命体感
小動物の叫ぶ声(痛がっている鳴き声)がとても嫌だ
好きな人はそういないだろうし、聞く機会も少ないだろうが、私はテレビから聞こえてきた一ミリも関わったことのない犬や猫、象などのその声も本当に嫌なのだ
可哀想、苦手、嫌いではなく"嫌"とか"無理"という感じなので多分これは"拒否反応"と言えると思う
声にならない声というのは私に途轍もない恐怖を感じさせる
自分より劣ったものを痛めつける人間の頭は異常だ、原因が心の傷によるものなら病気と言える
心の傷は決して完治しないし苦しみが急に襲ってきて闇の中にいるような不安を感じる事もあるだろう
だからと言って最低限の自制心を失ってはいけない(自分で書いておいて一方的だなと申し訳なさを感じている)
私は幸せな環境に生まれそのような心の傷は負っていないため軽々しくこのように言えるのだと思う
その人たちが味わった苦しみは考えようとしても到底私に想像できるはずがない
でも多分別の面では私も心に傷を負っていると思う
別の種類と言えるかも知れない
昔の事など思い出せないけれど、とてつもない不安で泣き叫んだ事が何度かある
皆んなどこかで何かしらの問題を抱えそれぞれ心に傷を負っているだろう
話したい話からだいぶ道を逸れてしまった
…本題
野菜泥棒事件
事は先月起こった"野菜泥棒事件"から始まった
祖母は畑の(祖父が買った)鶏の餌やりがここ数年の日課になっていた
脳梗塞で倒れて以来、祖父はますます動かなくなり畑へは全く行かなくなってしまった
病院へ行くのが遅れ右半身に麻痺が残った
(しかし趣味や自分のしたいことに関してだけは別人のように活発に動いているため、祖母はそのことに怒りを募らせている)
その畑の鶏は卵を産まないほど歳をとっていて、年々少なくなり今年初めの寒い時期(2021.1〜2)最後の一羽となった
認知症の祖母も鳥が一羽になったことは認知しているようで「一匹しかいないけど餌やってくる」と言って祖父の愚痴を漏らしながら一日に多い程、忘れてまた餌やりに行くのだった
2021.10.28.木
そんなある日
今まで私たちが、うちのネギ、うちの大根、と思って使い食べていた野菜が隣の畑の野菜だった事が判明した
隣の畑から大根を抜き取っている場面にその畑の持ち主が出くわしたらしい
畑の持ち主は父の同僚の母だったそうで、同僚伝いに話を聞き犯人が祖母だと明らかになった
祖母と祖父以外、私を含めた4人(父、母、私、弟)は働いているため、歩くには遠い所にあるその畑を見に行くことは多くなかったが、畑を見る限り、どうやら認知症の祖母は野菜を育てる事も出来なくなっていたらしい
(↑このように少し他人行儀な書き方をしたのは、認知症の祖母への監督不行き届きが原因だと言われればそこまでだと理解しているからだが、私たちもそんな起こり得なかったことまで想像し心配していられなかったからだ)
我が家の畑にあったのが虫食い白菜ばかりだったので、事件が起きずともいずれ明らかになっていただろう
父は祖母に「うちの恥だ!」と怒鳴りケーキを持って謝罪に向かって、同僚の母は畑に看板や柵を作ったことで事件はなんとか収まった(父の怒りは収まっていなかった)
また畑に行けば隣の畑に入りかねないとのことで、畑に行く原因となっていた鶏を母の提案で家に連れて来ることに決まった
その夕方、早速父が鶏を家に連れて来た
家といっても鶏はかなり強烈な匂いがするため、車庫に置かれていたうさぎの小屋を使って外で飼うことになった
私たちはその連れてこられた鶏を"コッコちゃん"と愛称で呼び、仕事の行き帰りに声をかけたり、水を飲みやすいようペットボトルで水飲み場を工作したりした
祖母は相変わらずその近くなった鶏(うさぎ)小屋に一日のうち何度も餌を運んだ
2020.10.31
畑にあった鶏小屋はかなり古くなっていたので父と母で雪が降る前に、と片付けに向かった
数年分の餌の蓄積で下の方の米は紫や緑に変色し、うじ虫がたくさん沸いた
何十年も生きて来たがあんな米を見たのは初めてだと父が目を見開いて話していた
よっぽどな光景だったのだろう
更なる衝撃
2021.11.14.日
鶏が家に来て十数日が経過した今日、
個人的には今年一と言っていい事件が起きた
数日ぶりの晴れ日でとても気持ちのいい朝だった
母と私は家中を掃除し清々しく整った空気を吸った
しかし父や母の工作も虚しく小ぶりな鶏小屋は祖母の豪快な餌やりにより悲惨な状況になっていた
言っても数分後には忘れてしまう祖母にとって「餌をあげすぎてはいけない」と言うルールはないのと同じなのだ
何と言い表したらいいか、ただ食べ残ったご飯や茶殻などがつもりに積もっているという感じ
何度綺麗にしてもまたこうなるのは確かな事として目に見えていたが、父は身の効かない祖父に代わって祖母にその掃除を頼んだ
勿論、私が掃除する事も提案したが、自分の飼った鶏は自分たちで世話してもらう必要があるから大丈夫だと言われた
それは正しいと思う
祖母はその鶏小屋を見ても何とも思わないような素振りで、父の言葉を右から左へ聞き流し、洗濯物を永遠に取り込んだり干したりしていた
今日は弟が二回目のワクチン接種日だったため、父も弟を接種会場に送っていくための準備を始めた
祖母に小屋片付けの念押しを強めにし、14時前に二人はは家を出た
元は祖父の鶏なのになぜ自分がそんなに強い言葉を吐かれなければないのかと、理不尽に感じた祖母は祖父に怒鳴っていたようだった
祖父はグチグチと自分に向けられた悪意のある言葉が頭にきて、祖母に「ババァ、ヒモモッテコイ!!!」と何度も言った
私はその言葉を理解出来なかった
身の効かない体を起こし右手を垂れさせ右足を引きずりながら外に出ていく音がした
理解したくなかっただけかもしれない
嫌な予感が的中する
それから少ししてありえない声量の鳴き声が家中に響き渡った
この世の終わりのような、声にならない声
残酷で最も嫌な音
気付くと私も泣き叫んでいた
数分だったと思うが、その数分は数十分に感じられた
自分を客観視し始めた私は、手のひらで強く耳を塞いだために頭が割れるような痛みに襲われ、酸欠で手が震えていることに気づいた
酷い気分だ
母の声で少し落ち着いた頃、異常とも言える自分の反応に自身が一番驚いていた
左半身しか使えないため祖父は絞めるのに少し手間取ったようだったが、そのころにはもうコッコちゃんの声は聞こえなかった
食べられるためでもなく、鳥インフルエンザでもなく、死が近づき苦しんでいるわけでもないのに、怒りにまかされ首を絞められたコッコちゃんは死んだ
帰宅後、話を一通り聞かされた父が「可哀想だ」とひとこと言って柿畑へその子を連れて行った
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