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スタート地点は関係ない その2

月曜日担当、野口勝成です!

それでは、前回の続きについてお話したいと思います。

大学3年生で陸上短距離のゼミに勢いで入ったいいものの、このあとどうすればいいんだ?となってました。笑

そんな、新しい授業で、「コーチ・トレーナー演習」というものがありました。僕たちの学科の必修科目で、内容は現場でコーチングやトレーナー業務を行う研修場所として陸上部の練習に週1回帯同するというものです。
プチインターンみたいなイメージでしょうか。

陸上部所属の選手(と僕)を除き、他のゼミ生はトレーナー志望の人ばかりでした。ガイダンスの際、挙手制でこの授業を選手として受講するか、またはコーチ・トレーナーとして受講をするか選べるのですが、僕は迷わず選手に手を挙げました。
先生も苦笑いしながら、"素人には厳しいよ"と言っていました。笑
それでもとりあえず頑張りますと伝えて、なんと21歳で初めて陸上競技場でトレーニングを行えることになりました!

当然走るトレーニングなんて、ライフセービングの部活で少しやっただけで、専門的な走りのトレーニングは一切行ったことがありませんでした。

初めて行った陸上部のトレーニングでは、とにかく周りの実力に圧倒されました。ウォーミングアップから、みんな涼しい顔して走っているのをとにかく全力疾走でついて行ってました。

メインの練習に入るときにはぐったりで、終わって家に帰って食事をとる元気もありませんでした。前回からそうだけど、一から始めるって本当に圧倒されることばっかりなんですよね。

けど、このときはがむしゃらに走っていただけで、彼らと走り方が何か違うのはわかるけど、その違いを言葉にすることができませんでした。
だからとにかく、全力で真似をしました。
(当時も同級生や共に練習をした後輩のみんなは、優しく教えてくれて、今の僕の走りの基盤は間違いなくここにあります)
今では彼らの速さの秘密を、しっかりと説明できるようになりました。

そしてそんな練習をしていると、思いの外、早く結果が出ました。
翌年の全日本ライフセービング種目別選手権で、ビーチスプリント(砂浜90m走)で入賞(8位以内)になることができました。
大学4年生、22歳にして初めての経験でした。
万年この種目は二次予選敗退や、行けて準決勝だったのですが、この結果が自分の中で一歩進めた瞬間で、このときの経験こそが、足の速さは才能じゃないと言える裏付けの一つです。

しかし、そんな収穫を得たシーズンの翌年、僕はビーチスプリントで決勝進出どころか、準決勝で最下位争いに戻ってしまいました。
習得した技術が、自分の中から何処かにいってしまったのです。
何も考えずひたすらやっていた弊害で、技術の定着が完璧ではありませんでした。

何がいけないのかわからないままモヤモヤでシーズンを終えました。
そんなとき、ジャマイカのスプリントメソッドを知る機会がきました。

つづく  野口勝成

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