『ラストマイル』を観てきた
アンナチュラルは、「救い」。
MIU404は、「ゆるし」を描いている作品だと思っている。
このふたつの違いってなんだろうな。
ゆるされることで救われることはあるけれど、
救われたからと言ってゆるされているわけではないような気がする。
共通点としては、いま在る者のための言葉だなということだが、そもそも居なくなってしまった者へ与えられる言葉なんてあるのかな。分からん。
それぞれの言葉の意味を調べてみたら(ありがとう、goo辞書先生)、
救い:人の心に安堵感を与えるもの
ゆるし:願いを聞き入れること。罪、過失、無礼などをとがめないこと
らしい(一部だけチョイスしたけど)。
つまり、ゆるしは救いの手段のひとつなわけだ。だから、救いの中にゆるしは含まれるが、ゆるしは必ずしも救いと結びつくとは言えない。
そう考えると、アンナチュラルはあらゆる「救い」の形を描いていたから一話ずつで新鮮さの強い面白さがあったし、MIU404は「ゆるし」そのものを多角的に描いていたから作品を通して味わい深さが増すのかもしれない。
ラストマイルからは何を感じとれるかなぁ、主題歌にヒントあるかなぁと思って『がらくた』を聴きまくっているが、思えばこれまでの主題歌傾向として、作品そのもののテーマというよりも登場人物に寄り添った歌詞を書いている傾向にあるから、ヒントにはならないかもしれない。とは言えめちゃくちゃ良い曲である。
ここまでが鑑賞前の記録。
まず、『がらくた』の歌詞。
そこか〜〜〜〜〜となったし、そうだよね〜〜〜あなたはそういう人だね……となった。もしかしたら全然ちがうかもしれない。映画のことを抜いても、すごく哀しくて強くてやさしい曲だ。
今回の作品が描いているもの、一晩じゃ分からなかったな。
そりゃそうか。アンナチュラルもMIU404も、3〜4回ずつ観て、時間を置いて、ようやくたどり着いたから。わたしは勘が鈍い。
いま頭の中にあるのは、「贖罪」かなと思うけれど、そんなものはあまりに辛すぎる。辛すぎるけど、鑑賞後のこの気持ちを考えるとあながち間違いではないような気もする。
救いとゆるしのある世界で、描かれたものが贖罪だとしたらあまりにも虚しすぎるけれど、その二つが全く無かったわけではなくて、救われたものもゆるされたものもちゃんとあったような気がしている。あそことあそこと……みたいな、大きいものに覆われてしまいそうな本当に小さなものだけど、たしかにあったと思う。
これは人によってはネタバレになるかもしれないんですが、とあるPSYCHOPATHの映画みたいな話だなと思いました。そんなものはいくらでもあるのかもしれないが。
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