目を閉じよ、音に揺れよ—ねおちdebut LIVEレポート
2022年12月5日、渋谷は猿楽町・SPACE ODD。アイドルグループ・ねおちのデビューライブを見に行った。
ねおちの楽曲プロデュースは、JYOCHOのギタリスト・だいじろー氏が手掛けている。鮮やかな指先が紡ぐ宝石のようなギターサウンド。きっとあなたもテレビで聴いたことがあるはずだ。
ねおちについては、間違いなく僕の好みに引っかかる楽曲を用意してくれるだろうとは思っていた。とはいえ楽曲がアイドルの全てではない。アイドルのデビューライブというのは特別な回だ。僕が参加していいのだろうか、という偏屈な悩みがあった。そこに最後の一押しをくれたのが、ゲストの発表だった。MAPA。ユレルランドスケープ。この日は僕の好きなステージしかないとの確信を得て、チケットを予約した。
トップバッターはMAPA。極彩色のイメージがある彼女たちだが、この日の衣装はMV「レディースクリニック」で使用された特別なものだった。
無彩色スクールライクな衣装は、このイベント全体の雰囲気に見事に調和していた。MAPAの楽曲はバラエティ豊かで、お祭りのように賑やかな曲もあれば、グリム童話のような不気味さが漂う曲もある。その振れ幅はグループの持ち味のひとつだが、この日の衣装は比較的シンプルであるがゆえにその振れ幅を際立たせていたように思う。歌って踊る、というパフォーマンスの根幹が前面に表れ、それが描く明暗や抑揚がありありと伝わってきた。ポップでハッピーなものも、指先まで表情を感じ取れるようなものも、どちらの意味でも演劇的といえる振付もMAPAの魅力だ。そうした振付を自らのものとしていくほど、ひとりひとりが溌剌とした輝きを放つ。それがまたステージ全体に還元されていく。「狂った祭り」と言いながら、その真ん中には愚直に生きる強さが垣間見える。正気と狂気は、ときに見分けがつかないものだ。
二番手はユレルランドスケープ。この日の会場は前方エリアが着座指定席、彼女たちにとってはややアウェイな環境といえるかもしれない。ユレルラのステージの魅力のひとつは、文字通りに会場を「揺らす」ようなパワフルさにある。どう見えるだろうかと思っていたが、杞憂でしかなかった。ユレルラはユレルラのパフォーマンスを見せつけ、会場を温めて帰っていった。思うに、これは表面的なものではない。ユレルラのステージが発する熱は、芯に達する類のものだ。瞬間的な熱ではなく、じりじりと心身に伝わっていき、そう簡単に冷めない。パワフルさがひとつの魅力と書いたが、もうひとつの魅力は楽曲全体に漂う「もの悲しさ」にあると思っている。涙を流すとき、人は震えるものだ。彼女たちが「揺らす」のはハレの心だけではない。陰と言われようが、陽と言われようが、感情はその狭間で揺れ続けるしかない。その動きそのものを表現するのが、ユレルランドスケープというグループなのだろう、と思っている。
そして三番手。記念すべきデビューライブ。一回限りの、ねおちのライブ。6人がステージにならび、ふわりとした白い衣装が空間を満たす。前二組ほど激しさはないかもしれないが、雲のように変化し続けていくステージは、優雅であると同時に迫力があった。楽曲とステージ、そして映像とともに描かれるその世界観は、壮大かつ私的だった。パフォーマンスを見ていると、まるでカメラでズームイン/アウトを繰り返すような、不思議な感覚がわいてきた。ひとりひとりの姿を捉えることと、ステージ全体のうねりを捉えること、ふたつの境目が自然と融けていくように、まるで自分の視覚が進化したかのような気分になった。そしてふと目を閉じてみれば、聴覚にも同じことが起こっていた。焚火とシチューの温もり、ミサイルが落ちてくる予感、これらが当たり前のように共存する歌詞世界。おもちゃ箱のように様々な音色が流れながら、どれもが高音域から低音域まで耳馴染みよく鳴っている。極上の体験。そんな表現も嫌味なく似合ってしまうのではないか。とんでもないデビューライブを見てしまった。すこし呆けていたら、最後に印象的な挨拶が飛び込んできた。
「目を瞑っても楽しめるアイドル」。新鮮であり、でもよく考えてみれば、至極当たり前のことを言っている気もする。それでも僕がこのフレーズに心地よさを感じたということは、きっとなにか琴線に触れるものがあったのだ。
イベント全体を振り返ってみると、そこには大きなまとまりがあったように思えてきた。MAPAも、ユレルラも、ねおちも、それぞれのやり方で振れ幅のあるパフォーマンスをみせていた。この振れ幅は「1から100」の範囲でどうするかというイメージではなく、むしろ「-50から+50」の範囲でどうするかというものと捉えている。後者のイメージでの振れ幅に身をゆだねていると、自ずと何度も「0」の地点を通過することになる。プラス方向から、マイナス方向から、何度も通過しながら、なかなか「0」の地点に制止することはできない。留まることは許さないくせに、なぜか強烈な引力をもっている、厄介で懐かしい「原点」を感じさせてくれる。僕はこの揺れ方を好みがちなのだと思う。
他の人がどのような感想を抱いたかはわからないが、僕の席から見えた景色は、どれもが心地よかった。帰り道に見える渋谷の高層ビル群も、家について着替えた新しいパーカーも、封を切ったCDも、その心地よさはすこし不思議なくらい長く続いている。
こうしてあれこれ書いていて、ねおちの音楽になんとなく「SF」っぽさを感じたことにも納得ができてきた。「SF」を「すこしふしぎ」と表現した偉大な漫画家がいたじゃないか。子供の頃からこの世界を夢に見ていたのだとしたら、目を閉じていても楽しめることに、不思議なんてなかったのかもしれない。