この場で本名を明かさない理由は、このnoteが裏垢にも繋がっているから。 そのうち公開するかもしれないけど、いつになるか分からないな。迷い中。 更新ツイートをしていく中で、物好きにはバレるかも知れないけど、まぁ、そのときはそのときで。
頑張ってる人に「頑張れ」と言うのが良くないのと同じように、 辛い思いをしてる人に「大丈夫だよ、みんな同じ」というのも、かなり良くない。 もしかしたらその人は、人には言えない苦しみや病気を抱えているのかもしれない。
正直、当事者である分、誰よりも良き理解者になれると自負しているが、心が弱く共感性が高いため、リスキーなのも事実。 当事者が支援者になるために必要なものだと思うのは、 ・自分を信じて前に進むこと ・同じ志を持つ仲間を見つけること ・ひとりでも良いから、支えてくれる人を見つけること
SNS嫌いを克服すると、世界が変わる。 結局、人生考え方次第で何とでもなる。如何に、物事のメリットを活用し、デメリットの対策をするか。 それは、発達障がい等の特性と同じ。むしろ、顕著。 ADHDの良さを活かして、苦手は瞑るか、改善するか、はたまた良さを活かせる環境で生きるか。
驕らない。比較しない。落ち込まない。嫉妬しない。 嫉妬しても良い。けど、マイナスな感情を引っ張られないで、どうすればその人に近づけるのか、よく観察して、真似してみると良い。 無理して真似しなくとも良い。十人十色。皆、それぞれの持ち味を持っている。評価の数だけに囚われないで。
○○さんはこういう性格、と決めつけるのは、本当に良くない。誰しもいろいろな側面を持っているし、心の健康状態にも左右されるもの。 似た理由で、陰キャ・陽キャといった言葉も嫌い。括りようが無いよそんなの。 ex.あなたは視野が狭いですね→あなたはいま、視野が狭まっている状態ですね
結局のところ、人生はバランス、この言葉に尽きる。 それが難しいのだけど。
今考えてるのは、カテゴライズの用途と効果。 苦しんでいる人に、何らかの名称を与えて救われるのなら、それで良いと思うが、それに固執して、半ば強迫的に自分探しするのは 本末転倒。発達障がいを初めとする精神疾患は多様で、それぞれの症状の境目が曖昧。“生きづらい人”それで良いじゃないか。
あんまり発達障がいに拘るの辞めようかな。視野が狭くなるし、甘えが出てくる。 発達障がい支援をしたいと思うのは良いけど、私自身と発達障がいを結びつけることに固執するのは、やめよう。あくまで通過点。終着点じゃない。限界まで、頑張ってみよう。 となると、診断を受けるか迷うな。困った。