなにか。そんな命題を突き付けられた日だったのかもしれない。


突然に、『異常空間T』が現れた。

『尊しあなたのすべてを』のイントロが流れた瞬間。僕は大声で「やったぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!!!!!!!!」と叫んだ。そして叫んでいる僕に気づいて、ガハハと笑った。また自室だ。踊りはしなかったが、頭の片隅には踊っている人達の姿が浮かんだ。画面に映る月日さんも踊りはしなかったが、その身体からは絶えず『尊しあなたのすべてを』という曲が表現されていた。僕はこの曲が大好きだ。歌が少ないこの曲が大好きだ。この曲のほんの少しの歌が大好きだ。『RAYの歌2時間歌い倒す』と題した配信にこの曲が選ばれた。選ばれなくてもおかしくない、と思っていた。だから僕は叫んじゃったのだ。

月日さんは、歌って踊る。グループの一員としてパフォーマンスをする。そうして身につけてきた曲を、ひとりで歌った。いつもは担当しない歌割は新鮮だった。いつもの歌割も、いつもの踊りとセットでないから、これもまた新鮮だった。いつもは担当しない主旋律を歌うはずが、つい歌ってしまった副旋律も、いつも聴いていたはずなのに新鮮だった。

彼女はRAYの曲を歌い倒した。そしてこれは、「踊らなかった」という意味ではないように思えた。いつもの踊りとは異なる。それでも、身体の揺らし方・腕・指先・目線、それらは雄弁にRAYの曲を表現していた。同時に、喉を震わせて歌う。意識を集中させ、音程をとり、歌詞を紡ぎ、声を発する。ときおり意識を飛び越えて、身体に馴染んだ旋律を奏でてしまう。これは「身体表現」なのだと思った。月日さんはRAYの曲を歌い倒し、踊り倒し、身体表現し倒してしまっていた。歌が少ない『尊しあなたのすべてを』が選ばれたことは、なにも不思議なことではなかった。


ライブとはなにか。ふたつの異常空間を経て、ひとつのヒントが見えた。「身体表現」。僕が好きだったライブには、ずっとそれがあったはずだ。またひとつ教えられた。






§. 下旬_20220723_RAY_history

ずっとライブの話をしている。

いいライブをすること。いいライブとはなんだろう。遅刻気味に満員のフロアに入り込んで、遠くに輝くステージを見たとき。舞台まで1メートルもない距離で、エレキギターの生音まで聴こえていたとき。どちらも、いいライブだった。

色んな人の、色んなライブを、色んな場所で見てきた。彼女たちの足元、爪先から踵への重心の移動。そんなミクロな美しさを見ながら、背後からマクロに眺めるこのステージはいったいどれほど美しいのだろうと、ついつい想像してしまう。どうして僕の身体はひとつしかないのだろう。どうして僕の身体はここにあるのだろう。

僕は、ひとつの「history」を見た。ひとつの「history」を知った。僕が持っていたカメラは、僕の眼球とは異なる角度から「history」を見た。写真のデータを確認したとき、撮った自覚のない「history」が大量に現れた。僕はカメラから「history」を教わった。この構図は僕と僕のカメラの間に限定された話ではない。「history」を知る人達すべてが、バラバラの「history」を知っている。完全に同質なものは存在しないだろう。それゆえに「history」のバックアップは、この世界に遍在し、知られて、見られていくことで、ゴールのない完全形になっていこうとする。

僕はRAYの始まりを見たことを誇りに思う。『ひかり』を見たことを誇りに思う。『history』を見たことを誇りに思う。そして同時に、他の人がどんどん羨ましく思えてくる。たとえば、・・・・・・・・・のライブを見たことがある人。『PRISM』は見たけど『works』は見なかった人。『history』を見れなかった人。これからRAYに出会う人。僕がひとつの光を見ていたとき、どこかで別の光を見ていた人。あの日、ステージ上で、ただただ「いいライブ」を創り上げていた人。どうして僕の身体はひとつしかないのだろう。どうして僕の身体はここにあるのだろう。

プリズムを経た光は、いつか交わるらしい。光はまっすぐ進みながら、なにかしらの境界を通過するたび、少しずつ屈折していくらしい。またいつか、またどこかで、交わるかもしれない。2022年1月23日、そんな話を聞いた。僕はしばらくして、月記のひとつにそんな見出しをつけた。

『moment』、『PRISM』、『works』、『history』、仮に僕が光だったとしたら、いったいどこに向かっているのだろう?その疑問に答えられたときには、きっとまた違う方向に進んでいることだろう。

いつかの僕の疑問のために、こうして様々な光と交わった記録を残している。まぶしい光は、それだけ影を生む。まぶしい光は、そうした影すらも暴き出そうとする。念のため付け加えておくと、影だって色んなことを教えてくれると、僕はずっと信じている。

どこからか生まれ、ここで交わってくれた光たちに、感謝を。

また、いつかの未来で、いつかの過去で、そのときの今で、お会いしましょう。

ありがとうございました。






●今月あたらしく知った音楽


●今月なつかしんだ音楽